4.平安京 | ||||||||||||||
歴史チップス>バックナンバー2023>令和五年11月号(通算265号)牛虎味 丑寅注意4.平安京
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穀倉院は九世紀初頭に成立した令外官である。
災害時に貧民を救済するため穀物倉庫で、二条大路の南、朱雀大路の西にあった。
伴世継はその役人のため、近辺または平安京内に邸宅があったとみられる。
「御主人さまのお帰りだーい!」
伴世継が騒がしく帰宅すると、
「おかえりなさいませ」
若く見える嫁が三つ指ついて出迎えた。
「留守中、何か変わったことはあったか?」
「いえ、別に」
「おまえ、何だか今日は化粧が濃いな」
「え? そうかしら〜。久しぶりにあなたがお帰りなので、おめかししてみました〜」
「ほー、私のお帰りが待ち遠しかったか?」
「それはも〜う」
「荷物がたくさんあるから片づけてくれ」
「はい〜」
「私は疲れたので、しばらくの間、房で休んでいる」
「どーぞどーぞ。ヒッヒッヒ」
世継は房に入った。
北東隅に不自然に薦(こも)が掛けてあった。
(アレだな)
世継は弓を引き絞りながら近づくと、薦に向かって大声で言い放った。
「そこに隠れているのはわかっている! 出てこい! 出てこなければ射殺すぞっ!」
隠れていた若い法師は、すぐに観念して出てきた。
彼は縛られて全部白状した後、こう聞いた。
「どうしてここに隠れているのがわかったんですか?」
「ある高名な陰陽師に占ってもらってわかった。私の房の鬼門に暗殺者が潜んでいるって」
「すごいな、陰陽道って! そんなことまでわかるんですか!?」
世継は若い法師を検非違使に引き渡した。
そして、若く見える嫁とは離婚してしまったという。
この後、若く見える嫁が真昼間っから生臭坊主のもとに走ったかどうかは定かではない。
一方、是雄は元慶六年(882)正月に従五位下となり、仁和元年(885)四月に陰陽頭に昇進している。
[2023年10月末日執筆]
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※ この物語の原典は『今昔物語集』ですが、陰陽道で暗殺者の潜伏を予見するのは現実的ではありません。事前に情報を得ていたとみるのが妥当でしょう。