42.亀虎味 基礎用語集 | ||||||||||||||
●右大臣(うだいじん)
律令制における執政官。太政大臣・左大臣欠員時の最高官。左大臣とともに国政を統括した。645大化の改新で蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ。倉山田石川麻呂)が任じられたのが最初。
●蝦夷(えぞ・えみし)
古代、主に東日本に住んでいた人々。朝廷の征伐を受け、次第に北方に追いやられた。アイヌかどうかについては不明。
●延喜式(えんぎしき)
律令の施行細則集。平安時代の法典。五十巻。三代式の一。905醍醐(だいご)天皇の命令により、藤原時平(ふじわらのときひら)・藤原忠平(ただひら)らが編集。927成立。967施行。行事や儀式・法令研究の根本とされた。
●円墳(えんぷん)・丸塚(まるづか)
古墳のうち、円形のもの。
●刑部親王(おさかべしんのう)・忍壁皇子(おさかべのおうじ)
(?-705) 皇族。知太政官事(ちだいじょうかんじ)。天武(てんむ)天皇の皇子。681川島(かわしま)皇子らと「帝紀(ていき)」等を整理し、700文武(もんむ)天皇の命令で「大宝律令(たいほうりつりょう)」を編集、701完成させ、703初代知太政官事に就任した。
●百済(くだら・ひゃくさい)
(前18?-660) 古代朝鮮三国の一つ。四世紀の初めに馬韓(ばかん)五十五国を統一、北の高句麗(こうくり)、東の新羅(しらぎ・しんら)と勢力を三分するが、660唐(とう)・新羅連合軍に攻められて滅亡した。まもなく旧臣たちによって復興運動が起こり、日本も援助するが、663白村江(はくそんこう・はくすきのえ)の戦いで唐・新羅連合軍に敗れて壊滅した。
●高句麗(こうくり)
(前47?-668) 古代朝鮮三国の一。朱蒙(しゅもう)が建国。313楽浪郡(らくろうぐん)を滅ぼし、五世紀初めに朝鮮半島に進出してきた倭(わ)を撃退、427平壌(ピョンヤン)に都を移し、唐・百済・新羅と争ったが、668唐・新羅連合軍に滅ぼされた。
●古墳(こふん)・高塚(たかつか)
高く土を盛った古代の有力者の墓。円墳(えんぷん)・方墳(ほうふん)・前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)・前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)・上円下方墳(じょうえんかほうふん)などの形状がある。
●古墳時代(こふんじだい)
古墳が多く造られた時代のこと。前期(三世紀末〜四世紀)・中期(四世紀末〜五世紀)・後期(六〜七世紀)に分けられる。七世紀は終末期ともいう。
●坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)
(758-811) 武将・公卿。征夷大将軍。大納言。苅田麻呂(かりたまろ)の子。791大使・大伴乙麻呂(おおとものおとまろ)の下で征夷副使となり、796陸奥出羽按察使(あぜち)・陸奥守・鎮守(ちんじゅ)将軍を兼任、797・804征夷大将軍に就いて蝦夷(えぞ・えみし)を征討、798京都東山に清水寺(きよみずでら)を建て、802陸奥に胆沢(いさわ)城を造営、蝦夷の首長・阿弖流為(アテルイ)を降し、810大納言に昇進、薬子(くすこ)の変でも活躍した。
●左大臣(さだいじん)
律令制における執政官。太政大臣欠員時の最高官。国政を統括した。645大化の改新で阿倍内麻呂(あべのうちまろ)が任じられたのが最初。
●持統天皇(じとうてんのう)
(645-702)第四十一代天皇(在位690-697)。天智(てんち・てんじ)天皇の皇女。天武(てんむ)天皇の皇后。686夫の死後、継子・大津(おおつ)皇子を粛清し、689実子・草壁(くさかべ)皇子没後690に即位、庚寅年籍(こういんねんじゃく)を作成し、694藤原京に遷都、薬師寺(やくしじ)を完成させ、697皇孫・文武(もんむ)天皇に譲位、701大宝律令(たいほうりつりょう)完成を見届けた。
●新羅(しらぎ・しんら)
