★ 負けない策 | ||||||||||||||
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得宗・北条高時は無敵であった。
その日も、朝からずっと勝ちまくっていた。
ワンワン! キャンキャン! ワオン、ワオーン!
闘犬の話であった。
実際の戦闘は、最後の時を迎えようとしていた。
「なんと! 稲村ヶ崎から敵軍が乱入!」
「敵軍、前浜に放火!」
「お味方、若宮小路で交戦中!」
「もうじきこのお館も、敵でいっぱい!」
高時は立ち上がって命じた。
「犬合(いぬあわせ。闘犬)は終わりだ。――あ、犬たちは檻(おり)に片づけるな。市中に放してやれ。エサは問題ない。市中には多くの死人が転がっている。もうじき、余らの遺体も転がる」
内管領・長崎高資は嘆いた。
「我々は犬のエサになるんですか?」
「敵に首を取られてさらされるよりはマシであろう」
前内管領・長崎高綱(円喜)は強気であった。
「まだあきらめることはない。我々にはいざという時のためにとっておいた最終兵器がある」
高時は思い出した。
「ああ。『一人当千』と呼ばれたあの男か?」
「そうじゃ。わし自ら烏帽子(えぼし)を授けた男、島津四郎時久(しまづしろうときひさ)!」
得宗館に「最終兵器」が呼ばれた。
「島津四郎、ただ今参上いたしました」
「四郎か。杯を取らせる」
高時は自らの酌(しゃく)で酒を勧めた。
「賊軍が目前まで迫っている」
「はい」
時久は杯を取った。
「賊に勝てる策はあるか?」
時久が三杯飲み干してから答えた。
「ございませぬ」
「そうか、ないか」
「ただし」
「ただし?」
「負けない策はございまする」
「どのような策か?」
「人に漏らせば、策ではなくなりまする」
「余にもか?」
「はい」
高時は苦笑した。
時久は真顔のままであった。
高時はうなずいた。
「余はおぬしを信じておる。申さずともよい。その策をやってくれぬか?」
「いくつか用意しなければならないものが」
「何だ?」
「とびっきりの鎧(よろい)と兜(かぶと)を私に」
「わかった。用意させよう。ほかには?」
「とびっきりの馬と鞍(くら)を私に」
「なるほど。ほかは?」
「とびっきりの太刀(たち)と弓矢と母衣(ほろ)を私に。これだけ用意してくだされば、負けませぬ」
「あいわかった。すべてすぐに用意させよう。用意できたらすぐにでも取り掛かれるか?」
「はい。すぐにでも」
「もう一度聞く。これで絶対に負けることはないのだな?」
「はい。私は負けませぬ」
高時はこれらをすべて用意した。
きらびやかな鎧兜を身に付け、ピッカピカの太刀を指し、鮮やかな母衣と赤旗を背負い、白鞍を載せた関東無双の名馬「白浪(しらなみ)」にまたがった時久は、見違えるほどの花武者になっていた。
高時は目を細めた。
「とてつもなく強そうではないか。容姿だけでも十分に敵を威圧することができるであろう」
「では、行って参ります」
「うむ」
高時は幕閣を引き連れて門前まで見送った。
そして、出撃する時久の背中に声をかけた。
「島津四郎! にっくき敵どもを、始末しろー!」
「はあ!」
時久は砂しぶきを上げながら、さっそうと由比ヶ浜(ゆいがはま。鎌倉市)を駆けた。
新田義貞の軍勢は、すぐそばまで来ていた。
兵たちは時久の存在に気が付いた。
「なっ、なんだ、あの格好つけ野郎は!」
「派手派手!」
「神ってる〜!」
「きっと名のある武士に違いない!」
「よーし、俺が討ち取る!」
「相当強そうだぞ」
「何、敵は単騎だ。お前たち、弓矢で後援を頼む」
「待て! あの馬は見たことがあるぞ! 白浪ではないか!」
「関東無双とかいう名馬か!」
「ってことは、乗ってるのは得宗一門!」
兵たちが騒いでいるのを見て、新田義貞も時久の勇姿に気が付いた。
義貞はホエエとなった。
「欲しい!」
兵たちが見上げると、馬上の義貞はすごいおもちゃを発見したガキの顔になっていた。
「欲しい!あの馬も、鞍も、太刀も、弓矢も、兜も、鎧も、すべてが欲しすぎるぜー!」
義貞は兵たちに命じた。
「あやつを逃がすな! 絶対に逃がすな! 何が何でも生け捕りにするのだっ!
そうだ! 逃げられないよう取り囲め! 弓を構えるな! 矢は放つな! 刀もナシだ!
武器は一切使うな! 馬や鎧兜に傷がついてしまう!」
「では、どうやってあやつを捕まえるので?」
「網だ! 網を使え! 網を張り巡らせてジリジリと追い詰めるのだ!」
「そんなもん、戦場にありませんけど〜」
「漁師に借りてこればいいであろう!」
兵たちはとりあえず時久を取り囲んだ。
時久は名乗りを上げた。
「やあやあ! 我こそは清和天皇(「諾威味」参照)の後胤、薩摩守護・島津上総介忠宗の四男、『一人当千』と呼ばれた猛将・島津四郎時久なり(「島津氏系図」参照)!」
ざわめいていた兵たちは黙ってしまった。
時久は続けた。
「腕に覚えのある者は、いざ神妙に勝負しろ! と、言いたいところであるが、パッと見、貴殿らは万単位!
一人当千の私ですら勝てる相手ではない! よって、潔く降参することにした!」
時久は下馬すると、兜を取った。
「ただでとは申さぬ!」
鎧を脱ぎ、太刀や弓矢、母衣も赤旗もすべて下ろして前に並べた。
「寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! この名馬も、この超高そうな武具も馬具も、これらすべて御大将新田義貞様に差し上げまする〜! ははあーっ!」
時久は平伏した。
兵たちは拍子抜けした。
シンとなった後はどよめいた。
ボロクソに言う者もいた。
「何だ、あいつは!」
「強そうに見えたのに、とんだハッタリだったぜ!」
「一太刀も交える前に降参だと! 武士の風上にも置けない、卑怯この上ない腰抜け野郎じゃねえか!」
しかし、義貞はホクホクしていた。
満面の笑みでブリブリ怒っている兵たちをたしなめた。
「何を言っているのだ、お前たち。あれこそ武士の鑑だ。自ら活路を切り開かなければ、武士を続けることはできぬ。忠義に殉じて死ぬことなどに意味があろうか?」
時久が新田軍に投降した知らせは、得宗館にももたらされた。
「キーッ!」
高時は怒り狂った。
「何が『負けない策』だ! 絶対負けないなんて、ウソばっかじゃねえか! あーっ、クッソほら吹き野郎め!
よくもまあ、あんな、抜け抜けしゃあしゃあと、余をたばかりよったものだっ!」
長崎高資が言った。
「得宗。お言葉ですが、島津四郎は何もウソをついてはおりませぬ」
「何だと?」
「ヤツは『私は負けませぬ』と、申したのです。幕府が負けないとは、一言も申しておりませ〜ん」
高時は舌打ちした。歯ぎしりした。地団駄踏んで悔しがった。
「こいつは一杯食わされたぜーっ!」
(「一線味」へつづく)
[2016年6月末日執筆]
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参考文献はコチラ
※ 島津氏の本姓は、清和源氏より惟宗氏の可能性が高いようです。
※ そうそう。島津時久の兄・島津貞久は、少弐貞経・大友貞宗とともに鎮西探題・赤橋英時を攻め殺しています(「熊本味」参照)。