79.長寿味 基礎用語集

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院政(いんせい)
 上皇(譲位した天皇)や法皇(出家した天皇)が実質的に国政を行う形態。1086白河(しらかわ)上皇が初めて行い、1840光格(こうかく)上皇が没するまで断続的に行われたが、1221承久(じょうきゅう)の乱以降の院政は形式的。⇒承久の乱

桓武平氏(かんむへいし)
 平氏のうち、桓武天皇から出た一族。桓武天皇第五皇子・葛原(かずらわら)親王の子の子孫が最も栄えた。 葛原親王の王子・高望(たかもち)王の流れからは、北条(ほうじょう)・三浦(みうら)・梶原(かじわら)・大庭(おおば)・千葉(ちば)・土肥(どひ)・長尾(ながお)氏など多くの武家を輩出した。本来は藤原氏である織田氏なども桓武平氏を称している。

京都(きょうと)
 現在の京都府京都市。府庁所在地。政令指定都市。ユネスコ世界文化遺産。794桓武天皇による平安京遷都から1868明治天皇による事実上の東京遷都まで日本の帝都として繁栄、明治維新後も文化の中心として発展した。

国造(くにのみやつこ)
 大和政権の地方官。世襲制で大和政権に服従した地方首長が現在の市や郡域程度の地域を支配した。大化の改新以後も存続したものもあり、祭祀(さいし)をつかさどった。

元明天皇(げんめいてんのう)
 (661-721)伝四十三代天皇(在位707-715)。天智天皇の皇女。草壁皇子妃。文武天皇・元正天皇の母。708和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)を鋳造し、710平城京へ遷都、711蓄銭叙位令を制定し、713『風土記』を編修させた。
租税味

古墳時代(こふんじだい)
 古墳が多く造られた時代のこと。前期(三世紀末〜四世紀)・中期(四世紀末〜五世紀)・後期(六〜七世紀)に分けられる。

持統天皇(じとうてんのう)
 (645-702)伝四十一代天皇(在位690-697)。天智(てんち・てんじ)天皇の皇女。天武(てんむ)天皇の皇后。686夫の死後、継子・大津(おおつ)皇子を粛清し、689実子・草壁(くさかべ)皇子没後690に即位、庚寅年籍(こういんねんじゃく)を作成し、694藤原京に遷都、薬師寺(やくしじ)を完成させ、697皇孫・文武(もんむ)天皇に譲位、701大宝律令(たいほうりつりょう)完成を見届けた。

聖武天皇(しょうむてんのう)
 (701-756)伝四十五代天皇(在位724-749)。文武(もんむ)天皇の第一皇子。母は藤原不比等(ふひと)の娘・宮子(みやこ)。姉・元正(げんしょう)天皇から皇位を譲られ、741国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)建立の詔を、743大仏造立(だいぶつぞうりゅう)の詔を発布、総国分寺・東大寺(とうだいじ)を完成させるなど鎮護国家(ちんごこっか)政策を推進、740藤原広嗣(ひろつぐ)の乱を避けるように、恭仁京(くにきょう)・744紫香楽宮(しがらきのみや)・難波宮(なにわのみや)と都を遷した。
暴発味 

清和源氏(せいわげんじ)
 清和天皇の皇孫・経基王(つねもとおう)が源(みなもと)姓を賜って臣籍降下されたことに始まる氏族(陽成天皇の子孫とも)。平安後期、桓武平氏(かんむへいし)と並んで武家の棟梁(とうりょう)になり、主に関東地方に地盤を作った。足利(あしかが)・新田(にった)・細川(ほそかわ)・斯波(しば)・畠山(はたけやま)・山名(やまな)・一色(いっしき)・今川(いまがわ)・武田(たけだ)・土岐(とき)・小笠原(おがさわら)氏など多くの武家を輩出した。徳川(とくがわ)・明智(あけち)・大友(おおとも)・島津(しまづ)氏なども清和源氏を称している。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

平泉(ひらいずみ)
 現在の岩手県平泉町。平安時代に衣川関が置かれ、奥州藤原氏の拠点として発展、中尊寺金色堂などが現存する。

藤原京(ふじわらきょう)
 (694-710)飛鳥時代後期の首都。京域は奈良盆地南部。690以来造営の記事があり、694持統天皇が遷都、710元明天皇の平城遷都まで存続した。

藤原氏(ふじわらし・ふじわらうじ)
 特に古代に繁栄した氏族。氏祖は中臣鎌足(なかとみのかまたり)。奈良時代に南家(なんけ)・北家(ほっけ)・式家(しきけ)・京家(きょうけ)の四家に分かれ、南家、次いで式家が繁栄したが、平安時代になると北家が台頭、摂政・関白を独占し、いわゆる摂関政治を現出した。鎌倉時代に北家の嫡流である摂関家は五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)に分裂し、摂家将軍も輩出した。

平安時代(へいあんじだい)
 (794-1185頃) 平安京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。794桓武(かんむ)天皇の平安遷都に始まり、初期は天皇家が、前中期は藤原氏が、後期は院政の主が、末期は平家が政権を担った。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置(事実上の鎌倉幕府の創立)頃までをいう。

平城京(へいじょうきょう)
 奈良時代の首都。京域は奈良盆地北部。東西約4.3q。南北約4.8q。710元明(げんめい)天皇が遷都し、784桓武天皇の長岡京(ながおかきょう)遷都まで存続。

北条氏(ほうじょうし)
 @鎌倉(かまくら)北条氏。古代〜中世の武家。氏祖は北条時方(ときかた)。その子・時政(ときまさ)が源頼朝(みなもとのよりとも)の舅(しゅうと)として初代執権となり、代々世襲して繁栄するが、1333元弘の乱で敗れて滅亡した。
 A小田原(おだわら)北条氏。後北条氏とも。中世の武家。氏祖は北条早雲(そううん。伊勢長氏)。今川家の内紛で独立し、伊豆・相模を平定、小田原を本拠とし、五代に渡って関東に覇をなしたが、1590豊臣秀吉によって滅ぼされた。

源義経(みなもとのよしつね)
 (1159-1189) 武将。藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の庇護を受けて育ち、1180兄の挙兵に参加、1184源義仲(よしなか)を滅ぼし、一の谷(いちのたに)の戦・屋島(やしま)の戦・1185壇の浦(だんのうら)の戦で平氏を破って滅ぼしたが、兄・頼朝と不和になり、陸奥平泉(ひらいずみ)で藤原泰衡(ふじわらのやすひら)に殺された(北海道以北に落ちのびたという説もある)。

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