2.許さぬさる者 | ||||||||||||||
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高杉晋作PROFILE | |
【生没年】 | 1839-1867 |
【別 名】 | 高杉春風・暢夫・東一・和介・谷梅之助・谷潜蔵 ・東行・西海一狂生・東洋一狂生・楠樹小史 ・些々生・黙生など |
【出 身】 | 長門国萩菊屋横丁(山口県萩市) |
【職 業】 | 武士(長州藩士) |
【役 職】 | 明倫館舎長→明倫館都講→小姓役 →下関総奉行手元役→政務座役→奇兵隊総督 →海軍興隆用掛→馬関海陸軍参謀 |
【 父 】 | 高杉小忠太(春樹) |
【 母 】 | 大西道(要人の娘) |
【 妻 】 | 井上政(方・雅・雅子・政子・菊) |
【 子 】 | 高杉(谷)東一 |
【 妹 】 | 高杉武・栄・光 |
【 師 】 | 吉田松陰ら |
【主 君】 | 毛利敬親(慶親)・毛利元徳(定広) |
【盟 友】 | 久坂玄瑞・伊藤博文・井上馨・品川弥二郎ら |
【仇 敵】 | オールコック・ニール・井伊直弼・徳川家茂ら |
【墓 地】 | 東行庵(山口県下関市) |
「三千世界の烏(からす)を殺し、主と朝寝がしてみたい〜」
べべんべんべん。
都都逸(どどいつ。幕末の流行歌)で三味線を弾きながら登場したのは、尊攘派のエース・高杉晋作(「高杉氏系図」参照)。
「我は上海(シャンハイ。中国・上海市)で日本の末来を見てきた」
時は文久二年(1862)十二月十日。所は品川宿(しながわしゅく)の妓楼(ぎろう)「土蔵相模(どぞうさがみ)」こと相模屋。
集まったのは久坂玄瑞、有吉熊次郎(ありよしくまじろう。良明)、大和弥八郎(やまとやはちろう。国之助・山県直利)、長嶺内蔵太(ながみねくらた)、伊藤俊輔、白井小輔(しらいこすけ。小助・素行・飯山)、赤祢幹之丞(あかねみきのじょう。赤根武人)、堀真五郎(ほりしんごう)、福原乙之進(ふくはらおとのしん。信冬)、山尾庸造(やまおようぞう)、志道聞多、品川弥二郎、野村靖之助(のむらやすのすけ。靖)ら、長州尊攘過激派の面々。
安政の五か国条約 |
日米修好通商条約 日蘭修好通商条約 日露修好通商条約 日英修好通商条約 日仏修好通商条約 |
高杉は語り始めた。
「かつて英国は清国にアヘンを売りまくっていた。そのため清国ではアヘン中毒者が激増し、大量の銀が国外へ流出、国内の景気は落ち込み、民衆は苦しんだ」
ベベンベンベン。
「そこで清国は林則徐(りんそくじょ)というやり手を登用、アヘンの使用や輸入を禁止し、在庫のアヘンをすべて処分、英国人の売人を監禁した」
ベベンベンベン。
「英国は激怒した。直ちに大艦隊を送り込み、清国と交戦した。これがアヘン戦争である」
ベベンベンベン。
「英国はこの戦争で勝利を収め、清国にアヘン貿易を認めさせ、強制的に南京(ナンキン)条約なる不平等条約を調印させた」
べべんべんべん。
「一つ、清国は英国に香港を割譲すること。二つ、広州(こうしゅう。広東省)・福州(ふくしゅう。福建省)・廈門(アモイ・シアメン。福建省)・寧波(ニンポー・ねいは。浙江省)・上海の五港を開港すること。三つ、賠償金二千百万ドルを支払うこと」
ベベンベンベン。
「また、清国側に不利な関税協定や領事裁判権や片務的最恵国待遇などが後に追加規定された。つまり清国は英国の半植民地になったのだ!英国だけではない!米国も仏国も清国と同様の条約を結んだ。清国は欧米列強によって、骨の髄までしゃぶられているのだ!」
べべん!べん!べん!べん!べん!
「我が藩命で幕府の貿易船『千歳丸(ちとせまる)』に乗って上海を訪れたのはそんな折であった。清国人は欧米人の贅沢(ぜいたく)のために増税され、奴隷のように暮らしていた。清国人は橋を渡るだけで欧米人から料金を取られていた。おかしな話ではないか!橋を造ったのは清国人なのだ!清国人は欧米人に橋を造らされた上、その橋を渡るためにカネまで払っているのだ!まったく、何ということであろうか!これはほんの一例だ!すべてにおいて欧米人は清国人を蹂躙(じゅうりん)し続けているのだ!」
べべん!べん!べん!べん!べん!
