25.選挙味 基礎用語集!

板垣退助(いたがきたいすけ)
 (1837-1919) 武士・政治家。参議・内相。土佐高知藩士。1868-1869戊辰(ぼしん)戦争や1871廃藩置県の活躍で参議に就任、西郷隆盛(さいごうたかもり)らとともに留守政府を主導したが、1873征韓論争で破れて下野(明治六年の政変)、1874民撰議院設立建白書を提出し、東京で愛国公党(あいこくこうとう)を、土佐で立志社(りっししゃ)を、1875大阪で愛国社(あいこくしゃ)を結成、自由民権運動を主導するが、大阪会議で大久保利通(おおくぼとしみち)と和解、一時参議に復帰するがまもなく辞め、1878愛国社を再興、1880国会期成同盟(こっかいきせいどうめい)と改め、1881自由党を結成、第二次伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣・第一次大隈重信(おおくましげのぶ)内閣で内相を務めた。

伊藤博文(いとうひろぶみ)
 (1841-1909) 武士・政治家。首相(在職1885-1888,1892-1896,1898,1900-1901)・元老。長門萩(長州)藩士。1871-1873岩倉遣外使節副使として欧米を視察、参議兼工部卿・内務卿などを経て、1885内閣制度を創設、初代首相になり、大日本帝国憲法(明治憲法)を作成、1887保安条例を定め、1888枢密院(すうみついん)議長に就任、1892再度組閣し、1894条約改正を実現、1894-1895日清戦争を遂行し、1895李鴻章(りこうしょう)と下関(しものせき)条約を調印、台北(タイペイ)に台湾総督府を設置し、1896退陣、1898三度組閣するが、憲政党成立により退陣、1900立憲政友会(りっけんせいゆうかい)を結成して四度組閣し、1901退陣後も元老(げんろう)として君臨、1905統監府(とうかんふ)設置されると初代韓国統監に就き、1904第一次・1905第二次・1907第三次日韓協約を重ね韓国併合を目指すが、1909韓国独立運動家・安重根(あんじゅうこん)に射殺された。

植木枝盛(うえきえもり)
 (1857-1892) 政治家・思想家。1874板垣退助(いたがきたいすけ)らと立志社(りっししゃ)を創設し、1875愛国社を再興・1880国会期成同盟・1881自由党結成にも参加、私擬憲法『東洋大日本国国憲按(とうようだいにほんこくこっけんあん)』を起草し、1890第一回総選挙で衆院議員に当選、『民権自由論』『天賦人権弁(てんぶじんけんべん)』『民権自由論』などを著し、「民権かぞえうた」などを作った。

大井憲太郎(おおいけんたろう)
 (1843-1922) 政治家・思想家。箕作麟祥(みつくりりんしょう)に学び、講法学社・明法社を創設、自由民権運動で活躍し、1885大阪事件を起こして逮捕されるが、1889大日本帝国憲法発布の大赦で出獄、大同団結運動に参加し、自由党を再興、1892別れて東洋自由党を結成した(翌年解党)。

大久保利通(おおくぼとしみち)
 (1830-1878) 武士・政治家。参議・内務卿。薩摩鹿児島藩士。島津斉彬(しまづなりあき)・島津久光(ひさみつ)に仕え、公武合体に努めたが、後に倒幕に転じ、第二次長州征討(征伐)に西郷隆盛(さいごうたかもり)とともに反発、1867岩倉具視(いわくら)とともに王政復古を実現し、1868参与(さんよ)に就任、1869版籍奉還・1871廃藩置県に活躍し、大蔵卿(おおくらきょう)として殖産興業に尽力、1871-1873岩倉遣外使節に副使として従い、1873参議に就いて征韓論を唱える西郷らを排除(明治六年の政変)、内務卿を兼ねて実権を握り、1874佐賀の乱を鎮めて台湾出兵を断行、1875大阪会議で木戸孝允(きどたかよし)・板垣退助(いたがきたいすけ)と和解し、1876神風連(じんぷうれん)の乱・秋月(あきづき)の乱・萩(はぎ)の乱・1877西南戦争を鎮圧したが、1878不平士族に暗殺された(紀尾井坂の変)。

