73.無礼味 基礎用語集

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●関白(かんぱく)
 天皇が国政を執り行うのを補佐する者。初めての関白は光孝朝の藤原基経(ふじわらのもとつね)。

蔵人所(くろうどどころ)
 令外官(りょうげのかん)の一。天皇に近侍し、極秘文書や訴訟をつかさどった役所。810嵯峨(さが)天皇が設置。長官は蔵人頭(くろうどのとう)。後にその上に別当(べっとう)が置かれた。事務所は内裏(だいり)校書殿(きょうしょ)にあった。詐欺味1

蔵人頭(くろうどのとう)
 蔵人所(くろうどところ)長官。定員二人。天皇に近侍し、極秘文書や訴訟をつかさどった。810嵯峨(さが)天皇が薬子の変に備え、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)と巨勢野足(こせののたり)を任命したのに始まり、以後、公卿昇進への登竜門となった。詐欺味1

左大臣(さだいじん)
 律令制における執政官。太政大臣欠員時の最高官。国政を統括した。645大化の改新で阿倍内麻呂(あべのうちまろ)が任じられたのが最初。 

真言宗(しんごんしゅう)
 仏教の流派。空海(くうかい)が創始。天台宗(てんだいしゅう)の台密(たいみつ)に対して東密(とうみつ)と呼ばれる。京都の東寺(とうじ)や高野山(こうやさん)の金剛峰寺(こんごうぶじ)を中心に発展し、三十六流に分かれた。

蘇我入鹿(そがのいるか)蘇我鞍作(そがのくらつくり)
 (?-645) 大臣(おおおみ)。蝦夷の子。643蝦夷より大臣を譲られ、斑鳩宮(いかるがのみや)に山背大兄王(やましろのおおえのおう)を攻め滅ぼして権勢を誇ったが、645中大兄皇子(天智天皇)・中臣(藤原)鎌足らによって飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)にて殺害された。⇒乙巳の変

平 頼綱(たいらのよりつな)=平禅門(ぜんもん)
 (?-1293) 武将。内管領・侍所所司。平盛綱(もりつな)の子? 1285霜月騒動(しもつきそうどう)で御家人代表・安達泰盛(あだちやすもり)を滅ぼして権勢を誇るが、1293次男・飯沼資宗(いいぬますけむね)を将軍に擁立しようとしていると長男・平宗綱(むねつな)に密告され、執権・北条貞時(ほうじょうさだとき)に滅ぼされた(平頼綱の乱・平禅門の乱)。
揉事味

太政大臣(だじょうだいじん・だいじょうだいじん)
 律令制における最高責任者。太政官の最高官。常置ではなく、適任者がいなければ欠員。671大友(おおとも)皇子が任じられたのが最初。臣下初の太政大臣は857藤原良房(ふじわらのよしふさ)。

天台宗(てんだいしゅう)
 仏教の宗派。隋(ずい)の僧・智(ちぎ)を祖とし、法華経を基とする。日本には805最澄(さいちょう)が将来し、桓武(かんむ)天皇によって国家公認の宗派となった。十世紀末に山門派(さんもんは。延暦寺)と寺門派(じもんは。園城寺)に分裂した。

道鏡(どうきょう)弓削(ゆげ)道鏡
 (?-772) 法相宗(ほっそうしゅう)僧。義淵(ぎえん)・良弁(ろうべん)の弟子になり、孝謙上皇(こうけんじょうこう。称徳天皇)の病気を治して信任され、763少僧都(しょうそうず)・764大臣禅師・765太政大臣禅師と昇進、西大寺(さいだいじ)を建立し、766法王(ほうおう)に就任、769宇佐八幡宮の神託を利用して皇位をねらったが、和気清麻呂(わけのきよまろ)に阻まれ、称徳(しょうとく)天皇没後に失脚した。女帝味

藤原純友(ふじわらのすみとも)
 (?-941) 武将。良範(または高橋友久)の子。伊予掾(いよのじょう)となるが任期後も帰京せずに海賊となり、939日振島(ひぶりじま)を根拠に挙兵、大宰府(だざいふ)を襲うが、941小野好古(おののよしふる)・源経基(みなもとのつねもと)らに敗れ、橘遠保(たちばなのとおやす)に討たれた(藤原純友の乱)。

藤原頼通(ふじわらのよりみち)
 (992-1074)公卿。摂政・関白・太政大臣。藤原道長の子。1017父から摂政を譲られ、1019関白に就任、1053宇治に平等院鳳凰堂を建立し、1068政界から引退した。

平安京(へいあんきょう)
 (794-1868) 平安〜江戸時代の首都。京域は京都盆地北部。東西約4.5q。南北約5.2q。794桓武(かんむ)天皇が和気清麻呂(わけのきよまろ)の勧めで遷都。

弁官局(べんかんきょく)
 太政官(だいじょうかん・だじょうかん)の事務局。左弁官(さべんかん)と右弁官(うべんかん)があり、前者は中務(なかつかさ)・式部(しきぶ)・治部(じぶ)・民部(みんぶ)四省を担当し、後者は兵部(ひょうぶ)・刑部(ぎょうぶ)・大蔵(おおくら)・宮内(くない)四省を担当した。

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