「諸君!英国は清国に対するのと同じことをインドでもやっている!他の列強のしていることも五十歩百歩だ!列強どもは世界中の植民地で似たような暴挙を繰り返して喜んでいやがるのだ!これは人事ではないぞ!すでにこの日本でも兆しは現れている!日本もまた列強によって不平等条約を結ばされ、横浜(神奈川県横浜市)・長崎(長崎県長崎市)・新潟(新潟県新潟市)・兵庫(兵庫県神戸市)・箱館(北海道函館市)の開港を強要されたのだ!」
安政五年(1858)、幕府はアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスと相次いで修好通商条約を結ばされた。いわゆる安政の五か国条約である。
「昔、欧米人は日本のことを『ジパング』と呼んでいた。『黄金の島』という意味だそうだ。そのため欧米人はこぞって日本を目指した。実際に日本に来てみて、本当に『黄金の国』だということに気づいてしまったのだ!」
ベベンベンベン!
「日本での金と銀の交換比率は一対五である。ところが外国での金と銀の交換比率は一対十五なのだ!つまり、夷人が日本で銀を金に交換し、外国でそれを銀に交換し直すだけであーら不思議!たちまち元手のカネが三倍になっちまうってわけだ!味を占めた彼らは何度でも同じことを繰り返した!三倍!三倍!また三倍!こんなボロもうけの商売はないぞ!」
べべん!べん!べん!べん!べん!
「夷人たちは身分の高い者も低い者も魔法のような金もうけに酔いしれた。こうして夷人たちはどんどん富裕していった。一方、大量の金が海外に流出した日本は深刻な不況に陥ってしまった。そうなのだ!夷人たちが大もうけした分だけ、我々日本人は大損しているというわけだ!」
べべん!べん!べん!べん!べん!
有吉も白井も憤った。
「なんてこった!オレたちは知らず知らずのうちに夷人にカネをくれてやっていたのか!」
「道理で最近生活が苦しいと思ったぜ」
高杉は続けた。
「カネを持った夷人たちはかたっぱしから女を買いあさり、異国へ拉致っていった!女たちは大金を積まれると、夷人の思うがままになるしかなかった。それだけ生活に窮した女が増えたというわけだ!もとはといえば夷人が巻き起こした不況のために!そうなのだ!夷人たちは日本からカネと女を強奪しているのだ!これは過去の話ではない!今現在もヤツらはこの国から際限なくカネと女を奪い続けているのだっ!」
「許せねえ!」
大和が立ち上がった。
山尾は悔しがった。
「このまま夷人をほうっておけば、日本は金欠で男だらけの国になってしまう〜」
「いやだー!貧乏はともかく、男だらけはいやだー!」
伊藤は許せなかった。
「いや。夷人にだって情けはある。ブスは残しておいてくれる」
「うわあ!最悪だあー!」
伊藤は号泣した。
他の志士たちも口々に叫んだ。
「幕府は何をしているのだ!夷人の言いなりになるな!」
「横暴で強欲な夷人たちは追い出せー!」
「夷人に屈する弱腰連中も斬るべしっ!」
長嶺が嘆いた。
「それにしても女どもも情けない!どいつもこいつもゼニに目がくらんでホイホイ夷人についていきやがって!『いやー!こんなのは邪道ー!』と、きっぱりはねつける大和撫子(やまとなでしこ)はいないのか!」
品川が思い出した。
「いないことはない。喜遊(きゆう。亀遊)という女がいた」
「ああ、米国人の妾(めかけ)になるのを強要され、拒否して自害した貞女だな」
「確か横浜の遊郭・岩亀楼(がんきろう)の遊女だった。アッパレな女だ」
「彼女は特別だろう。だって、あの東禅寺事件で夷人たちを襲撃した志士の娘っていうじゃないか。いくらなんでも父のカタキの妾にはなりたくないだろう」
高杉が続けた。
「夷人たちが奪っているのはカネや女だけではない。ハリスやオールコックたち列強の上層部がねらっているのはもっともっと大きなものだ。オールコックは休暇で英国へ帰っていったが、帰国の際、莫大な日本のお宝の山をタダ同然で持ち出している」
「どういうことだ?」
「さっき話したとおり、日本は列強に不平等条約を結ばされた。この中の領事裁判権というのが特に問題なのだ」
「リョージサンバンケン?」
「日本人と夷人との間に何か問題か起こった場合、夷人の領事が裁判するということだ」
「ふーん。それじゃあどう考えても夷人に有利な裁判になるだろう」
「有利とかいう次元ではない。裁判は夷人の全勝だ。いくら日本人が正しかろうと、夷人相手の裁判では、どうあがいても勝つことはできないのだ」
「理不尽な!」
「例えば、日本人が経営する店で夷人が商品を盗んだとしよう。いくら日本人の店主が『夷人が盗みました』と訴えても、夷人が『盗んでません。買いました』と言い張れば、裁判は夷人の勝ちになるというわけだ」
