★ 森のくまさん

歴史チップス>バックナンバー2023>令和五年12月号(通算266号)クマ味 森のくまさん

クマ出まくり
★ 森のくまさん

 ぼくは手研耳命。
 初代天皇とされている神武天皇の長男です
(「天皇家系図」参照)
 神武天皇っていっても、令和の人たちにはなじみ薄いですよね。
 昭和の戦前の人なら誰でも知っていた超有名人だったんですが。
 まあ、そんなことはどうでもいいです。
 今のぼくはそれどころじゃないんです。
 父ちゃんともども敵に追われて逃走中なんです。
 どうしてこんなことになったかだって?
 理由を説明しますね。

 ぼくと父ちゃんはもともとヒムカ(日向)のタカチホ(高千穂。宮崎県高千穂町)に住んでいました。
 平和に暮らしていたんだけど、ある時、一番上のおじちゃん
(五瀬命)が変なことを言い出しました(「神々系図」参照)
「東の方には野蛮人が住んでいる」
 そして、物騒なことを言いました。
「そうだ! 鬼退治に行こう!」
 父ちゃんが聞きました。
「鬼って何?」
「東の方に住んでるエミシのことだよ」
「あの人たちって鬼なの?」
「鬼なんだよ。悪いヤツラなんだよ。悪いヤツラは退治しなくちゃならない。みんなも行くよな?」
 一番上のおじちゃんは、父ちゃんや二番目のおじちゃん
(稲飯命)と三番目のおじちゃん(三毛入野命)を誘いました。
「よし、行こう!」
 父ちゃんたちは反対もできませんでした。
「おまえも来るんだ」
 父ちゃんはぼくも鬼退治に巻き込みました。

 でも、父ちゃんたちは鬼に負けてしまいました。
「無念だ」
 一番上のおじちゃんは矢傷がもとで死んでしまいました。
 逃れる途中、船が沈んで、
「あれー!」
「助けて―!」
 二番目のおじちゃんと三番目のおじちゃんが海に投げ出されて溺れ死んでしまいました。
 ザバーン!
 ぼくと父ちゃんは岸に打ち上げられて何とか助かりましたが、もうヘロヘロでした。
「父ちゃん、ここどこ〜?」
「知るもんか」
「どこに行けばいいの〜?」
「目立たないところだ」
「目立たないところって?」
「森へ逃げ込もう。森に隠れていれば鬼は追ってこまい」

 ぼくと父ちゃんは森をさまよいました。
 鬼はもう追ってこないようでした。
「助かった」
 森の中には人気が全くありませんでした。
 でも、獣臭はしました。
 大きな黒い犬に出会いました。
 大きな黒い犬はつぶらな瞳をしていました。
 敵意は全く感じられませんでした。
「おいで」
 ぼくは大きな黒い犬に呼びかけてみました。
「がるる
(遊んでくれるの〜)?」
 大きな黒い犬は喜んで突進してきました。
 ドーン!
 ぼくは吹っ飛ばされました。
「激しすぎだよー」
 大きな黒い犬はさらにじゃれてきました。
「痛いって」
 前足を見ると、すごいツメをしていました。
「え?」
 どどーん!
 そして、大きな犬の背後に、さらに大きな影を見たんです。
「ええ??」
 ぼくは恐怖しました。
「ひょっとしてこいつ、犬じゃなくて子グマ!?」
 ぼくは改めて、その背後の大きな影を見て仰天しました。
「でっか! こっちは母グマじゃん!」
 母グマは怒りました。
「ガオー
(あたしの子にさわんじゃねー)!」
 ぼくは逃げました。
 母グマが追ってきました。
「息子よ、今助けてやるぞっ!」
 父ちゃんが剣を抜いて母グマに立ちはだかりました。
 どばーん!
 そして、母グマに瞬殺されて気絶してしまいました。
「うーん、死んだ……」
「父ちゃん!」
 ぼかーん!
 ぼくも同じようになぐられてしまいました。
 遠のく意識の中でぼくは思いました。
(もうダメです……。ひき肉です!)

 でも、ぼくはひき肉にはされませんでした。
 母グマが倒れたぼくたちをかぎまわっているところへ、
「わーっ!」
 と、大声を上げて立ち向かっていった人がいたんです。
「コノヤロー!」
 その人は剣を抜いてめちゃくちゃに振り回しました。
 バシ!バシ!ブスッ!
「ぐおっ!」
 ちょっと刺さった母グマは、恐れをなして子グマともども逃げていきました。

 介抱されて正気に返ったぼくと父ちゃんは、その人にお礼を言いました。
「どこのどなたか存じませんが、ありがとうございました」
「いえいえ。当然のことをしたまでです。私の名はタカクラジと申します」
「このあたりに住んでいるんですか?」

「ええ、まあ」
「若いですが、お父さんは何をされている人ですか?」
「それはちょっと内緒にしておきます。あなた方、天神族ですよね?」
 ぼくは父ちゃんの顔を見てから答えました。
「この辺は鬼の支配地域なので、ぼくたちの正体も内緒にしておきます」
 その時、父ちゃんがタカクラジの剣を見て聞きました。
「あれ? かっこいい剣を持ってるね、その剣は君のかな?」

「いえ、父のをちょっくら拝借してきました」
「ちょっと、見せてくれないか?」
「どうぞどうぞ」
 父ちゃんは剣を抜いて驚きました。
「こっ、これは、武甕槌命
(たけみかづちのみこと。「天狗味」参照)の神剣『布都御魂(ふつのみたま。経津主命)』、じゃないか! なんでこんな天神族の神宝をどこの馬の骨かもわからない君が持っているんだ?」
「さあ?」
「君のお父さんって、いったい何者なんだ!?」
「そのうちにわかりますよ。――あ、よかったらその剣、差し上げますよっ」
「さささ差し上げますって、こんなもの受け取ったら、君のお父さんに怒られちゃうんじゃないのか!?」
「ひっひっひ。とてもそんな次元の話では収まりませんよね〜」

[2023年11月末日執筆]
参考文献はコチラ

※ 『日本書紀』では神武天皇が東征を主導したように書かれていますが、当初は五瀬命が主導したとみられます。
※ 五瀬命は竈山
(かまやま。和歌山県和歌山市)に葬られ、竈山神社に祭られました。
※ 『古事記』ではクマに襲われて気絶したのではなく、クマの出没後に気を失ったことになっています。
※ 『日本書紀』にはクマの代わりに丹敷戸畔という女賊が登場し、神武天皇や手研耳命らに討たれたことになっています。
※ 布都御魂は石上神宮
(いそのかみじんぐう。奈良県天理市)に納められて祭神になりました。

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