3.無 念 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2021>令和三年2月号(通算232号)変異味 布引の滝の変異3.無念
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源義平は逃亡後も平清盛の命をつけねらった。
昼は大原(おおはら。京都市左京区)・梅津(うめづ。京都市右京区)・桂(かつら。京都市西京区)・伏見(ふしみ。京都市伏見区)など郊外に潜伏し、夜になると六波羅に戻ってきて清盛のスキをうかがったのである。
一方、難波経遠は義平の捜索を続けたが、見つからなかった。
潜伏情報は耳にするが、行くところ行くところ、もぬけの殻なのである。
経遠は舌打ちした。
「困ったときは神仏頼みだ」
経遠は家来五十騎を引き連れて近江にある石山寺(いしやまでら。滋賀県大津市)に参詣してみた。
すると、帰り道の逢坂山(おうさかやま。関山。大津・京都市境)でにすぐに霊験があった。
「今、空を行く雁(かり)の群れに乱れがあった。乱れの下には何者かが潜んでいると聞く。あの野原が怪しい。近辺を捜索せよ」
案の定、野原では義平が昼寝していた。
熟睡していたため、難なく絡め取ることができた。
義平は六波羅に連れて行かれた。
清盛があざ笑った。
「フハハ! 三条烏丸では三百騎を切り破ったヤツが、なぜ逢坂山ではわずか五十騎に絡め取られたのか?」
義平は笑い返した。
「百万の兵を率いた楚(そ)の項羽(こうう)ですら滅びる時はあっけなかった。運が尽きるとはそういうものだ。おぬしも他人事ではないぞ。今すぐこの義平を斬っておかなければ、近い将来、後悔することになるであろう!」
清盛はうなずいた。
「道理である。今すぐ斬ってやろう」
義平は六条河原に引き出された。
「悪源太が斬首されるそうな」
たちまち野次馬が集まってきた。
「人が死ぬのを見るのがそんなにおもしろいかっ!」
義平が一喝すると、野次馬は遠巻きになった。
義平は六波羅に居並ぶ平家の殿舎をにらみつけて恨みを吐き捨てた。
「義平ほどの者の首を、白昼にこんな汚い河原で斬ろうとするとは、平家の連中は情けも知らず、物も知らず! クソッ! 今から思えば先の乱の折、清盛なんぞは熊野詣の帰りを待ち伏せてぶち殺しておけばよかったわ!」
難波経房が首を斬るために刀を抜いた。彼は経遠の弟である。
「今から死ぬヤツが愚痴っても無駄なことだ。後悔先に立たずというではないか」
経房は刀を振りかぶった。
義平が振り向いてにらみつけた。
「おぬしがこの義平の首を斬るのか? おぬしは清和天皇の末裔である源氏の御曹司の首を斬るほどの者なのか? うまく斬らなければ、その首にかみついてやるぞっ!」
経房は吹き出してしまった。
「死んだ者がかみつけるわけなかろう!」
「死んでも霊魂は生きているのだ!」
「やれるものならやってみろ!」
「おお! やってやらあ!」
ずびゃっ!
経房は刀を振り下ろした。
ドサッ!
義平の首は前に落ちた。
落ちた瞬間、
がっし!
義平の腕が首を抱え込み、胴体が前のめりに倒れて隠してしまった。
経房はさらし首にしようとしたが、
「何てことだ! はっ、離れねえ〜!」
どうしても首を身から離せなかったという。
時に永暦元年(1160)正月十九日(諸説あり)。義平の享年は二十。