(前57?-935) 古代朝鮮三国の一つ。四世紀前半に辰韓(しんかん)十二国を統一、唐と連合して西の百済(くだら)と北の高句麗(こうくり)を滅ぼし、684朝鮮半島を統一するが、935高麗(こうらい)によって滅亡した。
●壬申の乱(じんしんのらん)
皇位継承をめぐる飛鳥時代最大の内乱。671天智(てんち・てんじ)天皇の死後、子の大友(おおとも)皇子(弘文天皇)と弟の大海人(おおあま)皇子(天武天皇)が対立、672大海人皇子は吉野(よしの)で挙兵し、伊勢へ下向、村国男依(むらくにのおより)に美濃・尾張国司を懐柔させ、不破(ふわ)・鈴鹿関(すずかのせき)を封鎖、大伴吹負(おおとものふけい)に飛鳥古京を占拠させた。大友皇子は大和・伊賀で攻勢に出るが反撃され、近江の瀬田(せた)で完敗、大津宮(おおつのみや)で自殺した。乱後、大海人皇子は飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)へ遷都、673天武天皇として即位した。
●大納言(だいなごん)
太政官(だいじょうかん・だじょうかん)で左右大臣に次ぐ官職。大臣とともに政務を執った。定員は四人。705その下に中納言が置かれた。
●竹取物語(たけとりものがたり)
^平安時代の物語。九世紀末〜十世紀初めに成立。作者不明。日本現存最古の伝奇物語。かぐや姫の物語。
●玉(たま)
球状ないしはそれに類似した美しい石のこと。装身具などに用いられた。形状から、勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)・玉杖(ぎょくじょう)などがあった。
●天智天皇(てんちてんのう・てんじてんのう)・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
(626-671)第三十八代天皇(在位668-671)。舒明(じょめい)天皇の第一皇子。母は皇極(こうぎょく)・斉明(さいめい)天皇。中臣(藤原)鎌足とともに645蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし、大化の改新を断行、663白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦で唐・新羅に大敗した後、667近江大津宮(おうみのおおつのみや)に遷都し、668近江令(おうみりょう)を編集、670庚午年籍(こうごねんじゃく)を作成した。
●天武天皇(てんむてんのう)・大海人皇子(おおあまのおうじ)
(631?-686)第四十代天皇(在位673〜686)。舒明天皇の皇子。天智天皇の弟。672壬申(じんしん)の乱で大友皇子(おおとものおうじ)を破り、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)で即位、684八色(やくさ)の姓(かばね)を制定し、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)を編集させた。
●唐(とう)
(618-907) 古代中国の王朝。李淵(りえん)が創始。首都は長安(ちょうあん)。律令制・均田制を確立し、高句麗(こうくり)を滅ぼして繁栄を極めるが、八世紀半ば以後衰退、907朱全忠(しゅぜんちゅう)に滅ぼされた。
●刀剣(とうけん)
刀(かたな)や剣(つるぎ)のこと。刀身の片方に刃のあるのが刀で、両方にあるのが剣。
●舎人親王(とねりしんのう)=舎人皇子(とねりおうじ・とねりのみこ)=崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)
(676-735) 皇族。知太政官事(ちだいじょうかんじ)。天武(てんむ)天皇の皇子。母は天智天皇の皇女・新田部皇女(にいたべおうじょ)。淳仁(じゅんにん)天皇らの父。720藤原不比等(ふじわらのふひと)没後に知太政官事に就任、『日本書紀』を完成させ、新田部(にいたべ)親王と共に皇族の長老として政界で重きをなし、729長屋王の変で王の尋問に当たった。
