2.んなわけねーだろ

ホーム>バックナンバー2018>平成三十年8月号(通算202号)猛暑味 熊谷直実と平敦盛2.んなわけねーだろ

豪雨&猛暑
1.世界は二人のために
2.んなわけねーだろ

 熊谷直実は拾った若武者を連れて陣所へ帰ることにした。
 途中、思わぬ人と会った。
 息子の熊谷直家であった。
「あ、父上」
 直実は驚いた。
「お、おまえ……、どうした?」
「ええ、敵にやられて負傷しました」
「生きてるじゃないか!」
「ええ、結構深手でしたけど、生きてますよ」
「なんで生きてるんだ!?」
 直家は困惑した。
「何ですかそれ。まるで僕が生きてちゃまずいみたいな言い方じゃないですか〜」
 直家は若武者の存在に気付いた。
「誰それ?」
 直実はとぼけた。
「息子だ」
「息子?」
 息子にそんなごまかしが通用するはずなかった。
「もとい、妻だ」
「妻?」
 そのごまかしはもっと無理であった。
「あ、いやその、家族だ家族」
 そんなはずはなかった。
 直家は見抜いていた。
 若武者をまじまじと冷たく見回して聞いた。
「それって、どう見ても敵将ですよね〜?」
 直実は観念した。
「ああ、敵将だ。生け捕って来たのだ」
「どうして生け捕った敵将とルンルン手をつないでいるんですか?」
「逃げないようにに決まっているじゃないか」
「そんなら普通、縄をかけますよね〜?」
「縄がなかったのだ」
「縄、持ってるじゃないですか」
「これは縄跳び用の縄だ」
「縄跳び? へー。父上が縄跳びしているところは、まったく見たことがありませんが」
「……」
「今日の父上はおかしいですよ」
「……」
「だいたいその手のつなぎ方って、恋人つなぎってヤツじゃないですか?」
「……。そんなつなぎ方、知らぬわ!」
 ぶん!
 直実は乱暴に敦盛の手を振り払った。
「なんでそんなに敵将と仲良しなんですか?」
「仲良しなんかじゃない!」
「で、これからソイツをどうするつもりなんですか?」
「……。まだ決まっていない」
「処刑に決まっているじゃないですか」
「何を言っているんだ! そんなむごいこと、できるわけないじゃないか! だって、よく見てみろよっ! こいつ、こんなにかわいいんだぜっ!」
「父上は自分が言っていることがわかっているんですか?」
「わかってるさ!」
「わかってません! どう見てもその子は平家の大将格の子です! その子の命を助けることは、源氏に対する裏切りじゃないですか!」
「……」
「父上は今朝言っていたことを覚えていますか?『敵陣へ一番乗りして大手柄を立てるぞ』って言ってたじゃないですか。その子の首こそ大手柄です。今すぐその子の首をはねて義経さまに届けましょう!」
「嫌だ!」
「嫌なら僕が殺します!」
「させるか!」
「止めるのであれば、僕は父も討たなければなりません。熊谷家を守るためには、それしか方法はありません」
「くうう〜、いやだいやだいやだー!この子の美しさは熊谷家をも超越するんだー! 俺はいったいどうすればいいんだ〜!」
 直実は地面をたたいた。

 いつの間にか若武者は横笛を吹いていた。
 笛を置くと直実に促した。
「息子さんの申される通りです。私の首を義経に届けるのが熊谷家にとっては最善でしょう」
「君にとっては最悪じゃないか!」
「当然です。私は敗者なのですから」
「ぬうっ」
「さあ、殺しなさい」
「うぐう……」
「殺してください、おじさま」
「ふうう!」
 直実は太刀を抜いた。振りかざしてみた。
 ガシャンシャン!
「できるわけないよー!」
 太刀を放り投げた。
 ぬばっ!
 直家が太刀を拾った。
「できないなら、僕がやります!」
「ダメだ!」
 どん!
 直実が息子を突き飛ばして太刀を奪った。
「どうしても生かせないというのなら、俺が刺し殺す!俺だけがこの子の死を独占する! もう俺以外、誰にもこの子は触らせないっ!絶対に二人だけの世界がここにはある!」
 直実は太刀を振りかざすと、若武者を抱き寄せた。
「すまない」
「仕方ないです」
「行くぞ」
「どうぞ」
 ブッサ!バコン!スカパーン!
 直実は刺した。なぐった。からぶったけど平手でもたたいた。

 若武者は絶命した。
 遺品の横笛から彼の正体が明らかになった。
 横笛は鳥羽法皇平忠盛
(に与えた名笛「小枝(さえだ。青葉とも)」で、子の経盛(つねもり)から孫の敦盛(あつもり。「桓武平氏系図」参照)に伝えられたものであった。
 敦盛の享年は十六
(または十七)

 戦後、直実は経盛に笛を返した。
 その笛は、敦盛の首塚のある須磨寺
(すまでら。神戸市須磨区)に伝えられたという。
 一方、彼の胴塚は須磨浦公園
(同区)にあるという。

[2018年7月末日執筆]
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参考文献はコチラ

※ 直実と敦盛の逸話は有名で、後世、能や浄瑠璃や歌舞伎などの題材になりました。織田信長が愛好した幸若舞「敦盛」もその一つです。
※ 埼玉県熊谷市には、後に法然の弟子になった直実(法名・蓮生)が建てた熊谷寺(ゆうこくじ)があります。
※ ラン科の多年草にクマガイソウ(熊谷草)とアツモリソウ(敦盛草)がありますが、これは二人が背負っていた母衣を見立てたとされています。

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