大隈重信(おおくましげのぶ)
 (1838-1922) 武士・政治家。首相(在職1898,1914-1916)。肥前佐賀藩士。大蔵大輔として鉄道開設に尽力し、1870参議・1873大蔵卿に就任、地租改正や殖産興業を進めるなど大隈財政を展開したが、1881開拓使官有物払下げ事件に端を発した明治十四年の政変で失脚、1882立憲改進党を創立し、東京専門学校(今の早稲田大)を創設、1888外相として条約改正交渉に挑むが1889大隈重信暗殺未遂事件を招いて挫折(ざせつ)、改進党を進歩党に改組し、1898自由党と合同して憲政党を結成、日本初の政党内閣(隈板内閣)を組閣するも分解、1912第一次護憲運動で政界に復帰し、1914再び首相に就任、第一次世界大戦へ参戦し、ドイツ租借地青島(チンタオ)やドイツ領南洋諸島を占領、1915中国の袁世凱(えんせいがい)に対華二十一か条の要求を突きつけるが、1916元老と対立して辞任した。 

大阪事件(おおさかじけん)
 1885大阪で起こった自由党員らの陰謀事件。大井憲太郎(おおいけんたろう)・磯山清兵衛(いそやませいべえ)らが朝鮮に独立党(開化派)政権樹立を計画、1884庚申(こうしん)事変で独立党がクーデターに失敗すると、これを援助するため渡海を試みるが、大阪で逮捕された。

大村益次郎(おおむらますじろう)←村田蔵六(むらたぞうろく)
 (1824-1869) 武士・軍学者。広瀬淡窓(ひろせたんそう)や緒方洪庵(おがたこうあん)らに学び、適塾(てきじゅく)塾頭に就任、江戸に鳩居堂を開き、幕府の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)・講武所(こうぶしょ)に勤務、1860長州藩で軍制改革を行い、1863長州外国船砲撃事件の講和に尽力、1866第二次長州戦争で認められ、1868上野戦争など戊辰(ぼしん)戦争でも活躍、1869兵部大輔としてフランス式軍制を取り入れて陸軍を創設するが、京都で反対浪士に暗殺された。

片岡健吉(かたおかけんきち)
 (1843-1903) 政治家。板垣退助(いたがきたいすけ)とともに1874土佐に立志社(りっししゃ)を創設、社長となり、民撰議院設立建白書を提出したが却下され、1880国会期成同盟(こっかいきせいどうめい。愛国社の後身)代表として太政官(だじょうかん・だいじょうかん)に国会開設請願をするも却下、1887三大事件建白運動を進めて処罰され、1890立憲自由党創立に参加、第一回総選挙以降衆院議員になり、衆院議長にも就任、1900立憲政友会(りっけんせいゆうかい)結成にも参加した。

加波山事件(かばさんじけん)
 1884茨城県で起こった自由党員らの蜂起事件。栃木・福島・茨城県の自由党員が福島事件を弾圧した栃木県令・三島通庸(みしまみちつね)や政府高官の暗殺を計画、露見して加波山で蜂起したが鎮圧され、富松正安(とみまつまさやす)ら七名が処刑された。

貴族院(きぞくいん)=貴院(きいん)
 (1890-1947) 大日本帝国憲法のもと、衆議院とともに帝国議会を構成した両院の一つ。皇族・華族および世襲・勅撰(勲功者・学識者)・多額納税者が議員になった。権限は衆議院とほぼ対等。1947日本国憲法により廃止。

奇兵隊(きへいたい)
 (1863-1869) 1863高杉晋作が下関(しものせき)の豪商・白石正一郎(しらいししょういちろう)の援助を得て組織した軍隊。初代総管は高杉。隊員数は四〜五百人ほど。隊員の三割は庶民で、第二次長州戦争・戊辰(ぼしん)戦争で活躍した。1869解散。

黒田清隆(くろだきよたか)
 (1840-1900) 武士・政治家。薩摩鹿児島藩士。1868-1869戊辰(ぼしん)戦争で活躍し、1869函館戦争(はこだいせんそう。五稜郭の戦)で敗れた榎本武揚(えのもとたけあき)を助命、開拓使次官・開拓使(かいたくし)長官として北海道開拓に努め、1873屯田兵(とんでんへい)を創設、1876日朝修好条規を結び、1881開拓使官有物払下げ事件に関わって辞職、農商務相・枢密院(すうみついん)議長を経て1888首相に就任、1889大日本帝国憲法を発布し、超然主義を主張、辞任後は元老として重きをなした。

