98.倭国味 基礎用語集

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天照大神=天照大御神(あまてらすおおみかみ)≒卑弥呼(ひみこ)
 (?-?) 太陽神。皇室の祖神。伊勢神宮内宮などの祭神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと。伊邪那岐命)の娘。月読尊(つくよみのみこと)とともに高天原(たかまがはら)を治め、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と誓約を行って五男三女神を生み、彼の乱暴に耐えかねて天の石屋(岩窟)にこもり、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国(あしはらなかつくに)に天孫降臨させた。神武天皇(じんむてんのう)の東征も助けたされる。大豆味
倭国味

新井白石(あらいはくせき)
 (1657-1725) 儒学者(朱子学)・政治家。木下順庵(きのしたじゅんあん)に師事し、徳川家宣(とくがわいえのぶ。綱豊)・徳川家継(いえつぐ)を補佐、1710武家諸法度(ぶけしょはっと)改正・閑院宮家(かんいんのみやけ)の創立・1711朝鮮通信使の待遇簡素化・1714正徳(しょうとく)金銀改鋳・1715海舶互市新例(かいはくごししんれい。正徳新令・長崎新令)発令など正徳の治(1709-1716)を行い、『読史余論(どくしよろん)』『西洋紀聞(せいようきぶん)』『折たく柴の記』『采覧異言(さいらんいげん)』『古史通』『藩翰譜(はんかんふ)』などを著した。

伊勢神宮(いせじんぐう)=神宮=大神宮=皇大神宮(こうだいじんぐう。内宮)+豊受大神宮(とようけだいじんぐう・とゆけだいじんぐう。外宮)
 三重県伊勢市所在。皇室の祖神。祭神は内宮は太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)、外宮は穀物神・豊受大神(とようけのおおかみ・とゆけのおおかみ。豊受姫神・豊宇気毘売神)。建築様式は神明造。創立は内宮は垂仁(すいにん)天皇代、外宮は雄略(ゆうりゃく)天皇代とされ、室町時代以降に庶民の参詣も流行、明治時代には国家神道の中心になった。

壹与(いよ)=台与(とよ)
 (?-?) 『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)にある邪馬台国(やまたいこく)の女王。卑弥呼(ひみこ)の宗女。卑弥呼の死後、男王が立ったが国収まらず、女王に即位した。

江戸時代(えどじだい)=徳川(とくがわ)時代
 (1600or1603-1867) 江戸幕府が支配していた時代。1600関ヶ原の戦(せきがはらのたたかい)で徳川家康(とくがわいえやす)が政権を握ったこと、または1603家康が江戸幕府を開いたことに始まり、徳川氏が代々将軍に就任した。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して終わった。

『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)
 『魏志』は中国三国時代の史書『三国志』の一つ。陳寿(ちんじゅ)が編集。「倭人伝(烏丸鮮卑東夷伝倭人条)」に倭国大乱後に卑弥呼(ひみこ)が邪馬台国(やまたいこく)女王に擁立されたこと、239卑弥呼が魏に遣使し、「親魏倭王(しんぎわおう)」の印綬と銅鏡100枚をもらったこと、卑弥呼没後、宗女・壹与(いよ。台与とも)が後を継いだことなどが記されている。

狗奴国(くなこく)
 『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』によると、三世紀に倭(わ)にあった国。邪馬台国の南方にあったという。卑弥弓呼(ひみここ)が王のとき、邪馬台国と戦ったという。その所在地には諸説あるが、熊襲(くまそ)・日向(ひゅうが)・熊野(くまの)・毛野(けぬ)などが候補。

古事記(こじき)
 現存日本最古の歴史書。3巻。紀伝体。天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗唱していた昔話を太安万侶(おおのやすまろ)が編集。神代〜推古朝までを収録。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

日本書紀(にほんしょき)
 日本最古の勅撰歴史書。六国史の第一。編年体。30巻。系譜1巻(現存せず)。舎人親王(とねりしんのう)・藤原不比等らが編集。神代〜持統朝までを収録。

卑弥呼(ひみこ・ひめこ・ひむか)≒天照大神(あまてらすおおみかみ)≒倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)≒倭姫命(やまとひめのみこと)≒神功皇后(じんくうこうごう)
 (?-?) 『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)にある邪馬台国(やまたいこく)の女王。倭国(わこく)大乱後、諸国の王に推されて連合国家の女王に擁立され、鬼道(きどう。呪術)でもって国を治めたという。239から4度魏(ぎ)に遣使し、「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印(きんいん)紫綬(しじゅ)・銅鏡百枚などを与えられた。晩年は狗奴国(くなこく)の卑弥弓呼(ひみここ)と争い、248年頃に没したという。
倭国味

本居宣長(もとおりのりなが)
 (1730-1801) 国学者。四大人の一。医学を学ぶために京都に遊学し、漢学や歌学も習得、賀茂真淵(かものまぶち)に国学を学び、自宅「鈴の屋」で国学を教授、『古事記伝』で「漢心(からごころ)」を排し、「真心(まごころ)」に返ることを唱え、『玉くしげ』で大政委任論を論説、『玉勝間(たまかつま)』で復古神道を主張した。

邪馬台国(やまたいこく・やまとこく)
 『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)によると、三世紀に倭(わ)にあった連合国家。倭国大乱後に諸国の王が卑弥呼(ひみこ)を女王に擁立して連合国家を成立させ、伊都(いと)国ほか三十余りの小国を従えた。大人(たいじん)・下戸(げこ)の身分制度があり、税制や刑罰も存在したという。卑弥呼の晩年に狗奴(くな)国と対立したという。その所在地については諸説あるが、畿内説と九州説が有力。
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弥生時代(やよいじだい)
 (前5〜4世紀頃-3世紀頃) 弥生文化が栄えた時代。弥生土器・金属器を使用し、農耕の生活をした。貧富の差が生まれ、各地に小国家が乱立した。前期・中期・後期に分類。縄文時代の後を受け、大和(古墳)時代まで続く。

(わ・やまと)
 日本または大和国の古名。七〜八世紀に国名を「大倭」→「大養徳」→「大和」と改め、総名は「日本」に改めた。

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