80.食糧味 基礎用語集

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江戸時代(えどじだい)=徳川(とくがわ)時代
 (1600or1603-1867) 江戸幕府が支配していた時代。1600関ヶ原の戦(せきがはらのたたかい)で徳川家康(とくがわいえやす)が政権を握ったこと、または1603家康が江戸幕府を開いたことに始まり、徳川氏が代々将軍に就任した。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して終わった。

享保の飢饉(きょうほうのききん)=享保の大飢饉
(1732-1733) 江戸時代の三大飢饉の一つ。1732西日本で春から夏にかけて低温多雨となり、秋にはイナゴ・ウンカ・ズイムシなどの虫害が発生して大凶作に見舞われた。収穫高半減以下が四十六藩に及び、百〜二百万人の人が飢え、七千〜一万二千人が餓死したという。幕府は備蓄米を放出し、東国から米を回送したが、米価が高騰し、1733には江戸で最初の打ちこわしが起こった。
食糧味

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)就任以後は幕府の統率者の称号。将軍味

徳川吉宗(とくがわよしむね)
 (1684-1751) 江戸幕府八代将軍(在職1716-1745)。紀伊和歌山藩主・徳川光貞(みつさだ)の子。1705紀伊藩主として藩政改革を行い、1716将軍に就任して1716-1745享保(きょうほう)の改革を断行、有馬氏倫(ありまうじのり)・加納久通(かのうひさみち)を側御用取次(そばごようとりつぎ)に、大岡忠相(おおおかただすけ)を江戸町奉行に、勘定奉行に神尾春央(かんおはるひで)を登用し、御庭番(おにわばん)を新設、1720町火消(まちひけし)・1721目安箱(めやすばこ)・1722小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)を設置し、倹約令・1719相対済令(あいたいすましれい)・1722質流し禁止令・1723足高(たしだか)の制などを制定、定免法(じょうめんほう)を採用し、1720漢訳洋書輸入緩和・1722上米(あげまい)・株仲間公認などを実施、新田開発や甘藷(かんしょ。サツマイモ)・甘蔗(かんしゃ。サトウキビ)・櫨(はぜ)・朝鮮人参栽培を勧め、1742『公事方御定書(くじがたおさだめがき)』を完成、1745息子・家重(いえしげ)に将軍職を譲り、大御所として後援した。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

年貢(ねんぐ)
 平安〜江戸時代に領主が農民に課した税。江戸時代には原則として田は米、畑は作物で支払った。地租改正で廃止。

平安時代(へいあんじだい)
 (794-1185頃) 平安京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。794桓武(かんむ)天皇の平安遷都に始まり、初期は天皇家が、前中期は藤原氏が、後期は院政の主が、末期は平家が政権を担った。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置(事実上の鎌倉幕府の創立)頃までをいう。

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