60.飲酒味 基礎用語集

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岩倉具視(いわくらともみ)
 (1825-1883) 政治家。公家。孝明(こうめい)天皇に仕え、公武合体を目指して和宮(かずのみや)降嫁を画策、尊攘派ににらまれて洛北(らくほく)に隠棲(いんせい)し、密かに大久保利通(おおくぼとしみち)らと接触、1867王政復古を実現させ、小御所(こごしょ)会議で徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の辞官納地(じかんのうち)処分を決し、参与・議定(ぎじょう)・1869大納言・1870外務卿・1871右大臣等を歴任、1871-1873岩倉遣外使節の特命全権大使として欧米を視察し、帰国後は西郷隆盛(さいごうたかもり)らの征韓論を退け、1881明治十四年の政変にも関与した。

大坂(おおさか・おおざか)→大阪
 現在の大阪府大阪市。府庁所在地。戦国時代に石山本願寺(いしやまほんがんじ)を中心に栄え、1583豊臣秀吉が大坂城を築いて発展、江戸時代には日本経済の中心として「天下の台所」と呼ばれ、明治維新後に大阪と改めた。

緒方洪庵(おがたこうあん)←緒方三平←佐伯章
 (1810-1863) 蘭医学者。大坂で中天游(なかてんゆう)らに、江戸で坪井信道(つぼいしんどう)・宇田川玄真(うだがわげんしん)らに学び、長崎にも遊学、大坂で開業し、1832適塾(てきじゅく。適々斎塾)を開塾、福沢諭吉(ふくざわゆきち)・大村益次郎(おおむらますじろう)・橋本左内(はしもとさない)らを育て、天然痘(てんねんとう)・コレラ治療に尽力、1862幕命により奥医師・医学所頭取に就き、『扶氏経験遺訓』『病学通論』『虎狼痢(コロリ)治準』など多くの著書を残した。

『学問のすゝめ』(がくもんのすすめ)
 明治時代の代表的啓蒙書。福沢諭吉(ふくざわゆきち)著。1巻17編。1872-1876刊。個人の独立・国家の隆盛は学問によって成り立つと説いて大ベストセラーになる。冒頭の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は有名。

慶応義塾(けいおうぎじゅく)→慶応義塾大学
 (1858-) 1858福沢諭吉(ふくざわゆきち)が江戸築地の中津藩邸に創設した洋学塾。1868慶応義塾と命名され、1920旧制大学に、1949新制大学に移行した。

長州藩(ちょうしゅうはん)萩藩(はぎはん)
 江戸時代に本州西端にあった藩。外様。藩主は毛利(もうり)氏。石高は三十七万石(内高七十一万石)。1831防長大一揆を機に村田清風(むらたせいふう)が藩政改革を行い、吉田松陰(よしだしょういん)・高杉晋作(たかすぎしんさく)・木戸孝允(きどたかよし)・大村益次郎(おおむらますじろう)らを輩出、1864第一次長州征討で幕府に屈服するが、1865第二次長州征討では撃退、1866薩摩藩と結び(薩長連合)、1868-1869戊辰戦争で旧幕府軍を撃破、明治政府の中心勢力になった。

適塾(てきじゅく)=適々斎塾(てきてきさいじゅく)=緒方塾
 1838緒方洪庵(おがたこうあん)が大坂に開いた蘭学塾。蘭学・医学・軍学・科学などを教授し、福沢諭吉(ふくざわゆきち)・大村益次郎(おおむらますじろう)・橋本左内(はしもとさない)・佐野常民(さのつねたみ)・長与専斎(ながよせんさい)ら多くの人材を輩出した。現存する建物は国の重文。

新渡戸稲造(にとべいなぞう)
 (1862-1933) 教育家・思想家。札幌農学校(現北大)教授や東京女子大初代学長などを務めた後、国連事務次長に就任、貴院議員も務めた。著『武士道』等。

樋口一葉(ひぐちいちよう)
 (1872-1896) 小説家・歌人。中島歌子(なかじまうたこ)に歌を、半井桃水(なからいとうすい)に小説を学び、『にごりえ』『たけくらべ』『うもれ木』『大つごもり』『十三夜』『わかれ道』等を執筆した。

福沢諭吉(ふくざわゆきち)
 (1834-1901) 教育家・思想家。大坂の適塾(てきじゅく。適々斎塾)で学び、1858江戸で慶応義塾(けいおうぎじゅく)を開塾、欧米を歴訪した後、外国奉行翻訳方に就任、『西洋事情(せいようじじょう)』・『学問のすゝめ』・『文明論之概略(ぶんめいろんのがいりゃく)』『国会論』などを著し、明六社(めいろくしゃ)でも活躍、1882「時事新報(じじしんぽう)」を創刊した。
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