3.元日味 基礎用語集

赤松満祐(あかまつみつすけ)
 (1373-1441) 武将。播磨・美作・備前守護。侍所所司(頭人)。義則の子。1427父の死後に家督を継ぎ、1428正長(しょうちょう)の土一揆(つちいっき)を平定するが、六代将軍・足利義教(あしかがよしのり)にうとまれ、1441義教を自宅に招いて殺害したが、山名持豊(やまなもちとよ。宗全)らに敗死した(嘉吉の乱)。

足利義教(あしかがよしのり)←足利義宣(あしかがよしのぶ)←義円(ぎえん)
 (1394-1441) 室町幕府六代将軍(在職1429-1441)。義満(よしみつ)の子。義持(よしもち)の弟。初め青蓮院(しょうれんいん)で出家し、大僧正・准后(じゅごう)・天台座主になるが、1428クジで選ばれて1429将軍となり、専制政治を志向、1438-1439永享の乱(えいきょうのらん)で鎌倉公方・足利持氏(もちうじ)を、1440結城合戦(ゆうきかっせん)で結城氏朝(うじとも)・足利安王丸(やすおうまる)・春王丸(はるおうまるともに持氏の子)を滅ぼし、山城等守護・一色義貫(いっしきよしつら)らを失脚させたが、1441播磨等守護・赤松満祐(あかまつみつすけ)に謀殺された(嘉吉の変・嘉吉の乱)。
クジ味

足利義政(あしかがよしまさ)
 (1436-1490) 室町幕府八代将軍(在職1449-1473)。義教の子。弟・義視(よしみ)に将軍職を譲ることを約束していたが、夫人・日野富子(ひのとみこ)が実子・義尚(よしひさ)を将軍にしようと譲らず、1467-1477応仁の乱を誘発、東山山荘(ひがしやまさんそう。後の慈照寺)を造営し、1486東求堂(とうぐどう)や1489銀閣(ぎんかく)を建立、能を保護し、日本画の狩野正信(かのうまさのぶ)、侘び茶(わびちゃ。茶道)の村田珠光(むらたじゅこう)、山水(さんすい。作庭)の善阿弥(ぜんあみ)、立花(たてはな・りっか。花道・華道)の立阿弥(りゅうあみ)らを重用するなど、東山文化の中核をなした。

一条兼良(いちじょうかねら・かねよし)
 (1402-1481) 公卿。関白・太政大臣。有職故実書『公事根源(くじこんげん)』『桃華蘂葉(とうかずいよう)』、政道書『樵談治要(しょうだんちよう)』『文明一統記』、古典注釈書『花鳥余情(かちょうよじょう)』『日本書紀纂疏(にほんしょきさんそ)』、紀行文『藤河(ふじかわ)の記』等を著した。

管領(かんれい)
 
室町幕府の将軍補佐役・政務長官。三管領(細川・斯波・畠山氏)から交替で選ばれた。

五山(ござん)
 臨済宗寺院の寺格で最高のもの。その下に十刹(じっさつ)・諸山(しょざん)があった。

 【京都五山】
寺格 寺 名 開 基 開 山 現在地
上位 南禅寺 亀山天皇 無関普門 京都市左京区
一位 天竜寺 足利尊氏 夢窓疎石 京都市右京区
二位 相国寺 足利義満 夢窓疎石 京都市上京区
三位 建仁寺 源 頼家 明庵栄西 京都市東山区
四位 東福寺 九条道家 円爾弁円 京都市東山区
五位 万寿寺 郁芳門院 十地覚空ら 京都市東山区
 【鎌倉五山】
寺格 寺 名 開 基 開 山 現在地
一位 建長寺 北条時頼 蘭渓道隆 鎌倉市山ノ内
二位 円覚寺 北条時宗 無学祖元 鎌倉市山ノ内
三位 寿福寺 北条政子 明庵栄西 鎌倉市扇が谷
四位 浄智寺 北条宗政ら 兀庵普寧ら 鎌倉市山ノ内
五位 浄妙寺 足利義兼 退耕行勇 鎌倉市浄明寺

応仁(おうにん)の乱
 (1467-1478) 応仁・文明(ぶんめい)の乱とも。管領細川勝元(ほそかわかつもと)と嘉吉の乱以後台頭した山名持豊(やまなもちとよ。宗全とも)の対立に将軍家・畠山家・斯波家の家督争いが絡んで起こった戦い。京都を中心に十一年間繰り広げられたが、1477勝元・持豊が相次いで病没し、翌年、両軍は講和した。

