231.三密味 基礎用語集

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(いち)
 物品を持ち寄って売買する場所。平城京・平安京には左京に東市(ひがしのいち)、右京に西市(にしのいち)という官営市場があり、市司(いちのつかさ)が管理し、正午に開かれ、日没に閉じられた。

教王護国寺(きょうおうごこくじ)=東寺(とうじ)
 京都市南区所在。真言宗東寺派総本山。794平安京遷都の際に西寺(さいじ)とともに創建され、823嵯峨(さが)天皇が空海(くうかい)に下げ渡して真言宗の中心となった。五重塔・金堂・大師堂・蓮華門・僧形八幡神像・西院不動明王像・真言七祖像・両界曼荼羅・「風信帖」などは国宝。三密味

空海(くうかい)=弘法大師(こうぼうだいし)
 (774-835?) 僧。真言宗・書道大師流の祖。書道三聖・三筆の一。佐伯田公(さえきのたきみ)の子。上京して大学へ学んだ後に出家し、804遣唐使に従って入唐、青竜寺の恵果(けいか)に密教を学んで806帰国し、高雄山寺に居住、816嵯峨天皇に高野山を賜り金剛峰寺を、823東寺を賜り教王護国寺(きょうおうごこくじ)を創建して真言宗を布教、824少僧都・827大僧都となり、828綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を創設、『三教指帰(さんごうしいき)』『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』などを著し、最澄(さいちょう)宛の書簡「風信帖(ふうしんじょう)」を残した。三密味 引籠味

華厳宗(けごんしゅう)
 仏教の流派。華厳経に基づき唐の法蔵が開宗。日本には736道セン
(どうせん)が伝え、審祥(しんじょう)が東大寺で講じ、良弁(ろうべん)が確立した。平安時代に衰えたが、鎌倉時代に高弁らが復興した。盧舎那大仏は同宗の教主で、東大寺が大本山。

顕教(けんぎょう)
 密教に対し、言語で明らかにされた表の教えのこと。密教で自宗以外の宗派のことをいい、南都六宗や初期の天台宗を指す。

興福寺(こうふくじ)
 奈良県奈良市所在。法相宗(ほっそうしゅう)大本山。藤原氏の氏寺。藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が建立した山階(やましな)寺をその子・不比等(ふひと)が奈良に移したもの。平安時代以降は北嶺(延暦寺)と並んで日本の仏教教学の中心となり、中世には大和国守護を兼ねた。

高野山(こうやさん)
 和歌山県高野町にある標高千メートル内外の山地。真言宗(しんごんしゅう)総本山・金剛峰寺(こんごうぶじ)がある。三密味
引籠味

金剛峰寺(こんごうぶじ)
 和歌山県高野町所在。真言宗総本山。山号高野山(ひえいざん)。唐から帰国した空海が816建立し、古義真言宗の中心となり、多くの荘園や僧兵を抱えた。三密味
引籠味

今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)
 平安時代の説話集。三十一巻(三巻散在)。現存千四十話。編集者は不明だが、源隆国(みなもとのたかくに)とも伝えられている。大正時代の文豪・芥川竜之介(あくたがわりゅうのすけ)が考証し、『鼻』『芋粥(いもがゆ)』などを著した。
熊野味 アユ味 泥棒味 役人味 増税味 取違味 揉消味 三密味

●嵯峨太上天皇(さがだいじょうてんのう)=嵯峨上皇(さがじょうこう)←嵯峨天皇←神野親王=賀美能親王(かみのしんのう)
 (786-842) 伝五十二代天皇(在位809-823)。三筆(さんぴつ)の一人。桓武(かんむ)天皇の皇子。平城(へいぜい)天皇の弟。兄の譲位で即位し、検非違使(けびいし)や810蔵人所(くろうどのところ)を設置、蔵人頭に北家の藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)らを登用し、式家の藤原仲成(なかなり)・薬子(くすこ)兄妹らを排斥(薬子の変)、820『弘仁格式(こうにんきゃくしき)』を完成、漢詩集814『凌雲集(りょううんしゅう)』・818『文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)』・814系譜集『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』を編集させた。842死後、承和(じょうわ)の変が起こった。
内乱味 告発味 安保味 不戦味 三密味

三論宗(さんろんしゅう)
 仏教の流派。三論(中論+十二門論+百論)に基づき空・中道を説く。普の鳩摩羅什(くまらじゅう)が伝え、隋の吉蔵が確立した。日本には高麗の慧灌(えかん)が伝え、奈良時代に興隆した。

真言宗(しんごんしゅう)
 仏教の流派。空海(くうかい)が唐から将来して開宗。天台宗(てんだいしゅう)の台密(たいみつ)に対して東密(とうみつ)と呼ばれる。京都の東寺(とうじ)や高野山(こうやさん)の金剛峰寺(こんごうぶじ)を中心に発展し、三十六流に分かれた。

天台宗(てんだいしゅう)
 仏教の宗派。隋(ずい)の智(ちぎ)を祖とし、法華経を基とする。日本には805最澄(さいちょう)が将来し、桓武(かんむ)天皇によって国家公認の宗派となった。十世紀末に山門派(さんもんは。延暦寺)と寺門派(じもんは。園城寺)に分裂した。

南都六宗(なんとろくしゅう)
 奈良時代の仏教六学派のこと。三論宗・成実宗・法相宗・倶舎宗・華厳宗・律宗。一つの寺院に複数学派が伝わっており、東大寺には六学派が並存した。

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。1869から事実上の首都は東京。

平安時代(へいあんじだい)
 (794-1185頃) 平安京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。794桓武(かんむ)天皇の平安遷都に始まり、初期は天皇家が、前中期は藤原氏が、後期は院政の主が、末期は平家が政権を担った。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置(事実上の鎌倉幕府の創立)頃までをいう。

法相宗(ほっそうしゅう)=唯識宗(ゆいしきしゅう)
 南都六宗の一つ。万物の諸相を明らかにしようとする仏教の宗派。玄奘(げんじょう。三蔵法師)の弟子・基(き。慈恩大師)が確立し、日本には七〜八世紀に道昭(どうしょう)・智通(ちつう)・智鳳(ちほう)・玄ム(げんぼう)らが将来、元興寺(がんごうじ)と興福寺(こうふくじ)に伝えられた。現在の本山は興福寺と薬師寺(やくしじ)。 

密教(みっきょう)
 仏教の秘密の教え。表の顕教(けんぎょう)に対する裏仏教。教主は大日如来(だいにちにょらい)で、「大日経」「金剛頂経」などを経典とし、祈祷(きとう)を重視する。八世紀にインドから中国に伝えられ、九世紀初めに最澄(さいちょう)が台密(たいみつ)を、空海(くうかい)が東密(とうみつ)を伝えた。手で印を結び、口で真言を唱え、心に仏像を観じる(三密の行)ことにより、仏と一体になることを目指すという。

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