6.ウソ味 基礎用語集

右大臣(うだいじん)
 律令制における執政官。太政大臣・左大臣欠員時の最高官。左大臣とともに国政を統括した。645大化の改新で蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ)が任じられたのが最初。

内臣(うちつおみ・ないしん)
 大化の改新で設置された官。中臣鎌足(なかとみのかまたり)が就任。職務不明だが、改新政権での最高顧問的役割。奈良時代の内臣は天皇を補佐する官で藤原房前(ふじわらのふささき)・藤原良継(よしつぐ)・藤原魚名(うおな)の三人が就任している。後世の内大臣の前身?

大友皇子(おおとものおうじ・おおとものみこ)
 (648-672)弘文(こうぶん)天皇。伊賀(いが)皇子とも。第三十九代天皇(在位671-672)。天智天皇の第一皇子。671太政大臣。672壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)に敗死。

孝徳天皇(こうとくてんのう)
 (596?-654) 第三十六代天皇。軽皇子とも。茅渟王(ちぬのおう・ちぬのおおきみ)の子。母は吉備姫王(きびつひめのおおきみ) 645即位し、難波長柄豊碕宮(なにわながらのとよさきのみや)へ遷都、646改新の詔を発し、公地公民制を基本方針とした諸政策を行うが、後に皇太子の中大兄皇子と対立、654難波で没した。ウソ味

左大臣(さだいじん)
 律令制における執政官。太政大臣欠員時の最高官。国政を統括した。645大化の改新で阿倍内麻呂(あべのうちまろ)が任じられたのが最初。

蘇我入鹿(そがのいるか)
 (?-645) 鞍作・林太郎とも。大臣。蝦夷の子。643蝦夷より大臣を譲られ、斑鳩宮(いかるがのみや)に山背大兄王(やましろのおおえのおう)を攻め滅ぼして権勢を誇ったが、645中大兄皇子(天智天皇)・中臣(藤原)鎌足らによって飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)にて殺害された。

蘇我蝦夷(そがのえみし)
 (?-645) 大臣。馬子の子。593山背大兄王を推した境部摩理勢(さかいべのまりせ)を滅ぼして舒明(じょめい)天皇を擁立、子の入鹿とともに権勢を誇るが、645入鹿横死を聞いて自宅に放火して自殺した。

大化の改新(たいかのかいしん)
 中大兄皇子(天智天皇)と中臣(藤原)鎌足らが行った政治改革。645蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし、孝徳天皇を即位させ、中大兄皇子を皇太子、中臣鎌足を内臣、阿倍内麻呂(あべのうちまろ。倉橋麻呂とも)を左大臣、蘇我(倉山田)石川麻呂(そがのいしかわまろ)を右大臣、旻(みん)・高向玄理(たかむこのくろまろ・げんり)を国博士(くにのはかせ)とし、646改新の詔(みことのり)を発表、公地公民制を確立させ、地方制度を整備、班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)を定め、新税制を導入した。

天智天皇(てんちてんのう・てんじてんのう)・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
 (626-671)第三十八代天皇(在位668-671)。舒明(じょめい)天皇の第一皇子。母は皇極(こうぎょく)・斉明(さいめい)天皇。中臣(藤原)鎌足とともに645蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし、大化の改新を断行、663白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦で唐・新羅に大敗した後、667近江大津宮(おうみのおおつのみや)に遷都し、668近江令(おうみりょう)を編集、670庚午年籍(こうごねんじゃく)を作成した。ウソ味
日朝味5

天武天皇(てんむてんのう)・大海人皇子(おおあまのおうじ)
 (631?-686)第四十代天皇(在位673〜686)。舒明天皇の皇子。天智天皇の弟。672壬申(じんしん)の乱で大友皇子(おおとものおうじ)を破り、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)で即位、684八色(やくさ)の姓(かばね)を制定し、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)を編集させた。

難波長柄豊碕宮(なにわながらのとよさきのみや)
 (645-654) 飛鳥時代の一時期の日本の首都。京域は大阪市中央区付近か。645孝徳天皇が遷都して造営を開始し、652完成。654孝徳天皇が没したことにより首都は飛鳥へ移るが、その後も副都的に存続し、686火災で焼失した。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

埴輪(はにわ)
 古墳やその周囲に建て並べた土製品。
円筒状の円筒(えんとう)埴輪と人や動物などをかたどった形象(けいしょう)埴輪に分類される。垂仁(すいにん)天皇の時代に<、殉死の代わりとして野見宿祢(のみのすくね)が始めさせたものとされる。

藤原氏(ふじわらし)
 特に古代に繁栄した氏族。氏祖は中臣鎌足(なかとみのかまたり)。奈良時代に南家(なんけ)・北家(ほっけ)・式家(しきけ)・京家(きょうけ)の四家に分かれ、南家、次いで式家が繁栄したが、平安時代になると北家が台頭、摂政・関白を独占し、いわゆる摂関政治を現出した。

藤原鎌足(ふじわらのかまたり)
 (614-669)中臣(なかとみ)鎌足とも。公卿。内臣(うちつおみ・ないしん)。藤原氏の祖。中臣御食子(みけこ)の子。中大兄皇子(天智天皇)とともに645蘇我氏を滅ぼして大化の改新に協力、近江令編集に関わり、死の直前に藤原姓と大織冠(たいしょくかん)を受けた。

万葉集(まんようしゅう)
 
現存最古の和歌集。770頃完成。20巻。大伴家持(おおとものやかもち)の編集か。万葉仮名で記される。約四千五百首を収録。雑歌(一般歌)・相聞歌(恋愛歌)・挽歌(哀悼歌)に分類される。怨霊味4

 

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