●渡来人(とらいじん)・帰化人(きかじん)
古代に朝鮮・中国から日本に移住したきた人々。大陸の先端技術を有するものが多く、大和政権の政治や文化に大きな影響を与えた。
●日本(にほん・にっぽん・やまと)
東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。
●白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦い
飛鳥時代に起こった日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦争。660唐・新羅連合軍は百済を滅ぼしたが、百済の遺臣・鬼室福信(きしつふくしん)は日本にいた王子・豊璋(ほうしょう)を召還し、これを国王に擁立して抵抗した。日本もこれを救援するため、阿倍比羅夫(あべのひらふ)・阿曇比羅夫(あずみのひらふ)らを派遣するが、白村江で唐・新羅連合軍に大敗した。この戦いによって百済は再度滅亡、豊璋は高句麗に逃亡し、日本は朝鮮半島における足場を失った。
●副葬品(ふくそうひん)
死者を埋葬する際に添える品物。鏡や玉など呪術的なもの、武器や武具など武人的なもの、装身具や土器など日用品などが納められた。
●藤原鎌足(ふじわらのかまたり)・中臣鎌足(なかとみのかまたり)・中臣鎌子(かまこ)
(614-669)公卿。内臣(うちつおみ・ないしん)。藤原氏の祖。中臣御食子(みけこ)の子。舒明(じょめい)天皇の代に神祗伯(じんぎはく)を辞退して隠棲、中大兄皇子(天智天皇)に近づき、645蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺、蘇我蝦夷(えみし)を滅ぼし、孝徳(こうとく)天皇を擁立、中大兄皇子を皇太子に立て、大化の改新で内臣(うちつおみ・ないしん)に就任、近江令編集に関わり、死の直前に藤原姓と大織冠(たいしょくかん)を受けた。
●万葉集(まんようしゅう)
現存最古の和歌集。770頃完成。20巻。大伴家持(おおとものやかもち)の編集か。万葉仮名で記される。約四千五百首を収録。雑歌(一般歌)・相聞歌(恋愛歌)・挽歌(哀悼歌)に分類される。
●東漢氏(やまとのあやうじ)・倭漢氏
古代の渡来系氏族。応神(おうじん)天皇の代に来日した阿知使主(あちのおみ)の子孫。代々、朝廷の記録や外交文書を担当し、八世紀以降は一族の坂上(さかのうえ)氏が最も栄えた。
●六国史(りっこくし)
奈良〜平安時代にかけて編集された正史のこと。以下六つ。
書名 (よみかた) |
成立年 | 巻数 | (編集命令者) 編集者 |
編集範囲 |
日本書紀 (にほんしょき) |
養老四年 720 |
30+1 | (天武天皇・元明天皇ら) 舎人親王・紀清人・三宅藤麻呂ら |
神代〜持統 (-697) |
続日本紀 (しょくにほんぎ) |
延暦十六年 797 |
40 | (桓武天皇) 菅野真道・藤原継縄 ・秋篠安人・中科巨都雄ら |
文武〜桓武 (697-791) |
日本後紀 (にほんこうき) |
承和七年 840 |
40 | (嵯峨天皇・淳和天皇・仁明天皇) 藤原緒嗣・藤原冬嗣・藤原貞嗣 ・良岑安世・源常・清原夏野ら |
桓武〜淳和 (792-833) |
続日本後紀 (しょくにほんこうき) |
貞観十一年 869 |
20 | (文徳天皇) 藤原良房・春澄善縄 ・伴善男・安野豊道ら |
仁 明 (833-850) |
日本文徳天皇実録 (にほんもんとくてんのうじつろく) |
元慶三年 879 |
10 | (清和天皇・陽成天皇) 藤原基経・南淵年名・菅原是善 ・大江音人・善淵愛成・都良香 ・島田良臣ら |
文 徳 (850-858) |
日本三代実録 (にほんさんだいじつろく) |
延喜元年 901 |
50 | (宇多天皇・醍醐天皇) 源能有・菅原道真・藤原時平 ・大蔵善行・三統理平ら |
清和〜光孝 (858-887) |
※日本書紀の+1は系譜一巻(現存せず)