1.坂の上の苦悩

ホーム>バックナンバー2021>令和三年7月号(通算237号)強行味 鵯越の逆落とし1.坂の上の苦悩

東京五輪強行
1.坂の上の苦悩
2.二馬がゆく
3.馬下青年過ぐ

「やれよ!」
 パワハラ上司がわめいた。
「飛び降りてみろよ!」
 こいつは正式には上司ではなかった。
 このちっちゃいオッサンは、派遣先の一時的な上司だった。
「貴様ら、それでも武士かよ!? 勇猛な鎌倉武士なら、こんななだらかな坂ぐらい、難なく駆け下りてみろよっ! そうだよ! ここは急峻
(きゅうしゅん)な崖(がけ)じゃない! なだらかーな坂なのさっ!」
 俺は鎌倉武士・畠山重忠――
。俺の本当の上司は、鎌倉殿・源頼朝である。
 それがこの一の谷の戦いで、その弟の源範頼に従軍させられ、さらにその弟の源義経に引き抜かれ、鵯越
(ひよどりごえ)とかいう高い崖の上に立たされているのである(「清和源氏系図」参照)
 ぴゅ〜。
 風が揺らす緑の間からは、崖下にある平家の陣がものすごく小さく見えた。
「いい景色だろーん?」
 絶景には違いないが、絶景というものは飛び降りる所ではない。
「見ろ! 眼下にある平家の陣は、南が海、北が崖だ。そのため源氏の騎兵は東の生田森
(いくたのもり。神戸市生田区)か、西の一の谷からしか攻められない。範頼兄の軍勢が生田森から、私の軍勢が一の谷から攻めることにしたが、これでは平家の思うツボだ。敵が思いも寄らない作戦をしでかななければ戦には勝てない」
「思いも寄らない作戦とは?」
「北の崖、つまりここ鵯越から強引に攻め下るのさ」
「!」
「まさか敵も背後の崖から攻めてくるとは思ってもいまい。びっくりするぞ〜」
「すでにもう俺たちがびっくりしてます。こんな急な崖から攻め下ることはできませんて」
「これでわかっただろう? 私が貴様らをここに連れてきた理由が」
「偵察だけかと思いましたよ〜」
「残念でした。ここから攻め込むんです〜」
 三浦義連
(佐原義連。「三浦佐原氏系図」参照)が崖下をのぞき込みながら聞いた。
「こんな崖、本当に馬で下りられるんですかね〜?」
 武蔵坊弁慶が教えてあげた。
「地元民によれば、馬が行き来しているのは見たことがないそうな」
「ええ! だったら下りられないじゃないですか〜」
「馬が行き来しているのは見たことないが、鹿が行き来しているのは見たことがあるそうな」
「鹿は関係ないでしょ」
「関係あるぞ」
 義経が割って入ってけしかけた。 
「――鹿は四つ足、馬も四つ足。鹿にできることは馬にもできる!」
「そんな無茶苦茶な」
 俺は思わず小さく独り言を漏らした。
「馬と鹿を一緒にするなんて、まるで馬鹿――」
 義経は地獄耳であった。
「誰か、私の悪口を言ったか?」
「いえ、言ってません」

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