★ 傍若無人!乱暴狼藉!素戔嗚暴れて天照激怒!? 〜 邪馬台国東遷の序章!?天の岩戸神話の真相!? |
||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2009>卑弥呼(ひみこ)の墓と宮殿?
|
邪馬台国はどこにあったのか?
九州にあったのか?(九州説。新井白石らが提唱)
畿内にあったのか?(畿内説。本居宣長らが提唱)
両方にあったのか?(東遷説。ベルツらが提唱)
はたまたもっとほかの場所にあったのか?(四国・沖縄・外国など)
江戸時代に始まり、明治時代に紛糾し、現在まで延々と続いている果てしなき論争である。
が、今年、畿内説の総本山・巻向(まきむく。纏向。奈良県桜井市)で、他説を黙らせるような大発見が相次いだ。
箸墓古墳(はしはかこふん)の築造時期が西暦240〜260年と判明し、纏向遺跡で宮殿とみられる三世紀前半の大型建物跡が発見されたのである。
畿内説の支持者たちは色めきたった。
「卑弥呼は248年頃に死んだとされているんだよ。ピッタリだねー」
「三世紀前半は卑弥呼の全盛期だしねー」
つまり、箸墓古墳を卑弥呼の墓、宮殿跡を卑弥呼の宮殿と推定したのである。
箸墓古墳については、私も卑弥呼の墓ではないかと考えている。
が、東遷説を採っている私は、宮殿跡は卑弥呼のものではなく、ライバル・大物主神(おおものぬしのかみ。大国主神?「初詣味」参照)のものだと推定している。
発表された整然と並んだ宮殿跡の配置図を見た時、まず連想したのが、「出雲大社(いずもたいしゃ。島根県出雲市)」であった。卑弥呼と同一とみられる皇祖神・天照大神を祭る皇大神宮(こうだいじんぐう。伊勢神宮内宮。三重県伊勢市)の配置とは微妙に異なっているのである。この点を見ると、やはり宮殿主は卑弥呼ではなく、大物主神だと考えざるをえない。
私は三世紀前半に、以下の構図で天神族vs.地祗(ちぎ)族の一大決戦が行われたと考えている。
九州など西日本 | ≒ | 邪馬台国 | ≒ | 高天原 | … | 天神族女王・卑弥呼 | ≒ | 天照大神 |
大和など中日本 | ≒ | 狗奴国 | ≒ | 葦原中国 | … | 地祗族国王・卑弥弓呼 | ≒ | 大物主神 |
弥生時代の日本情報誌『魏志』倭人伝によれば、卑弥呼は狗奴国との戦争中に没し、大きな墓に葬られたという。
つまり、天照大神は東征中に没し、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと。「山岳味」参照)が大物主神を降して、邪馬台国を畿内に東遷したのではあるまいか?
したがって卑弥呼は箸墓古墳に入ることができたとしても、纏向の宮殿には入ることはできなかったはずである。
はい。というわけで今回は「天孫降臨(いわゆる本家天下り)」を採り上げようと思いましたが、いまだ検証不足ですし、また何か発見されると思いますので、その前段階のお話「天の岩戸(あまのいわと・あまのいわやと。天の石屋戸・天の磐戸)神話」をお届けいたします。
どうもこの辺のお話というものは下ネタ満載で赤面モノですが、何て言っても記紀(古事記+日本書紀)に書いてありますので、仕方なく紹介する次第でございます。どうか不快な点は御了承くださいませ。えへっ!
[2009年11月末日執筆]
参考文献はコチラ
【天照大神】あまてらすおおみかみ。太陽の女神。皇祖。
【月読尊】つくよみのみこと。月の神。
【素戔嗚尊】すさのおのみこと。荒ぶる神。
【稚日女尊】わかひるめのみこと。天照大神の娘or妹。
【思兼神】おもいかねのかみ。思慮の神。高皇産霊尊の子。
【天鈿女命】あまのうずめのみこと。伎芸の女神。
【天児屋命】あまのこやねのみこと。祭祀の神。中臣氏祖神。
【太玉命】ふとだまのみこと。祭祀の神。忌部氏祖神。
【天手力男命】あまのたぢからおのみこと。力持ちの神。
【その他神々】
【伊弉諾尊】いざなぎのみこと。国生みの神。