群馬事件(ぐんまじけん)
 1884群馬県で起こった自由党員らの蜂起事件。湯浅理兵(ゆあさりひょう)・小林安兵衛(こばやしやすべえ)らが鉄道開通式に政府高官の暗殺を計画、式が延期されたため妙義山麓(みょうぎさんろく)で蜂起し、警察署や高利貸を襲撃、湯浅・小林らは逮捕された。

元老(げんろう)
 明治〜昭和時代初期の長老権力者。天皇に代わって首班選定や重要政策決定にあたった。伊藤博文(いとうひろぶみ)・井上馨(いのうえかおる)・山県有朋(やまがたありとも)・大山巌(おおやまいわお)・黒田清隆(くろだきよたか)・西郷従道(さいごうつぐみち)・松方正義(まつかたまさよし)の七人。後に桂太郎(かつらたろう)・西園寺公望(さいおんじきんもち)・大隈重信(おおくましげのぶ)が加えられた。

河野広中(こうのひろなか)
 (1849-1923) 政治家。石陽社・三師社を創設して東北の自由民権運動を主導、自由党幹部として活躍し、1882福島県会議長のときに福島事件を起こして逮捕されるが、1889大日本帝国憲法発布の大赦で出獄、1886-1889大同団結運動に参加し、1890第一回総選挙以降衆院議員として活躍、衆院議長・農商務相などを務めた。

後藤象二郎(ごとうしょうじろう)
 (1838-1897) 武士・政治家。参議。土佐高知藩士。藩主・山内豊信(やまうちとよしげ。容堂)を動かして徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に大政奉還(たいせいほうかん)を勧め、明治政府の参与(さんよ)・左院(さいん)議長・参議等を務めたが、征韓論争で破れて下野(明治六年の政変)、1874板垣退助(いたがきたいすけ)らと民選議院設立を建白し、1881自由党結成にも参加、1886藩閥(はんばつ)政府に反発するため大同団結運動を提唱したが、後に融和し、逓信相・農商相等を務めた。

参議院(さんぎいん)=参院(さんいん)
 (1890- )日本国憲法のもと、衆議院とともに国会を構成する両院の一つ。議員定数は二百四十二人(当初は二百五十二人)。任期は六年で、三年ごとに半数改選。解散はない。

紙幣整理(しへいせいり)
 1881大蔵卿(おおくらきょう)・松方正義(まつかたまさよし)が行った経済政策。明治維新以降に乱発したため価値が下がっていた不換紙幣を消却し、経済の引き締めを図ったこと。消却の財源として、酒税・煙草税を増税、歳出を削減し、官営事業払い下げなどを行った。結果、松方デフレを招いたが、銀本位制は確立した。

衆議院(しゅうぎいん)=衆院(しゅういん)
 (1890- )日本国憲法のもと、参議院とともに国会を構成する両院の一つ。戦前は、大日本帝国憲法のもと、貴族院とともに帝国議会を構成。戦前は予算の先議権が認められ、戦後は加えて法律の再議決などが認められている(衆議院の優越)。

衆議院議員選挙法(しゅうぎいんぎいんせんきょほう)
 (1889-1950) 衆議院議員の選挙に関する法律。1889大日本帝国憲法とともに公布。直接国税十五円以上を納める二十五歳以上の男子に選挙権が与えられ(被選挙権は三十歳以上)、原則小選挙区制・記名捺印投票方式が規定されたが、1900第二次山県有朋(やまがたありとも)内閣で納税資格が十円以上(被選挙権は撤廃)・原則大選挙区制・無記名投票に改正、1919原敬(はらたかし)内閣で三円以上・原則小選挙区制に改正、1925加藤高明(かとうたかあき)内閣で納税資格が撤廃され、男子の普通選挙が実現、1945幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣で婦人参政権が認められ、選挙権も二十歳以上に引き下げられた(被選挙権は二十五歳以上)。1950公職選挙法施行により廃止。

