★ 養蚕起源説話 | ||||||||||||||
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昼の仁徳天皇は聖帝(「景気味」参照)であった。
夜の仁徳天皇はサイテーであった。
なぜだか美女を見ると、体が自然に吸い寄せられてしまうのであった。
が、彼の自由を阻害していた女性がいた。
大后・葛城磐之媛(かずらきの・かつらぎのいわのひめ)である。
「浮気は許さないわよ」
磐之媛は夫の会話に女の名が出てくるたびに地団太して悔しがったという。
ある時、仁徳天皇は宮殿・難波高津宮(なにわのたかつのみや。大阪市中央区)の前で女性を見かけた。
吉備海部黒日売(きびのあめべのくろひめ)という美女であった。
「ほう」
仁徳天皇の目がハートになった。
「んまっ」
磐之媛の目は三角になった。
黒日売は二人の視線に気付いて振り向いた。
そして、ハートよりも炎上している三角に反応した。
黒日売は恐怖した。
(こっ、こっ、殺される〜!)
とっとと国へ帰ることにした。
吉備(備前+備中+備後+美作)へ帰っていく黒日売の船を高台から見た仁徳天皇が歌を詠んだ。
沖方には小舟つららくくろざやの まさづこ吾妹(わぎも)国へ下らす
磐之媛は激怒した。
「誰か、あの女の船を追いかけなさい!」
「はっ!」
磐之媛は使者に船を追わせると、それに乗り込もうとしていた黒日売を引きずり下させてしまった。
黒日売は泣いた。
「私は何にも悪いことしてないのに〜」
使者は告げた。
「大后さまはこうおっしゃられました。『船なんかに乗らせないわ。お前なんか国まで歩いて帰りなさいよっ!』と」
またある時、仁徳天皇は桑田玖賀媛(くわたのくがひめ)という美女に恋をした。
丹波の桑田(京都府亀岡市近辺)出身の女官であった。
仁徳天皇は宮中で囲いたいと思ったが、磐之媛が怖くてできなかった。
そこで臣下の者たちに相談した。
「誰か、朕(ちん)の愛しの彼女をかくまってくれる者はおらぬか?」
「では、私が」
播磨国造の祖・速待(はやまち)というものが手を挙げた。
「頼むぞ」
仁徳天皇は翌日の夕方に速待の宅にやって来た。
さっそく玖賀媛と思いを遂げるためである。
が、玖賀媛が拒んだ。
「どうした?」
「大后さまが恐ろしゅうございます」
「だからこうやってかまくってもらったのではないか。今は大后はここにはいない。ここにいるのは朕とお前だけだ」
「でも、こんなこと、いつか必ずばれます。ばれた時の大后さまのお怒りが恐ろしゅうございます」
玖賀媛は断固として受け付けなかった。
彼女も国へ帰ると、ほどなくして病気で死んでしまった。
またまたある時、仁徳天皇は八田皇女(やたのひめみこ。矢田皇女)と婚(くなが)いたくなった。
八田皇女は仁徳天皇の異母妹で、その母は日触使主(ひふれのおみ)の娘・宮主宅媛(みやぬしやかひめ)である。
仁徳天皇は磐之媛に許可を得ようとした。
「お願いだよ〜。八田皇女と婚わせてくれよ〜」
「ダ〜メ」
案の定であった。
そこで仁徳天皇は口から出まかせを言った。
「そうだ!亡き兄(菟道稚郎子。「引継味」参照)が遺言で『お前は八田皇女と結婚しなさい』って言ってた」
しかし磐之媛はだまされなかった。
「ウソおっしゃい!絶対ダメッ!」
「うう〜」
仁徳天皇はあきらめられなかった。
(大后、どっか行かないかな〜。留守にならないかな〜。そうすれば……、へっへっへ!)
仁徳天皇は磐之媛が遠出することを願った。
絶好の機会がやって来た。
「木の国(紀伊)へ柏(かしわ)の葉を採りに行こうと思うんだけど」
当時、柏の葉は宴会で皿として使っていた。
今でいえば、パーティーの食器を選びに行くようなものであろう。
「あなたも一緒について来てくれる?」
「そうだね〜。朕は政務で忙しいからね〜。君の好きなものを好きなだけ採ってきなよ」
「じゃあそうする」
出立の朝、磐之媛は下々の者たちを引き連れて木の国へ出かけて行った。
仁徳天皇は、高台から遠くなる行列に手を振った。
磐之媛も手を振り返してきた。
仁徳天皇はさらに激しく手を振ったが、彼が高台へ上ったのは手を振るのが目的ではなかった。
磐之媛の行列が間違いなく船に乗り込み、その船団が確実に見えなくなるのを確認するためであった。
やがて彼女の船団は小さく細かく見えなくなり、跡形もなくなってしまった。
「行ったか……」
仁徳天皇はニヤリとした。
「こうして邪魔者は去って行った……」
「ですねっ」
振り向くと、八田皇女が待ち構えていた。
「これからは朕と君だけの世界だ」
「うれしいです!」
「我が妹!」
「我が背!」
ぶちゅ!ぶちゅ!ちゅぱちゅぱ〜〜〜ん!
