2.決起!生品神社!!

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イラクとシリアのイスラム国
1.血祭!黒沼伴清!!
2.決起!生品神社!!

 新田義貞は黒沼伴清の首を世良田の村落内でさらした。
「この者、民の敵なり」

 伝え聞いた得宗北条高時は激怒した。
 闘犬を観てハイになっていたことも一因である。
得宗支配も余で九代
、天下に当家の威光が届かぬところはなくなった。ついこの間まで、得宗家に反旗を翻す者など皆無に等しかった。しかれど最近は波風が目立ってきた。遠方近方にてけしからんヤカラどもが跋扈(ばっこ)し始めた。あまつさえ関東にも余の使者を死者たらしめる凶賊が現れた!余は手ぬるい沙汰(さた)をいたして大乱を呼び起こすようなことはせぬ!謀反人は厳罰に処すべし!」
 内管領長崎高資
が尋ねた。
「具体的には?」
武蔵上野御家人衆に命ずる!新田義貞・脇屋義助なる極道兄弟を討ち、首をそろえて余の御前へ差し出すべし!」
「ははっ!」

 一方、世良田の館では新田一族が結集して軍議が開かれた。
「沼田荘
(ぬまたのしょう。群馬県沼田市)は要害。利根川(とねがわ)を堀とすれば、容易に幕府の大軍も攻め込めまい」
越後はほぼ新田一族が抑えている。津張荘
(妻有荘。新潟県十日町市付近)を越え、上田荘(うえだのしょう。新潟県南魚沼市)に本陣を構えて防戦してはいかがか?」
 消極論ばかりの中、脇屋義助が分け入って主張した。
「情けなや!弓矢の道なるものは死を軽んじて名を重んずるものなり!新田に非はない!非があるのは、無理難題を押し付けてきた得宗家ではないか!当方に非がないにもかかわらず他国に落ちるようなことをすれば、世間は我らを疑い、我らの士気も下がるであろう!去る承久の乱しかり!攻撃に勝る防御はない!新田の汚名を返上するには、鎌倉進撃あるのみ!」
 一族の大館宗氏
(おおだてむねうじ)が口をはさんだ。
「建前は分かるが本音が欠けている。仮にも得宗家は九代百十余年に渡って天下に君臨してきた大家。新田に勝ち目があるという根拠を示さなければ誰もついてこまい」
「何が得宗家だ!天下一の大家は朝家
(ちょうけ。天皇家)なり!何が九代百十四年だ!朝家の御世はほぼ百代二千年にあらせられるぞ!その朝家の大塔宮(護良親王。「選択味」参照)様から、去る三月十一日に殿は綸旨を賜った!『朝敵北条得宗家を討て!』という帝の御命令だ!見よ!これがその綸旨だ!」
 義助は綸旨の入った箱を掲げた。
 一族はどよめいた。
 義貞が鼓舞した。
「この俺に綸旨が下された以上、我が軍は官軍である!得宗家こそ賊軍なのである!皆の衆、何も恐れることはない!大義名分は我らにあり!今からみなで生品明神
(いくしなみょうじん)へ出向く!決起集会で綸旨の文面を読み上げる!者ども、俺に続けー!」
「御意ーっ」

現在の生品神社周辺(群馬県太田市)

 生品神社は世良田の北方、市野井にある。
 新田氏の祖先・源義家
が奥州征討をした際にも戦勝祈願したとされる古社で、この地の産土神(うぶすながみ)であった。
 元弘三年(1333)五月八日卯の刻
(午前六時頃)義貞は境内に一族を集め、社頭に北条高時追討の旗を掲げ、鎌倉に向けて矢を放ち、綸旨を三度読み上げた。
 一族とは、脇屋義助・大館宗氏・大館氏明
(うじあきら。宗氏長男)・大館幸氏(なりうじ。宗氏二男)・大館氏兼(うじかね。宗氏四男)・堀口貞満(ほりぐちさだみつ)・堀口行義(ゆきよし)・岩松経家(いわまつつねいえ)・里見義胤(さとみよしたね)・江田光義(えだみつよし。行義)・桃井尚義(もものいなおよし)ら百五十騎である。
 義貞はこんなことも付け加えた。
「なお、これと同じような綸旨下野足利高氏殿も賜っている。間もなく高氏殿はに進撃して六波羅を攻撃する」
「なんと、足利殿も……」
 新田氏の祖・新田義重
(よししげ)足利氏の祖・足利義康(よしやす)は兄弟である(「新田足利氏系図」参照)
 二人は源義国
(義家の子)の子で、義重が長男、義康が二男であった。
 が、鎌倉幕府内では両氏の間には歴然とした格差があった。
 足利氏得宗家の縁戚として厚遇され、新田氏は冷遇されていたのである。
 そのため新田一族は、自分たちだけいい思いをしている足利一族のことをよく思っていなかった。
「新田は足利と並ぶ清和源氏の名門だ。幕府内では新田は引けを取っていたが、幕府がなくなれば引け目はなくなる。いや、新田が幕府を滅ぼし、足利六波羅を滅ぼせば、立場は逆転するであろう。幕府の出先機関を滅ぼした足利よりも、幕府本体を滅ぼした新田の戦功の方が上のはずである。すべては皆の衆の働き次第だ。幕府を滅ぼし、足利を超え、新田の誇りを取り戻そうではないか!」
「おおー!」
 新田軍は笠懸野に出陣した。
 これより軍勢は雪だるま式に増え、十四日後には幕府を滅亡させてしまうのであった

(「交戦味」へつづく)

[2014年6月末日執筆]
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