自由党(じゆうとう)=立憲(りっけん)自由党
 (1880-1884,1890-1898) 国会期成同盟(こっかいきせいどうめい)を中心として結成された政党。総理・板垣退助(いたがきたいすけ)、副総理・中島信行(なかじまのぶゆき)。主権在民・一院制・フランス流の共和制を主張し、自由民権運動を主導したが、1884政府の圧力によって解党、1890大井憲太郎(おおいけんたろう)らが立憲自由党として再興し、1891星亨(ほしとおる)が板垣を総裁に迎えて自由党と還称、1898進歩党(しんぽとう)と合同し、憲政党(けんせいとう)となった。

自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)
 明治前期に国民の自由と権利を要求した政治運動。1874板垣退助(いたがきたいすけ)らの民撰議院設立建白書の提出(国会開設要求)に始まり、立志社(りっししゃ)・愛国社(あいこくしゃ)などの政社、自由党・立憲改進党(りっけんかいしんとう)などの政党が結成され、全国に広まっていったが、政府はこれを弾圧、福島事件・加波山(かばさん)事件・秩父(ちちぶ)事件などが鎮圧され、大同団結運動を最後に衰えた。

自由民主党(じゆうみんしゅとう)=自民党(じみんとう)
 (1955- )自由党と民主党の保守合同によって成立した政党。初代総裁は鳩山一郎(はとやまいちろう)。結党以来一貫して政権を保持したが、1993に分裂、初めて野党に転落するが、1994再び政権党に返り咲き、2009再び野党に転落した。

清(しん)
 (1616-1912) 近世〜近代の中国の王朝。1616太祖ヌルハチが女真族を統一して後金(ごきん)を興し、二代太宗ホンタイジが国号を清と改称、三代世祖順治帝が北京を攻略して首都となし、中国を統一したが、1840アヘン戦争を機に諸外国に侵食され、1894-1895日清戦争で日本に敗北、1911辛亥(しんがい)革命が起こり、1912宣統帝溥儀(ふぎ)の退位によって滅びた。

新聞紙条例(しんぶんしじょうれい)
 (1875-1909) 新聞・雑誌取締法。1875自由民権運動の言論活動を抑える目的で制定。極端な政府批判を禁止し、違反者は逮捕や発行を停止させられた。処罰者は末広鉄腸(すえひろてっちょう)ら。1909廃止。

第一議会(だいいちぎかい)=第一回帝国議会
 (1890.11-1891.2) 第一回衆議院議員総選挙で過半数を得た立憲自由党など民党は「政費節減(予算削減)」「民力休養(減税)」を唱えて政府と対立したが、政府は自由党の土佐派(竹内綱・林有造・片岡健吉・植木枝盛ら)の切り崩しに成功(土佐派の裏切り)、軍拡予算案を通した。 選挙味1

第一次松方正義内閣(だいいちじまつかたまさよしないかく)=第一次松方内閣
 (1891-1892) 1891山県有朋(やまがたありとも)辞職後、松方正義が組閣、大津事件を処理し、第二議会を開くが、予算審議で民党と決裂して、海相・樺山資紀(かばやますけのり)が蛮勇演説(ばんゆうえんぜつ)をしでかして衆院を解散、1892内相・品川弥二郎(しながわやじろう)の指揮で選挙干渉を行ったが民党に勝てず、第三議会も不利な立場は変わらず総辞職した。 選挙味2

第一回衆議院議員総選挙(だいいっかいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)
 日本初の総選挙。衆議院議員選挙法などによって1890実施。有権者は総人口の1.1%、投票率は93.9%に昇った。立憲自由党など民党が過半数を占めた。

大日本帝国憲法(だいにほん・だいにっぽんてんこくけんぽう)=明治憲法
 (1890-1947?) 明治中期〜昭和前期の日本の憲法。七章七十六条。欽定(きんてい)憲法。1889.2/11明治天皇が公布。1890.11/29帝国議会開会とともに施行。伊藤博文(いとうひろぶみ)がシュタイン・グナイスト・ロエスレル・モッセらにドイツの憲法を教わり、井上毅(いのうえこわし)・伊藤巳代治(いとうみよじ)・金子堅太郎(かねこけんたろう)らとともに起草。天皇大権・臣民の権利や義務・議会の組織・輔弼(ほひつ)機関などを規定した。1947日本国憲法施行により事実上失効した。