「ひでえ!それが通るのなら、夷人はドロボーし放題じゃないか!」
「その通り!夷人がその気になれば、もっとひどいことも可能だ。例えば、夷人が日本人の経営する店に押しかけて、『この店も商品もすべて全部私のものだ。文句があったら裁判だ』と訴えれば、簡単に店をまるごと手に入れることもできるというわけだ。しかも合法的に」
「何が合法的だ!むちゃくちゃじゃねえか!きたねーってもんじゃねー!」
志道が尋ねた。
「じゃあ、オールコックが江戸城に押しかけて、『私は将軍だ。ここは私の家だ』と言い張って裁判を起こしたらどうなる?」
「当然、オールコックは領事裁判で勝ち、将軍として江戸城もこの国も、まんまと手に入れるだろう」
志士たちは騒いだ。
「とんでもねえー!」
「いかん!いかん!いかん!」
「幕府はリョージサイバンケンとやらの重大性を理解しているのか!」
「この国が夷人に乗っ取られようとしているんだぞ!」
「夷人にその気があれば、今日明日にでも可能なんだぞ!」
「列強に日本を渡すなっ!」
「しかし、おれたちに何ができるってんだ?」
「列強の武力は強大だ」
「おれたち少数で勝てるわけがない」
「大将だけをねらえば勝てる!」
「そうだ!英国公使オールコックを斬るべし!」
「オールコックは今、英国に帰っていて留守だ」
「ああっ、あのとき、金沢(横浜市金沢区)で遊んでいた外国公使でも斬っておくべきであった!」
連中はこれ以前、某公使暗殺を計画していたが、藩主世子・毛利定広(もうりさだひろ。元徳)に説得されて断念していた。
「おれたちゃどうすりゃいい?」
「いったいどうすれば日本を守ることができるんだー!」
「高杉君!教えてくださいっ!」
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現在の御殿山(東京都品川区市)周辺 |
高杉は久坂に書を持ってこさせた。
今は亡き、彼らが慕っていた松下村塾の主宰・吉田松陰の「草莽崛起(そうもうくっき)」の書であった。
「おお!」
「これは!」
「吉田先生の『草莽崛起』だ!」
高杉は見ているうちに目頭が熱くなった。
「吉田先生は、列強の『犬』に殺された……」
一同は泣いた。
吉田は大老・井伊直弼による安政の大獄で処刑されていた。
久坂は大泣きした。彼は吉田の妹婿でもあった。
「ううう……」
「先生えー!」
「『犬』は心ある水戸の志士たちに殺されたが、いまだ列強は健在である」
「クッソー!」
「先生が死んだのも、すべて列強のせいだー!」
「おれたちは列強を許さねえー!」
高杉もほえた。
「そうだとも!列強を討つことは、吉田先生のカタキを取ることでもあるのだっ!十二月というこの忠臣蔵の季節に、我々は先生のカタキを鮮やかに取るのだーっ!」
久坂が聞いた。
「しかし、物騒なことは若様(藩主世子毛利定広)から止められている。勅使の公家(三条実美・姉小路公知)も過激なことには反対だ。それなのに、どうやってカタキを取るっていうんだ?」
「御殿山を知っているだろう?」
「ああ。桜の名所をつぶして列強各国の公使館を建てている小山だな。春の娯楽を奪われた江戸の庶民たちはみんな怒っているぞ」
「そうだ。中でも英国公使館は最も早く工事が進んでいる。豪華絢爛(ごうかけんらん)二階建ての巨大な建物で、周囲には高い柵(さく)と深い空堀をめぐらした要塞(ようさい)だ」
「要塞って、城ってことですか?」
「そうだ。江戸城に対峙(たいじ)するように英国の城が完成するのだ。しかも幕府はその建設費全額を負担しているという」
「バカな!どこの国に敵の城に金を出すボケナスがいるんだ!そんなことをすれば自分たちの身も危ないことに幕閣は気づかないのか!」
「清国と同じだ。幕府はすでに列強の奴隷になり果てている。もはや日本を守るためには、幕府そのものを倒すしかない」
「討幕ですか?」
「待て。まだ早い。早すぎる。今戦えば、長州は負ける。幕府や列強と戦うためには富国強兵が必要だ。そのために時間稼ぎをする必要があるのだ。我々は何としても列強による植民地支配を阻止しなければならない。そのためには、彼らのやることを徹底的にじゃますることだ。我々がまずすべきは、御殿山の英国公使館の放火!盗人軍団英国の悪の巣窟(そうくつ)を灰燼(かいじん)とし、鬼畜極道オールコックの鼻を明かしてやるのだっ!」
一同は一も二もなく賛同した。
「そうだ!それはいい!」
「英国公使館炎上!」
「やってやるぜー!」
「やらなければ、おれたちに明日はない!」
「で、決行はいつですか?」
久坂に聞かれ、高杉はもったいぶって三味線を鳴らしてから答えた。
べべん!べん!べん!べん!べん!
「十二月十二日の夜っ!」