2.壮絶!熾烈!赤坂城の戦!!

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イラク戦争と赤坂・千早の戦
1.楠木正成参上!
2.壮絶! 熾烈! 赤坂城の戦!!
3.怒涛! 激闘! 千早城の戦!!

後醍醐天皇、笠置山(かさぎやま)で挙兵!」
 急報を聞きつけて、鎌倉幕府首脳は動いた。
 幕府首脳とは、内管領・長崎高資
(ながさきたかすけ)得宗北条高時、その舅(しゅうと)・安達時顕(あだちときあき)らである。

 まず、糟谷宗秋(かすやむねあき)・隅田通治(すだみちはる)六波羅探題勢七万五千人に笠置山を攻囲させ、鎌倉からは大仏貞直(おさらぎさだなお)・金沢貞冬(かねざわ・かなざわさだふゆ)足利高氏ら二十万八千人の増援軍を西上させた。
「敵が攻めてくる前にこちらから先制攻撃を加える」
「圧倒的な武力を見せつけることによって、敵の戦意を喪失させる」
 これが幕府の戦略であった。承久の乱でも、これで陰謀の帝王・後鳥羽上皇に打ち勝ったのである
(「栄光味」参照)

 九月、笠置山に呼応して楠木正成河内赤坂城で挙兵した。
「この武家の時代に、まだ朝廷の権威に踊らされる愚か者もいるのか」
 幕府は一方的に後醍醐天皇を廃すると、持明院統光厳天皇を擁立、こう世間に喧伝
(けんでん)したのである。
「逆賊後醍醐はもはや帝ではない。こっちが本当の帝だ」
 そして一か月かけて笠置山を攻略、後醍醐天皇を逮捕し、天皇のシンボルたる神器を取り上げた。

 後醍醐天皇逮捕の知らせは正成らがこもる赤坂城へも伝えられた。
 しかも、今まで笠置山を攻めていた七万五千人+二十万八千人の増援軍も赤坂城下にお出ましである。
 幕府大将軍・大仏貞直が命じた。
「敵は帝を失って消沈しているはずだ。一気にもみつぶせ! 正成を討ち取ったヤツは一生遊んで暮らせるぞ!」
 それを聞いて約三十万の大軍がいっせいにうれしそうに攻め登ってきた。
「わーい!」
「一番槍
(いちばんやり)はオレだー!」
「いや、オレサマが先だー!」

「終わった……」
 普通ならあきらめるところであるが、正成は違っていた。
「帝は殺されたわけではない。殺されることはありえない。捕まったなら、助け出せばいいだけだ」
 それにはまず、眼下のウンカを片付けなければない。ウンカは険しい断崖
(だんがい)をじりじりとアリどもがはうように登ってくる。
「まだ射るなよ」
 正成は寄手を十分ひきつけておいてから、突然雷鳴のように射手たちに命じた。
「今だ、放てっ! しばいたれっ!」
 今まで静まり返っていたところへ、いっせいに無数の矢の襲撃である。
「うわっ! 矢だ!」
 矢は向かいの山に潜んで射手たちからも、土砂降りのようにピュンピュンビシビシ放たれた。
「げっ! あんなとこからも!」
「射手め、いてーよー!」
「よけるな! おまえがよけるとオレに当たる!」
 寄手は大混乱、がけを登っていた兵たちは逃げることもできずにねらい撃ちされ、次から次へと沢へ落っこちていった。
 初日の戦闘で、寄手は千人余りが死んだという。

「手ごわいじゃないか」
 二日目、寄手は慎重になった。
 城兵の様子をうかがいながら、おっかなびっくりがけをよじ登ってきた。勇敢な兵の中には、城の間際まで登ってしまった者もいた。
 それを見て、寄手たちは思った。
「どうやら敵は初日の戦で矢を使い果たしたようだ。やったぞ!」
 そうと分かると、寄手たちは大喜びして我先にと登り始めた。

 その時、正成が命じた。
「放て!」
 十分登り切ってしまった寄手たちは首をかしげた。
「放てって、何を放つの?」
 確かに、城の矢はなくなりかけていた。今度はそこらにあった大木や大石を片っ端から転がし落としてきたのである。
「わっ! こんなのあり〜!」
「こんな大きいの、よけられるかー!」
「落ちてくるな! おまえが落ちると、おれも落ちるー!」
 たちまち寄手は七百人余りが討ち落とされた。

 寄手もバカばっかではなかった。考えをめぐらした。
 多数の楯を調達し、それをおのおのに持たせて攻め寄せたのである。
 そのため城方の矢は当たらなくなった。大木も大石も尽きたようで、落ちてこなくなった。
「しめた。今度こそ、城へ乗り込むぞっ」
「手柄を立ててごほうびもらって一生遊び暮らすんだー!」
 意気込む寄手たちに、長いひしゃくが次々と差し出された。
「何これ?」
 そして、それらが傾けられると、またしても寄手に悲劇が襲った。
「アッチー! なんだこれは!」
「熱湯じゃないかー!」
「しかも、私のところに降ってきたのは臭いー!」
「沸騰させた大小便じゃないか?」
「クッソー!濃縮されとるー!」
 液体では、楯も役に立たない。またしても寄手は撤退するしかなかった。

「こうなったら、食攻め(兵糧攻め)だ」
 寄手は遠巻きにして、一切手出ししなくなった。

 正成は困った。仕掛けてこなければ、いくら彼でも手はない。籠城(ろうじょう)二十日も過ぎると、食糧も尽きてきた。
 子分の一人がぶうたれた。
「親分、このままでは腹が減って動けなくなりまっせ。今のうちに打って出ましょうや」
 正成が言った。
「あんな大軍の中に打って出るのは無意味だ。おまえらは降伏せよ」
「親分の首、敵に差し出してでっか?」
 刀を抜いて用意する子分に、正成が後ずさりして付け足した。
「ちゃうわ!わいが死んだことにするのだ。わいも逃げる。帝を救出するまでは、まだこんなところで死ぬわけにはいかない」

 正成はその辺で死んでいた敵の服や武具をはぎ取ると、寄手に変装して城を脱出した。
 ほどなくして城に火が放たれた。
 寄手は歓喜した。騒ぎ立てた。
「や!城が燃えているぞ!」
正成め!とうとうあきらめて自殺しよった!」
「城を枕に心中したようだ!」
 正成も、連中にまぎれてはやし立てた。
正成のアホ!よくも今まで散々てこずらせてくれたな!」
 連中は誰も一介の悪党たる正成の顔を知らない。まして、自分たちと同じような服を着て、楯も手にしている汚い武士を誰が正成と疑うであろうか?
 彼は散々自分のことをののしった後、どこへともなく行方をくらましていった。
 十月終わりのことであった。

三木一草
結城親光(ゆうきちかみつ)
名和長年(なわながとし。伯耆守)
楠木正成(くすのきまさしげ)
千種忠顕(ちぐさただあき)

「赤坂も落ちたか……」
 後醍醐天皇はがっかりした。
 翌元弘二年
(1332。北朝では元徳四年・正慶元年)三月、幕府後醍醐天皇隠岐に、尊良親王(たかよし・たかながしんのう)土佐に、宗良親王(むねよし・むねながしんのう)讃岐に島流しにした。
 また、日野資朝・日野俊基
(としもと)・北畠具行(きたばたけともゆき)は殺され(「子供味」参照)、文観・円観も配流された。
「朕の野望はついえてしまった……」
 がっくりと肩を落とす後醍醐天皇に、三木一草の一人で近臣・千種忠顕
(ちぐさただあき)が励ました。
「まだ正成は、どこかで生きております」

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