有間皇子の変3.破 滅

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ウソ
1.有間皇子の変1 〜 発端
2.有間皇子の変2 〜 勧誘
3.有間皇子の変3 〜 破滅

 二日後、僕は舎人の新田部米麻呂と守大石(もりのおおいし)、それに長年父に仕えていた塩屋小戈(しおやのこのしろ)という者を連れて赤兄の家を訪れた。
 落ちぶれたとはいえ、さすがに蘇我家の当主の家である。豪邸であった。
 赤兄が高殿に案内する。高殿は他の棟と孤立しており、ここなら家の者にも作戦会議の内容を聞かれることはない。
 すでに一人、赤兄の協力者が来て待っていた。
 赤兄が紹介した。
「こちら、坂合部薬
(さかいべのくすり)殿。武勇に秀でた、頼もしいヤツだ」
「どうぞよろしく」
「こちらこそ」
 僕もあいさつを交わし、会議が始まった。

 僕は考えてきた作戦を披露した。
「まず、僕たちは皇居に放火して都を占拠する。同時に小戈が手勢を率い、牟婁津
(むろのつ。和歌山県田辺市)と淡路島(あわじしま。兵庫県)への渡海路を遮断して逃げ場をなくした後、天皇を生け捕り、皇太子と鎌足を殺害する」
 薬が質問した。
「小戈殿の手勢は何人ほどですか?」
「五百人ほどです」
「五百人ですか。十分ですね」

 会議が進むにつれ、僕は不安を感じてきた。
(ここにいる人々は本当に信じられるような人々だろうか?)
 見回してみても、どうも変なのである。
 薬などは初めあいさつを交わしたときだけで自分と目を合わそうとしない。
 赤兄は時々笑顔を向けてくるが、どうもその笑顔も作り笑顔のように見えてきた。

 そのとき、不意に僕がもたれていたひじかけの足が折れ、前につんのめった。
「折れるなんて、不吉な。まるで計画が失敗する前兆のようだ」
 僕は不機嫌に言った。
「思い込みすぎですよ。新しいのを持ってこさせます」
 赤兄が持ってこさせようとしたので、僕が立ち上がった。
「いいよいいよ。今日はもうやめよう。どうも縁起の悪い日のようだ。会議は中止しよう」
 驚いたように赤兄が尋ねた。
「え、じゃあ今度はいつ?」
「今度というときはない。計画は無期延期だ」
 僕はそう言い残すと、早々と赤兄の豪邸を後にした。
 慌ててついてきた米麻呂が言った。
「中止は正解だと思いますよ」
 彼も同じように思っていたようだ。

 その晩、僕が市経の自宅に帰って寝ていると、けたたましく玄関の戸をたたく者がいた。
 米麻呂が応対しに行くと、ものものしい兵士たちがばらばらと押し入ってきた。
「こんな夜中に、どういうつもりだっ!」
 僕がしかると、一人の兵士が進み出た。
「物部朴井鮪
(もののべのえのいのしび)と申します。謀反の疑いで皇子を逮捕しに参りました」
「なんだって……」
 僕は耳を疑った。計画は内密に練っていたのだ。ばれるはずがない。反射的に否定した。
「僕はやってない! 中止したんだっ!」
「中止? 中止ってことは、謀反未遂ですか? 今まで謀反の計画を練りに行っていたんでしょう?」
 どういうことだ? どうしてこの男が計画のことを知っているんだ? 密告者か? まさか! それにしても早すぎる! まるで初めから今日計画を練るのを予知していたみたいじゃないか!
 僕は必死で弁明した。
「違う! 僕は何も悪くないんだ! 僕は赤兄にたぶらかされたんだ! 悪いのは赤兄だ! 赤兄のほうだっ! 逮捕するんなら赤兄を逮捕しろよっ!」
「それはできませんねー」
 鮪は首を横に振ると、その理由を明かした。
「――我々はその赤兄様の命令でここへ参ったのですから〜」
「赤兄の命令だと……?」
 僕は唖然
(あぜん)とした。
 そして、すぐにすべてを悟った。
 そうだ! そうだったのだ!
 赤兄は初めから僕を陥れるために僕の家を訪れ、僕を誘い、僕をあおり、僕を謀反の会議の場に出席させ、それを口実にして、僕に謀反の罪をかぶせたのである。
 もちろん、赤兄の背後には中大兄皇子がいる。赤兄は彼に命じられたまでのことをしただけなのである。そしてこのことはすなわち、僕の「破滅」を意味していた。
「しまった……。謀られたか……」
 僕は天を仰いでうずくまった。

 十一月九日、僕は罪人として牟婁温湯へ連行された。
「どうして謀反などという愚かなことを起こそうという気になったのか?」
 わざとらしく尋問する中大兄皇子に、僕は言いようのない憤りを覚えた。
「天と赤兄とが知っている。僕は何も知らない」
 天とは、中大兄皇子のことである。

 十一日、僕は藤白坂(ふじしろのさか。和歌山県海南市)にて中大兄皇子に遣わされた丹比小沢国襲(たじひのおざわのくにそ)によって首をしめられて処刑された。
 塩屋小戈と新田部米麻呂は斬り殺され、守大石と坂井部薬は島流しにされた。

 僕は破滅した。
 最後に、僕が牟婁温湯に連行される途中に読んだ歌二首を紹介してお別れにしたいと思う。これらの歌は『万葉集』に収録され、僕の悲劇を後々まで伝えることになった。

有間皇子の墓
(海南市パンフレットより)



  磐代の浜松が枝に引き結び
  真幸
(まさき)くあらばまた還り見む


  家にあれば笥(け)に盛る飯を旅まくら
  旅にしあれば椎の葉に盛る

[2002年3月末日執筆]
ゆかりの地の地図
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