高杉晋作(たかすぎしんさく)
 (1839-1867) 武士。長門萩(長州)藩士。吉田松陰(よしだしょういん)の松下村塾(しょうかそんじゅく)や江戸の昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ。昌平黌)で学び、藩校・明倫館(めいりんかん)館長に就任、1862上海(シャンハイ)へ渡海した後、久坂玄瑞(くさかげんずい)らと品川(しながわ)のイギリス公使館を焼き打ち、1863長州藩外国船砲撃事件を機に奇兵隊を結成、 1864四国連合艦隊下関砲撃事件で講和にあたるが、藩の保守派(俗論派)と対立して脱藩、1865伊藤博文ら(いとうひろぶみ)らと奇兵隊を率いて下関(しものせき)で挙兵し(功山寺の決起)、保守派を倒して藩政を掌握、1865-1866第二次長州戦争では豊前小倉(こくら)で奮戦するが、病没した。

高田事件(たかだじけん)
 1883新潟県で起こった自由党員らの陰謀事件。新潟裁判所高田支所検事・堀小太郎(ほりこたろう)ら検察・警察が自民党員の自供を捏造(ねつぞう)、内覧陰謀のぬれ衣をかけ、八木原繁祉(やぎはらしげとし)・赤井景韶(あかいかげあき)らを逮捕した。

秩父事件(ちちぶじけん)
 1884埼玉県で起こった自由党員らの蜂起事件。松方デフレの影響で不況となり、生活に困った秩父の人々が困民党や借金党を結成、田代栄助(たしろえいすけ)を総理に、井上伝蔵(いのうえでんぞう)を会計長とし、減税や借金棒引きを求めて高利貸しを襲撃、警察隊と戦ったが鎮圧され、田代らは死刑にされた。

帝国議会(ていこくぎかい)
 (1890-1947) 大日本帝国憲法における最高立法機関。ただし、立法権は天皇大権に含まれるため、権限は弱かった。貴族院と衆議院の二院で構成。1890第一議会に始まり、第九十二議会まで続いたが、日本国憲法によって国会に引き継がれた。

内務省(ないむしょう)
 (1873-1947) 警察・地方行政などを担当した中央行政官庁。長官は内務卿、後に内相。今の国交省と国家公安委員会を合わせたような官庁。

中江兆民(なかえちょうみん)
 (1847-1901) 思想家・政治家。フランスで法律を学んだ後、東京で仏学塾を開塾、『東洋自由新聞』主筆などを務め、1879ルソーの『社会契約論』の抄訳『民約訳解』・1887『三酔人経綸問答(さんすいじんけいりんもんどう)』などを執筆、三大事件建白運動を進めて処罰されるが、1889大日本帝国憲法発布の大赦によって赦免、  1890第一回総選挙で衆院議員とになるが、1891自由党土佐派の裏切りに憤慨して辞任、ガンで余命一年半と宣告され『一年有半』を執筆した。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

日本銀行(にほんぎんこう・にっぽんぎんこう)=日銀(にちぎん)
 日本の中央銀行。発券銀行。銀行の銀行。政府の銀行。1882大蔵卿・松方正義(まつかたまさよし)の建議で日本銀行条例に基づいて創設。

福島事件(ふくしまじけん)=喜多方(きたかた)事件
 1882福島県で起こった自由党員らの蜂起事件。福島県令・三島通庸(みしまみちつね)の会津三方(あいづさんぽう)道路工事強制に県会議長・河野広中(こうのひろなか)らが反発、三島は喜多方の暴動(弾正ヶ原事件)を鎮圧し、河野らを逮捕した。

保安条例(ほあんじょうれい)
 (1887-1898) 反政府活動取締法。1887三大事件建白運動や1886-1889大同団結運動の高まりを抑えるため第一次伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣の内相・山県有朋(やまがたありとも)が公布・施行、激しい民権家たちを東京から追放した。処罰者は星亨(ほしとおる)・中江兆民(なかえちょうみん)・尾崎行雄(おざきゆきお)ら。

星亨(ほしとおる)
 (1850-1901) 政治家。大蔵省を解任後、イギリスで日本で初めて弁護士の資格を得て帰国、自由党に入党して板垣退助(いたがきたいすけ)を補佐し、1887三大事件建白運動・1886-1889大同団結運動を主導して処罰されるが、1889大日本帝国憲法発布の大赦により赦免、欧米漫遊後に自由党を再興し、1892第二回総選挙で衆院議長に就任、1900憲政党を分裂させて立憲政友会結成に尽力、逓信相・東京市会議長になるが、東京市疑獄に憤慨した剣客・伊庭想太郎(いばそうたろう)に暗殺された。選挙味

