1.水野やる気ないって | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2018>平成三十年7月号(通算201号)猛暑味 万平二百四十二歳1.水野やる気ないって
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水野忠邦 PROFILE | |
【生没年】 | 1794-1851 |
【別 名】 | 於菟五郎・松軒・菊園・越前守 |
【出 身】 | 江戸(東京都) |
【本 拠】 | 江戸城(東京都千代田区) |
【職 業】 | 大名・政治家 |
【役 職】 | 奏者番→寺社奉行→大坂城代→京都所司代 →老中(1828-1843,1844-1845) →老中首座(1839-1843,1844-1845) 肥前唐津藩主→遠江浜松藩主 式部少輔→和泉守→左近将監→越前守→侍従 |
【位 階】 | 従五位下→従四位下 |
【 父 】 | 水野忠光 |
【 母 】 | 中川恂(大住氏養女) |
【継 母】 | 浅野重晟の娘 |
【 兄 】 | 水野芳丸 |
【 妻 】 | 酒井忠進の娘 |
【 子 】 | 水野忠精 |
【主 君】 | 徳川家斉・徳川家慶 |
【上 司】 | 水野忠成ら |
【 師 】 | 塩谷宕陰 |
【部 下】 | 二本松義廉・鳥居耀蔵・渋川敬直・後藤光亨 ・羽倉外記・江川英竜・川路聖謨・遠山景元ら |
【仇 敵】 | 姉小路局・土井利位ら |
【墓 地】 | 万松寺(茨城県結城市) |
失脚した上司が帰ってきた(「改革味」参照)。
失脚させた部下たちの職場に還ってきた。
人はその職場を、江戸城(東京都千代田区)と呼んだ。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
「戻ってきて、迷惑かい?」
「いえ、お待ちしておりました」
「心にもないことを申すでなーい!」
老中首座に復任した上司を、水野忠邦といった。
「特に、おまえ!」
忠邦に指された江戸町奉行を、鳥居耀蔵(とりいようぞう)といった。
「!」
「よくもよくも余を裏切ってくれたな」
「へへえー」
耀蔵は生きた心地がしなかった。
「まあよい」
「へ?」
「余は、前ほどやる気がない」
「……」
「この着物を見よ」
「……」
「絹だ」
「!」
「木綿ではない」
「……」
「倹約はやめた」
「……」
「余は丸くなった。これからは角ばらず、なあなあでいこうと思う」
「……」
「みなの者も心がけよ。改革なんてクソだ。仕事なんてテキトーでよい。励むな!これが政界で長く生き残る秘訣(ひけつ)よ」
「!」
時に天保十五年(1844)六月二十一日。