うわさはすぐに広まった。
「大王さまと八田の皇女さまがやっちまわれたそうで」
「怖い怖い大后さまがお留守のうちに毎晩毎晩お楽しみだそうで」
「大后さまがお聞きになられたらどうなることやら〜。恐ろしや〜」
磐之媛は、帰ってきた難波(なにわ。大阪市近辺)の湊でそのことを耳にしてしまった。
「キーッ!くやしー!!」
ばっさ!ばっさ!
どば!どばっ!どばーん!!
磐之媛は船いっぱいに採ってきた柏の葉を全部海へ放り捨ててしまった。
今でいえば、買ってきた皿を一枚の残らず割っちまったようなものであろう。
「許さない!クソ大王!どんだけ浮気したら気がすむのよっ!もー絶対に許さないっっ!あたしも浮気してやる〜!」
磐之媛は宮殿には帰らず、かねてより狙っていた男の宅に飛び込んで居座ってしまった。
男とは、山背の筒城(つづき。筒木・綴喜。京都府京田辺市近辺)に住んでいた奴理能美(ぬりのみ)なる百済系渡来人である。
渡来人には大陸からもたらした先端技術を利用して財を成している者が多く、彼もその一人だったとみられる。
今でいえば、ダンナの浮気にキレた奥様が外資系実業家のもとに走っちまったようなものであろう。
磐之媛が帰ってこない理由を知った仁徳天皇は激怒した。
「なんて日だ!大后が不倫するなど前代未聞ではないか!朕という男がありながらっ」
自分の浮気は許せるが、妻のソレは許せなかった。
だからと言って、磐之媛の恐ろしさは自分が一番よく知っている。
「どうしたものか?」
臣下に尋ねてみれば、平群木莵(へぐりのつく。「平群氏系図」参照)は、
「廃后にすべし!」
と、主張するし、磐之媛の父である葛城襲津彦(かずらき・かつらぎのそつひこ。「葛城氏系図」参照)は、
「まだ不倫と決まったわけではありません。しばらく様子を見るべきかと」
と、落ち着かせた。
どちらにせよ、磐之媛が帰ってこなければ真相は分からないため、仁徳天皇は口持(くちもち)なる男を筒城へ遣わした。
「どうか宮殿へお帰りください」
口持が説得したが、磐之媛は帰ろうとはしなかった。
「私は不倫をしました。帰れば処罰は免れません。帰れるわけがありません」
「あきらめないでください。大王さまはまだ、大后さまの不倫を信じていません。大后さまが否定すれば済むことなのです。それとも不倫をお認めになられますか?そうすれば大后さまはともかく、奴理能美殿の命はないでしょう」
「えぇ!」
奴理能美は震え上がった。死にたくない彼は言い張った。
「ボクはフリンはしてないにだ!」
口持は満足した。
「そうです。それでいいのです。大后も異論はございませんね?」
口持の妹・国依媛(くによりひめ)が言った。
「でも、不倫でないとしたら、何かほかにもっともらしい理由を作らなければならないでしょう」
「そうだな。大后さまが奴理能美殿宅を訪ねた理由が必要だな。何かないか?」
奴理能美が提案した。
「では、私が飼っている珍しい虫を見に来たことにするにだ」
「珍しい虫?」
「ええ、卵から幼虫、幼虫から繭、繭から成虫と三種に変わる虫です。この虫が吐く糸は衣(きぬ)の原料になるため、大陸では盛んに飼育されているにだ」
この虫が蚕(かいこ)であった。
口持はうなずいた。
「よし、もっともらしい理由ができた。それならそういうことにしよう」
現在の伝仁徳天皇陵場周辺(大阪府堺市) |
口持は仁徳天皇に報告した。
「調査の結果、大后さまの不倫疑惑は無実でした。大后さまが奴理能美の家へ行かれた理由はただ一つ、彼が飼っていた蚕という珍しい虫を見に行っただけでございました」
仁徳天皇は納得した。
「そうだったのか。しかしそんな珍しい虫がいるのであれば、朕も見に行きたいものだ」
しばらくして、仁徳天皇が筒城へ蚕を見に来た。
奴理能美がそれを磐之媛に献上したため、以後、日本でも養蚕が行われるようになったという。
仁徳天皇三十五年(347?)、大后・葛城磐之媛は最後まで夫のもとへ帰ることはなく、筒城で亡くなった。享年不明。
仁徳天皇三十七年(349?)、磐之媛の遺体は奈良山へ葬られ、その翌年に八田皇女が大后に立てられたという。
[2014年4月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ この物語は『古事記』と『日本書紀』の話を合わせてアレンジしたものです。
※ 『古事記』には磐之媛と奴理能美の不倫について直接的には記されておりません。
『日本書紀』には奴理能美の存在自体が抹殺されています。
※ 口持と国依媛は『日本書紀』での登場名であり、『古事記』ではそれぞれ丸爾口子(わにのくちこ)と口比売(くちひめ)になっています。