119.暴力味 基礎用語集

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石山本願寺(いしやまほんがんじ)
 現在の大阪市中央区所在。浄土真宗の寺。1496大坂に本願寺八世・蓮如(れんにょ)が隠居所を築いたのが起源で、1532山科本願寺焼失後、十世・証如(しょうにょ)が本山を移転、今日の大阪の原型となる広大な寺内町(じないちょう)を形成し、一向一揆の総本山となるが、十一世・顕如(けんにょ。光佐)が織田信長と抗争、1570-1580石山合戦の果てに焼失した。

一向一揆(いっこういっき)
 室町〜戦国時代に近畿・中部地方で起こった浄土真宗(じょうどしんしゅう。一向宗)信仰者の武装集団。本拠は大坂の石山本願寺(いしやまほんがんじ)。最大のものは加賀(かが)の一向一揆。各地の守護大名や戦国大名らと交戦したが、1580織田信長と石山本願寺と講和、加賀の一向一揆の滅亡によって解体した。

今川義元(いまがわよしもと)
 (1519-1560) 武将。駿河等守護。今川氏親(うじちか)の子。長兄氏輝(うじてる)死後、1536花倉の乱で次兄の玄光恵探(げんこうえたん)を破って家督を継ぎ、三河の松平氏を併合して尾張東部まで領国を拡張、いち早く検地を行い、商工業振興や富国強兵に努め、1553分国法「今川仮名目録追加(いまがわかなもくろくついか)」を制定、1554善徳寺(ぜんとくじ)の会盟で、甲斐の武田信玄(たけだしんげん)・相模の北条氏康(ほうじょううじやす)と三国同盟を締結、後方の憂いを無くして京都に向かうが、1560桶狭間(おけはざま)の戦で尾張の織田信長(おだのぶなが)に敗死した。
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右翼(うよく)
 保守的または国粋的な思想を持つ人々。国家社会主義・天皇主義・農本主義など。昭和前期、軍部と結んで力をもった。

延暦寺(えんりゃくじ)
 滋賀県大津市比叡山所在。天台宗(てんだいしゅう)総本山。山号比叡山(ひえいざん)。785最澄(さいちょう)が比叡山に入り、788一乗止観院(いちじょうしかんいん比叡山寺)を立てたのが起源。最澄は唐から帰国後、この地で天台宗を開き、その死後「延暦寺」の勅願を賜り、平安時代以後は奈良の南都(興福寺)と並んで北嶺(ほくれい)と呼ばれ、日本の仏教教学の中心となった。

延暦寺の焼打(えんりゃくじのやきうち)=延暦寺焼き打ち=延暦寺焼き討ち
 1571織田信長が浅井・朝倉氏と結んで敵対した延暦寺(えんりゃくじ)を全山焼き払った事件。根本中堂(こんぽんちゅうどう)ほか三百の堂宇が焼かれ、僧俗男女三、四千人が虐殺された。

桶狭間の戦(おけはざまのたたかい)=田楽狭間(でんがくはざま)の戦
 1560尾張の戦国大名・織田信長が、駿河・遠江・三河の戦国大名・今川義元(いまがわよしもと)を桶狭間(田楽狭間。愛知県)で破った戦い。義元は敗死し、三河の戦国大名・松平元康(まつだいらもとやす。徳川家康)は独立、今川氏は衰退した。
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織田信長(おだのぶなが)
 (1534-1582) 武将。織田信秀(のぶひで)の子。父の死後、尾張を統一、1560桶狭間(おけはざま)の戦で今川義元(いまがわよしもと)を討ち、1567美濃の斎藤氏を追って岐阜城に入城、1568足利義昭(あしかがよしあき)を擁して上洛し、1570姉川(あねがわ)の戦で浅井(あさい)・朝倉(あさくら)氏を倒し、1571比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)を焼き打ち、1573義昭を追放して室町幕府を滅ぼし、1574伊勢長島一向一揆(いせながしまいっこういっき)を、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(たけだかつより)を撃破、1576近江に安土(あづち)城を築いて移り、楽市(らくいち)・楽座(らくざ)を実施、1580石山本願寺(いしやまほんがんじ)を大坂から立ち退かせ、1582天目山(てんもくざん)の戦で勝頼を滅ぼすが、本能寺(ほんのうじ)の変で家臣の明智光秀(あけちみつひで)に討たれた。
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楠木正成(くすのきまさしげ)
 (1294?-1336) 武将。1333元弘(げんこう)の乱で後醍醐(ごだいご)天皇につき、河内赤坂(あかさか)城・千早(ちはや)城に籠城(ろうじょう)、鎌倉幕府軍を撃退し、建武(けんむ)の新政(中興)に参与、摂津・河内・和泉守護・河内国司に任じられ、1336謀反を起こした足利尊氏(あしかがたかうじ)を敗走させるが、再挙した尊氏に湊川(みなとがわ)の戦で敗死した。
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国司(こくし)
 古代に諸国の政務をつかさどった地方官。現在でいう都道府県庁高官に相当。長官(守・かみ)・次官(介・すけ)・判官(掾・じょう)・主典(目・さかん)という四等官(しとうかん。幹部のこと)が朝廷から派遣され、国衙(こくが。国庁とも。役所のこと)に勤務し、郡司(ぐんじ)・里長(りちょう・さとおさ)らを支配した。天武天皇の頃に成立し、鎌倉時代に守護・地頭勢力に押されて衰退した。

柴田勝家(しばたかついえ)
 (?-1583) 武将。織田信長に仕え、畿内・近江・越前平定戦に活躍、1575越前一向一揆を平定し、越前北庄(きたのしょう)城主として越前の大半を支配、検地や刀狩(かたながり)を行い、1580加賀一向一揆を鎮圧、越後の上杉景勝(うえすぎかげかつ)と対決するが、1582本能寺(ほんのうじ)の変後、信長の三男・信孝(のぶたか)と結んで羽柴(はしば。豊臣)秀吉と争い、1583賤ヶ岳((しずがたけ))の戦いで敗れ、北庄で自殺した。 

鉄砲(てっぽう)=火縄銃(ひなわじゅう)≦種子島(たねがしま)
 火薬の爆発力によって弾丸を発射する武器。1543ポルトガル人によって種子島に伝来。和泉(いずみ)の堺(さかい)・紀伊(きい)の根来(ねごろ)・近江(おうみ)の国友(くにとも)などの鉄砲鍛治(かじ)が製造し、戦国大名の間で普及した。織田信長が三千丁(千丁とも)の鉄砲を使用して長篠の戦(ながしののたたかい)で勝利したことは有名。
銃器味

長島一向一揆(ながしまいっこういっき)=長島一揆
 伊勢長島の願証寺(がんしょうじ)を本拠とした一向宗門徒の自治組織。1570織田信長討伐を目指す本願寺法主・顕如(けんにょ)の命令で蜂起し、尾張小木江(こきえ・おぎえ)城の織田信興(のぶおき)を討ち、柴田勝家(しばたかついえ)を撃退するなど何度も信長軍を退けたが、1574ついに敗れて虐殺された。
騒乱味 暴力味

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

念仏(ねんぶつ)
 仏の名を口にすること。浄土宗(じょうどしゅう)や浄土真宗(じょうどしんしゅう)で、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えること。

比叡山(ひえいざん)=叡山(えいざん)
 京都府京都市と滋賀県大津市の境を成す山。標高八四八メートル。山頂に延暦寺(えんりゃくじ)が、山麓に園城寺(おんじょうじ)がある。

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