252.併合味 基礎用語集

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伊藤博文(いとうひろぶみ)←伊藤俊輔(しゅんすけ)
 (1841-1909) 武士・政治家。首相(在職1885-1888,1892-1896,1898,1900-1901)・元老。長門萩(長州)藩士。1871-1873岩倉遣外使節副使として欧米を視察、参議兼工部卿・内務卿などを経て、1885内閣制度を創設、初代首相になり、大日本帝国憲法(明治憲法)を作成、1887保安条例を定め、1888枢密院(すうみついん)議長に就任、1892再度組閣し、1894条約改正を実現、1894-1895日清戦争を遂行し、1895李鴻章(りこうしょう)と下関(しものせき)条約を調印、台北(タイペイ)に台湾総督府を設置し、1896退陣、1898三度組閣するが、憲政党成立により退陣、1900立憲政友会(りっけんせいゆうかい)を結成して四度組閣し、1901退陣後も元老(げんろう)として君臨、1905統監府(とうかんふ)設置されると初代韓国統監に就き、1904第一次・1905第二次・1907第三次日韓協約を重ね韓国併合を目指すが、1909韓国独立運動家・安重根(アンジュングン・あんじゅうこん)に射殺された。
攘夷味 併合味

韓国(かんこく)=大韓民国(だいかんみんこく)←大韓帝国(だいかんていこく)
 (1897-1910,1948-) アジアの朝鮮半島南部にある国。李氏朝鮮王朝二十六代・高宗(こうそう)が国号を大韓帝国と改めるが、1910韓国併合条約によって日本の植民地になり(日韓併合)、1945-1948アメリカの占領を経て、1948大韓民国として独立した。首都はソウル。

韓国併合(かんこくへいごう)=日韓併合(にっかんへいごう)
 1910日本が韓国を領有したこと。日本は1904第一次日韓協約で韓国に財政・外交顧問を設置、1905第二次日韓協約で保護国化し、漢城(現ソウル)に統監府を設置、1907第三次日韓協約で内政権を奪い、軍隊を解散、1909伊藤博文暗殺事件などを契機に1910韓国併合条約を調印、韓国を廃して日本領朝鮮とし、漢城を京城と改め朝鮮総督府を設置、1945まで植民地として支配した。

西園寺公望(さいおんじきんもち)
 (1849-1940) 政治家。首相(在職1906-1908,1911-1912)・元老。東洋自由新聞社長・文相・外相・枢密院議長などを経て1906立憲政友会総裁として首相に就任、鉄道国有法制定や南満州鉄道会社設立を実現、1908桂太郎に政権を譲るが、1911首相に再任、1912二個師団増設問題で退陣した後は元老となり、1924以後は最後の元老として首相候補選定にあたった。併合味
凶弾味

第一次日韓協約(だいいちじにっかんきょうやく)
 1904日露戦争中に調印。韓国の財政と外交を監督する日本政府の顧問を置くことを認めさせた。

第三次日韓協約(だいさんじにっかんきょうやく)
 1907ハーグ密使事件後に調印。日本が韓国のない政権を掌握し、韓国軍を解散させた。

第二次日韓協約(だいにじにっかんきょうやく)=乙巳条約(いつしじょうやく)=乙巳保護条約
 1905ポーツマス条約調印後に調印。日本が韓国の外交権を取り上げて保護国化し、統監府を設置して内政にも関与した。

統監府(とうかんふ)
 1905第二次日韓協約に基づいて漢城に設置された日本政府支局。外交権を持ち、内政にも関与した。初代統監は伊藤博文。1910韓国併合まで存在。

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。1869から事実上の首都は東京。

ハーグ万国平和会議(はーぐばんこくへいわかいぎ)
 1899と1907にオランダの開催された国際会議。紛争の平和的解決を目指し、戦争法規を制定した。

ハーグ密使事件(はーぐみっしじけん)=ヘイグ密使事件=ヘーグ密使事件
 1907第二回ハーグ平和会議(オランダ)に大韓帝国皇帝・高宗が日本の侵略を訴えようとした事件。目論見は失敗し、韓国統監・伊藤博文は高宗を退位させ、第三次日韓協約を結ばせた。
併合味

閔妃殺害事件(びんひさつがいじけん)=乙未の変(いつびのへん)
 1895親露政策を推進した朝鮮国王妃・閔妃を、駐朝公使・三浦梧楼らが殺害した事件。三浦は列強の非難を受けて裁判にかけられたが、無罪放免にされた。

松方正義(まつかたまさよし)
 (1835-1924) 武士・政治家。薩摩鹿児島藩士。大蔵省に入り、暗殺された大久保利通(おおくぼとしみち)の遺志を継いで殖産興業(しょくさんこうぎょう)政策を推進、1881明治十四年の政変後、内務卿から大蔵卿に転じ、紙幣整理・1882日本銀行創設・1885銀兌換(だかん)銀行券の発行(銀本位制の確立)・官営事業払下げ政策など松方財政を展開、1891首相となるが、1892第二回総選挙での干渉を批判されて総辞職、1897再度首相となり、大隈重信(おおくましげのぶ)を外相として松隈(しょうわい)内閣を組閣、貨幣法を制定して金本位制を確立するが、進歩党の離反により総辞職、以後は元老・内大臣として重きをなした。選挙味 併合味

三浦梧楼(みうらごろう)
 (1846-1926) 陸軍軍人・政治家。奇兵隊に入って第二次長州戦争で活躍し、戊辰戦争・西南戦争に参加、1881開拓使官有物払い下げに反対し、学習院院長・貴族院議員を経て、1895朝鮮国駐在特命全権大使の時に閔妃殺害事件を起こし、入獄するが無罪になり、1910枢密顧問官に就任、1924第二次護憲運動では政界黒幕として護憲三派を結びつけた。

明治天皇(めいじてんのう)←睦仁親王(むつひとしんのう)
 (1852-1912) 伝百二十二代天皇(在位1867-1912)。孝明(こうめい)天皇の皇子。1867徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の大政奉還を受けて王政復古の大号令を行い、1868五箇条の御誓文を発布、1869東京へ遷都し、1870大教宣布(だいきょうせんぷ)の詔(みことのり)・1881国会開設の勅諭(ちょくゆ)・1889大日本帝国憲法・1890教育勅語(きょういくちょくご)などを発布、日清・日露戦争の勝利し、日本の近代化を見届けた。併合味

山県有朋(やまがたありとも)
 (1838-1922) 武士・陸軍軍人・政治家。首相(在職1889-1891,1898-1900)・元老。長門萩(長州)藩士。1868-1869戊辰(ぼしん)戦争に活躍し、陸軍創設に尽力、1872徴兵告諭(ちょうへいこくゆ)に基づき1873徴兵令を実現、陸軍卿に参議を兼ね、1876萩(はぎ)の乱・1877西南戦争などを鎮圧、1878参謀本部を設置して参謀総長に就任、1882軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)制定に加わり、内務卿・内相として町村制の確立に尽力、自由民権運動を弾圧し、二度首相に就任、1899文官任用令改正(軍部大臣現役武官制の制定)などを行い、1894-1895日清戦争・1904-1905日露戦争を指揮、伊藤博文の死後は元老筆頭として絶大な権力を誇った。
選挙味 総理味 併合味 暗殺味

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