松方財政(まつかたざいせい)=松方デフレ
 (1881-1892) 明治前期に大蔵卿・蔵相を務めた松方正義(まつかたまさよし)の財政政策。不換紙幣を整理し、1882日本銀行を創設して1885銀兌換(だかん)銀行券を発行(銀本位制の確立)、酒税・煙草税などを増税し、官営事業払い下げを推進、結果、財政は立ち直ったが、庶民は困窮した。

松方正義(まつかたまさよし)
 (1835-1924) 武士・政治家。薩摩鹿児島藩士。大蔵省に入り、暗殺された大久保利通(おおくぼとしみち)の遺志を継いで殖産興業(しょくさんこうぎょう)政策を推進、1881明治十四年の政変後、内務卿から大蔵卿に転じ、紙幣整理・1882日本銀行創設・1885銀兌換(だかん)銀行券の発行(銀本位制の確立)・官営事業払下げ政策など松方財政を展開、1891首相となるが、1892第二回総選挙での干渉を批判されて総辞職、1897再度首相となり、大隈重信(おおくましげのぶ)を外相として松隈(しょうわい)内閣を組閣、貨幣法を制定して金本位制を確立するが、進歩党の離反により総辞職、以後は元老・内大臣として重きをなした。選挙味 併合味

民党(みんとう)
 初期議会における野党のこと。自由党(じゆうとう)・立憲改進党(りっけんかいしんとう)など。政費節減(予算削減)・民力休養(減税)を主張して吏党(りとう)と対立した。

陸奥宗光(むつむねみつ)
 (1844-1897) 外交官・政治家。元老院議官・駐米公使などを経て農商務相に就任するが、1892明治二十五年選挙干渉事件を批判して枢密顧問官に移り、1894外相として日英通商航海条約を調印、関税自主権の一部回復を実現し、伊藤博文(いとうひろぶみ)とともに日本全権として下関条約(しものせきじょうやく。日清講和条約)を調印、1895ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉を処理するなど陸奥外交を展開し、回顧録『蹇々録(けんけんろく)』を残した。

明治天皇(めいじてんのう)←睦仁親王(むつひとしんのう)
 (1852-1912) 伝百二十二代天皇(在位1867-1912)。孝明(こうめい)天皇の皇子。1867徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の大政奉還を受けて王政復古の大号令を行い、1868五箇条の御誓文を発布、1869東京へ遷都し、1870大教宣布(だいきょうせんぷ)の詔(みことのり)・1881国会開設の勅諭(ちょくゆ)・1889大日本帝国憲法・1890教育勅語(きょういくちょくご)などを発布、日清・日露戦争の勝利し、日本の近代化を見届けた。併合味

山県有朋(やまがたありとも)
 (1838-1922) 武士・陸軍軍人・政治家。首相(在職1889-1891,1898-1900)・元老。長門萩(長州)藩士。1868-1869戊辰(ぼしん)戦争に活躍し、陸軍創設に尽力、1872徴兵告諭(ちょうへいこくゆ)に基づき1873徴兵令を実現、陸軍卿に参議を兼ね、1876萩(はぎ)の乱・1877西南戦争などを鎮圧、1878参謀本部を設置して参謀総長に就任、1882軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)制定に加わり、内務卿・内相として町村制の確立に尽力、自由民権運動を弾圧し、二度首相に就任、1899文官任用令改正(軍部大臣現役武官制の制定)などを行い、1894-1895日清戦争・1904-1905日露戦争を指揮、伊藤博文の死後は元老筆頭として絶大な権力を誇った。
選挙味 総理味 併合味 暗殺味

立憲改進党(りっけんかいしんとう)
 (1882-1896) 1882大隈重信(おおくましげのぶ)が明治十四年の政変で下野した人々を中心に結成した政党。。主権在君民・二院制・イギリス流の立憲君主制を主張したが、1884大隈らが脱党、1896進歩党に改組された。

吏党(りとう)
 初期議会における与党のこと。大成会(たいせいかい)・国民自由党・中央交渉部(ちゅうおうこうしょうぶ)・国民協会など。政府に賛同し、民党と対立した。

歴史チップスホームページ

inserted by FC2 system