3.頓

ホーム>バックナンバー2021>令和三年1月号(通算231号)三密味 空海vs修円3.頓

三密は空海
1.栗
2.禁
3.頓

 高野山で実恵が怒っていた。
「いつまでこんなことをやっているんだ!」
 真紹が答えた。
「修円か開祖さま、どちらかが死ぬまででしょう」
「もうやめろ! 我々は僧だぞ! 殺生は五悪の筆頭だぞ! 仏教の大家同士が殺し合いなんて、恥ずかしいと思わぬのかっ!」
 真紹が提案した。
「そうだ! 開祖さまに死んでもらえばいいんですよ! そうすれば、不毛な戦いを終わらせることができます」
「何いぃー!? 開祖さまを殺す気かー!?」
「そうではありません。開祖さまにはしばらく死んだふりをしてもらうのです。そうすれば、修円は刺客を差し向けるのをやめるしかありません。向こうの攻撃がやんでしまえば、もうこっちのものです」
 真済も賛成した。
「やむを得まい。開祖さまを守るためじゃ」

五悪
殺生
偸盗(ちゅうとう)
邪淫(じゃいん)
妄語(もうご)
飲酒(おんじゅ)

 こうして空海には、しばらく死んだふりをしてもらうことになった。
 埋葬したことにして、金剛峰寺奥之院の御廟
(ごびょう)にある地下の石室に閉じこもってもらったのである。
「開祖さまは承和二年(835)三月二十一日、金剛峰寺にてお亡くなりになりました。享年は六十二です」
 真紹は死亡を偽装するため、葬儀用具一式をへ買いに行かせた。

空海が死んだだと!」
 フェイクニュースを聞きつけて信じた修円は、小躍りして喜んだ。
 そして、高野山に刺客を差し向けるのをやめてしまったのである。
 同年六月十五日、修円は室生寺で死んだ。享年六十五。
 おそらく、刺客に殺されたのであろう。

 ほどなくして、修円の死が金剛峰寺にもたらされた。
「我々は勝った! これで開祖さまは死んだふりをされている理由はなくなった」
「ですね。私が呼んできます」
 真紹は奥之院の御廟に向かったが、石室の扉の開閉を担当していた維那
(ゆいな・いな)の僧がいなくなっていた。
「あれ?維那はどこに行った?」
 近くに僧たちに聞いてみたが、誰も知らなかった。
 そこで石室の扉越しに空海に聞いてみた。
「維那が見えませんが、御存知ありませんか?」
 すると、空海は驚くべきことを言い出した。
「維那なら、先程、私の着替えを手伝ってくれていたのだが、急に倒れてそのまま動かなくなってしまった。どうやら持病の発作が出て死んでしまったようだ」
 真紹は困惑した。扉を押したり引いたりしてみたが開かなかった。
「維那は内側からカギをかけた後で倒れちゃったようですね。内側からしか無理ですので、開祖さまがカギを開けてみてください」
「カギはどこにあるのか?」
「維那が持っていると思いますが」
「暗くてよくわからない」
「維那の体を手探りしてみてください」
 さわさわさわ。
「それらしきものは、ないなあ」
「ええい! 人を呼んできますねっ」
「頼む」
 真紹は僧を大勢連れてきて力づくで扉を開けようとしたが開かなかった。
「ダメです。押しても引いてもびくともしません」
「カギがあるのなら、カギでしか開かないでしょう」
「強引に扉を破壊しますか?」
「そんなことしたら、岩が崩れて開祖さまが下敷きになっちゃいますよ!」
「じゃあ、どうすればいいんですか!?」
「どうしようもない……」
 そこへ、実恵と真済も駆けつけてきた。
「まったく、何てことになってしまったんだ!」
「死んだふりのはずが、このままでは本当に頓死しちまうじゃないか!」
「縁起でもないこと言うんじゃない!」
 コン、コン、コン。
「大丈夫ですよ、開祖さま、絶対に助けますから〜」
「どうやって助けるんだよー!?」
「助ける方法があったら言ってみやがれ!」
「だから、それをみんなで考えるんだろうがー!」
「いい方法が見つかるよ。三人以上集まったんだ。『三人寄れば文殊の知恵』って言うじゃないか」
「アホー! この状況は『船頭多くして船山に上る』じゃねーかー!」
 騒ぎ出したそ弟子たちに、
「うるさい!」
 と、空海が一喝した。
「もうよい!これこそ仏が私に与えてくれた最期にして最高の好機だ。私はこのまま即身成仏することにした。みんなもう帰れ! 邪魔するでない! さらばだ!」
「そんな〜」
「『人を呪わば穴二つ』とは、まさにこのことだ。修円を怒らせて争いを招いた根本は私にある。法相宗との遺恨を消し去るには、私が死ぬしかない。潔く責任を取るのが最高上司というものだ」
 弟子たちは号泣した。
 みんなして泣きながら扉にすがりついた。
「私はまだまだ開祖さまに聞きたいことがあるのに〜」
「拙僧もです〜」
「法力を教えて下さい〜」
「願わくば、師をここから出せる法力を!」
「そうじゃ! 拙僧はそれ以外に何も望みませぬ〜」
「私もです!」
「私も!」
 空海も泣いていた。
「言ったであろう。私は即身成仏するのだ。死ぬのは見せかけだけで、本当は生きているのだ。聞きたいことがあれば、いつでも聞きに来るがよい。私は永遠に生きている!」
 空海は真言を唱え始めた。
 語りかけてももう何も答えず、一心に真言だけを唱え続けた。

 数日後、新しく維那になった僧から報告があった。
「今朝から真言が聞こえません」
 みんなで御廟に確認に行くと、確かに真言は聞こえなくなっていた。
「本当だ。真言が聞こえない……」
 実恵は爆涙した。
「とうとう逝かれてしまったのか……」
 真済も泣き崩れた。
 それでも、真紹は認めなかった。
「いいえ、聞こえますよ! 私にはまだ真言が聞こえるんですよっ! だって開祖さまは、永久に生きているんですから!」

[2020年12月末日執筆]
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※ 弊作品の根幹史料は『今昔物語集』です。
※ 『今昔物語集』には刺客の差し向け合いは書かれていませんが、法力を現実的に解釈すればそうなります。

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