有象無象!離合集散!天下はいったい誰のもの? 〜 南北朝時代の野合!佐々木高氏vs斯波高経!! |
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野田佳彦(のだよしひこ)首相は分かっていた。
「黒幕」が次の「人形」を探しているということを。
目星がついたということを。
自分が用ナシになったということを……。
「十六日に解散します。やりましょう!」
彼はぶち切れてなんていなかった。
あれは最後の「御奉公」であろう。
解散が決まると、政界はハチの巣をつついたような騒ぎになった。
離党する者たち――。
新党を結成する者たち――。
強そうな党を探す者たち――。
引退する者たち――。
特に第三極の離合集散は見苦し――、いや、目まぐるしかった。
十二もの政党(十一月三十日現在。最多時は十五党)の口達者が、連日テレビの画面の中にスシ詰めにされていた。
日本史では、野合や離合集散といえば、南北朝時代のイメージがある。
鎌倉幕府は野合によって倒され、その後、離合集散が相次いだ。
別に野合を批判しているわけではない。
野合もまた、二股(ふたまた)などと同様、立派な政治戦略の一つであろう(「二股味」参照)。
事後処理さえうまくすればいいだけの話である。
というわけで今回は、管領斯波氏の祖・斯波高経(たかつね。玉堂・道朝・足利高経)と、典型的バサラ大名・佐々木高氏(ささきたかうじ。導誉・道誉・京極高氏)の確執をお届けしたい。
今回参照した『太平記』巻第三十九には以下のような治政論がありますが、現在の政局とかぶって見えます。
まず弓取りとならば、死を善道に守り、名を義路に失わじとこそ思わるべきに、わずかに欲心を含みぬれば、御方(味方)になるも早く、いささかも恨みあれば、敵になるもやすし。されば今誰をか始終の御方と頼み思うべき。変じやすき心は鴻毛(こうもう。大きな鳥の羽毛)より軽く、撓(たわ)まざる志は麟角(りんかく。麒麟の角)よりも稀(まれ)なり。
[2012年11月末日執筆]
参考文献はコチラ
【佐々木高氏(導誉・道誉)】ささきたかうじ(どうよ)。出雲・隠岐守護(本拠は近江)。典型的バサラ大名。
【赤松則祐】あかまつそくゆう。播磨・備前守護。高氏の娘婿。
【斯波氏頼】しばうじより。高経の三男。高氏の娘婿。
【佐々木高氏の家来たち】
【斯波高経の家来たち】
【花見の招待客たち】
【猿楽師・白拍子たち】
【その他の人々】
【足利義詮】あしかがよしあきら。室町幕府二代将軍。
【朝倉高景】あさくらたかかげ。高経の家来。
【斯波高経(道朝)】しばたかつね(どうちょう)。越前・若狭守護。管領・義将の父(事実上の幕府のボス)。