14.仇討味 基礎用語集!

伊藤東涯(いとうとうがい)
 (1670-1736) 儒学者(古学派)。仁斎(じんさい)の子。父の唱えた堀河(ほりかわ)学派(古義学)を継承し、古義堂(こぎどう)を継いだ。著『制度通(せいどつう)』等。

江戸城(えどじょう)
 東京都千代田区(ちよだく)所在。平安時代に江戸重継(えどしげつぐ)が居館を造営。長禄元年(1457)に太田道灌(おおたどうかん)が初めて築城。天正十八年(1590)に徳川家康(とくがわいえやす)が入城して将軍在所となり、明治元年(1868)に明治天皇が入城して皇居となる。天守閣(てんしゅかく)は明暦(めいれき)の大火で炎上、以後、再建されなかった。

仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
 浄瑠璃(じょうるり)。時代物。十一段。二世竹田出雲(たけだいずも)・並木千柳(なみきせんりゅう)・三好松洛(みよししょうらく)の合作。赤穂事件を南北朝時代に仮託して脚色したもの。1748大坂竹本座で初演。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』・『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』とともに三大名作の一つ。

荻生徂徠(おぎゅうそらい)
 (1666-1728) 儒学者(古学派)。柳沢吉保(やなぎさわよしやす)に仕え、徳川綱吉(とくがわつなよし)に接近、古文辞(こぶんじ)学派(蘐園学派)を興して私塾・蘐園(けんえん)を開いた。著『政談(せいだん)』『弁道(べんどう)』等。

(げん)
 (1271-1368) 中世中国の王朝。チンギス・ハン(ジンギス・カン)がモンゴル帝国を創始、四代フビライ・ハン(クビライ・カン)が首都を大都(北京)に移し、国号を元とした。1279南宋(なんそう)を滅ぼし、高麗(こうらい。朝鮮)・安南(あんなん。ベトナム)・チベット等も服従させ、1274・1281日本にも侵攻したが失敗、1368明(みん)の朱元璋(しゅげんしょう)によって中国を追われた。

生類憐(しょうるいあわれ)みの令
 徳川綱吉が発した動物愛護令。1685以降に発布。1687特に犬に限って極端化され、四谷(よつや)などに豪勢な野犬収容所が設置された。1709綱吉の死によって廃止。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)・将軍
 蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための軍事長官。奈良時代にあった征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。もとは東国で兵乱が起こったときの臨時職であったが、1192源頼朝(みなもとのよりとも)が任命されて以後、武家の最高指導者の称号となった。
将軍味

ソビエト連邦・ソ連・ソビエト社会主義共和国連邦
 (1917-1991) ユーラシア大陸北部にあった最初の社会主義国。首都モスクワ。1917ロシア革命によって成立し、レーニンやスターリンらによって社会主義政策が推進されたが次第に行き詰まり、ゴルバチョフのペレストロイカもむなしく1991八月政変で共産党は解散、ソビエト連邦は倒壊し、独立国家共同体(CIS)が形成された。

竹田出雲(たけだいずも)
 浄瑠璃作家。竹本座座元。一世と二世が有名。
(一世 ?-1747) 竹本座座元を竹本義太夫(たけもとぎだゆう)から継承し、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)に師事して脚本も手がけた。作品『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』等(三好松洛・並木千柳との合作)。
(二世 1691-1756) 一世出雲の子。父の死後に竹本座座元を継ぎ、脚本も手がけた。作品『仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)』『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』等。(どちらもも三好松洛・並木千柳との合作)

太宰春台(だざいしゅんだい)
 (1680-1747) 儒学者(古学派)。荻生徂徠(おぎゅうそらい)に学び、独自の経済論を展開、本多利明(ほんだとしあき)ら後に経世家に影響を与えた。著『経済録(けいざいろく)』『経済録拾遺(しゅうい)』等。

近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)
 (1653-1724) 浄瑠璃・歌舞伎(かぶき)作家。宇治加賀掾(うじかがのじょう)に師事した後、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)のために浄瑠璃の脚本を、坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)のために歌舞伎の脚本を執筆、竹本座の専属作家として時代物(じだいもの。時代・歴史もの)や世話物(せわもの。恋愛・ホラーもの等)を手がけた。作品『国性爺合戦(こくせんやかっせん。国姓爺合戦とも)』『碁盤太平記(ごばんたいへいき)』『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』『冥土(めいど)の飛脚(ひきゃく)』等。
心中味

徳川綱吉(とくがわつなよし)
 (1646-1709) 江戸幕府五代将軍(在職1680-1709)。家光(いえみつ)の子。1661上野館林(たてばやし)藩主となり、1680兄・家綱(いえつな)の死後に将軍職を継承、大老(たいろう)・堀田正俊(ほったまさとし)、側用人(そばようにん)・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)らの補佐を受け、文治(ぶんち)政治を推進、1681母・桂昌院(けいしょういん)のため護国寺(ごこくじ)を建立、1690江戸忍岡(しのぶがおか)に湯島聖堂(ゆしませいどう)を設立し、林信篤(はやしのぶあつ)を大学頭(だいがくのかみ)に、渋川春海(しぶかわしゅんかい)を天文方(てんもんがた)に、北村季吟(きたむらきぎん)を歌学方(かがくがた)に任命、荻原重秀(おぎわらしげひで)を勘定吟味役(かんじようぎんみやく)に抜擢(ばってき)して元禄金銀(げんろくきんぎん)を改鋳させ、1685生類憐(しょうるいあわれ)みの令を発して動物をかわいがらせた。隠蔽味
仇討味

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

林信篤(はやしのぶあつ)・鳳岡(ほうこう)
 (1644-1732) 儒学者。大学頭(だいがくのかみ)。鵞峰(がほう)の子。1680林家を継ぎ、徳川家綱(いえつな)以下五代の将軍に仕え、『武徳大成記(ぶとくたいせいき)』を編集、1691湯島聖堂完成とともに大学頭に任じられた。

ヒトラー(Adolf Hitler)
 (1889-1945) ドイツの軍人政治家。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首として1933首相となり、1934大統領を兼ねた総統に就任、ファシズム独裁政権を確立し、1939ソ連と独ソ不可侵条約を調印、ポーランドに侵攻して第二次世界大戦を起こし、デンマーク・ノルウェー・オランダ・ベルギー・フランスなどを攻略、1937日本・イタリアと日独伊三国防共協定を、1940日独伊三国同盟を結んで枢軸(すうじく)国を形成したが、1945イギリス・アメリカなど連合国の反攻によってベルリンで自殺した。

武士(ぶし)・侍(さむらい)・武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

室鳩巣(むろきゅうそう)
 (1658-1734) 儒学者(朱子学)。加賀金沢藩主・前田綱紀(まえだつなのり)に仕え、木下順庵(きのしたじゅんあん)に師事、新井白石(あらいはくせき)の推挙で幕府儒官となり、徳川吉宗(とくがわよしむね)に信頼され、その子・家重(いえしげ)の侍講を務めた。朝鮮通信使の応対にも当たった。著『六諭衍義大意(りくゆえんぎたいぎ)』『駿台雑話(すんだいざつわ)』等。

老中(ろうじゅう)
 江戸幕府の執政官。幕政を統括。定員は四、五名で月番制。二万五千石以上の譜代大名から選抜された。最初の老中(当初は年寄と呼ばれた)は大久保忠隣(おおくぼただちか)と本多正信(ほんだまさのぶ)(酒井忠世らとも)。

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