加賀の一向一揆(かがのいっこういっき)
 (1474-1580) 加賀を支配した一向宗門徒の自治組織。1474加賀の一向宗門徒は加賀守護富樫幸千代(とがしこうちよ)を滅ぼし、1488ともに戦った新守護富樫政親(まさちか)も殺害、越前の朝倉(あさくら)氏などと抗争を続けたが、1580織田信長によって滅ぼされた。

嘉吉の乱(かきつのらん)
 1441赤松満祐(あかまつみつすけ)の子・赤松教康らが六代将軍・足利義教(あしかがよしのり)を自邸に招いて暗殺した後、満祐・教康父子らは本拠播磨に帰って抗戦するが、細川持常・山名持豊(やまなもちとよ。宗全)ら幕府軍によって討伐された。これにより将軍家の権威は失墜し、赤松氏は衰退、山名氏が台頭した。
暴君味 処理味

金春座(こんぱるざ)
 もと円満井座(えまいざ)。観世(かんぜ)座・宝生(ほうしょう)座・金剛(こんごう)座とともに大和四座(やまとしざ)の一つ。金春禅竹により確立された。

酒屋(さかや)
 酒を売る店や人。鎌倉・室町時代には高利貸しを行って土倉を兼ねる者もあった。京都・奈良・近江坂本・摂津西宮に多く、室町幕府には酒屋役や倉役といった営業税を課せられるほど富裕したが、土一揆の標的にもなった。

斯波氏(しばし)
 足利氏の支流。足利尊氏の倒幕に従い、室町幕府の三管領に列して義将(よしまさ)ら管領を輩出、越前・尾張・遠江を領するが、応仁の乱後衰退、朝倉氏・織田氏・今川氏に領国を奪われた。

守護(しゅご)
 鎌倉・室町時代に国ごとに置かれた軍事・行政長官。古代の国司(こくし)、近世の大名(だいみょう)、近現代の知事のようなもの。1185源頼朝(みなもとのよりとも)が初めて全国的に設置。戦国時代の下克上(げこくじょう)により衰退するが、なかには戦国大名として生き残るものもあった。

水墨画(すいぼくが)
 墨で描かれた東洋独自の絵画。鎌倉時代に禅宗とともに中国から伝来。室町時代に発展し、明兆(みんちょう)・如拙(じょせつ)・周文(しゅうぶん)をへて、雪舟(せっしゅう)が大成。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)・将軍
 蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための軍事長官。奈良時代にあった征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。もとは東国で兵乱が起こったときの臨時職であったが、1192源頼朝(みなもとのよりとも)が任命されて以後、武家の最高指導者の称号となった。将軍味

宗祗(そうぎ)
 (1421-1502) 連歌師。東常縁(とうのつねより)から古今伝授を受け、正風連歌を確立、準勅撰連歌集『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』・連歌百句『水無瀬三吟百韻(みなせさんぎんひゃくいん)』を編集した。

徳政令(とくせいれい)
 鎌倉〜室町時代の法令。賃貸・売買契約を破棄するよう強制した法令。幕府が御家人を救済したり、一揆を鎮圧したりするために発令した。最初のものは1297永仁の徳政令。

土倉(どそう)
 鎌倉〜室町時代の金融業者。質物を土蔵で保管するためこう呼ばれた。京都・奈良に特に多く、富裕して室町幕府に土倉役(営業税)を支払ったが、土一揆の標的になった。

南朝(なんちょう)
 (1336-1351,1352-1392) 1336足利尊氏によって京都を追われた大覚寺統(だいかくじとう)の後醍醐(ごだいご)天皇が大和の吉野(よしの。奈良県吉野町)に立てた朝廷。後醍醐・後村上(ごむらかみ)・長慶(ちょうけい)・後亀山(ごかめやま)天皇と四代続いたが(1351-1352一時合体)、1392南北朝合体で消滅。

南北朝の動乱(なんぼくちょうのどうらん)・南北朝の内乱
 
(1336-1392) 室町幕府と吉野朝の戦争。1336年に足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)政権を倒し、光明(こうみょう)天皇を擁立して北朝を樹立。一方、敗れた後醍醐天皇は吉野(よしの)へ逃れ、南朝を樹立。以後、1392年に両朝が合体するまで各地で戦いが行われた。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

畠山氏(はたけやまし)
 桓武平氏(かんむへいし)の支流。重忠(はたけやましげただ)は源頼朝(みなもとのよりとも)に仕えて有力御家人となるが、北条氏により滅亡、その後、足利氏の支流・義純(よしずみ)が名跡を継承し、足利尊氏の統幕に従軍、室町幕府の三管領に列して基国(もとくに)・満家(みついえ)ら管領を排出し、越中・能登・河内・紀伊を領有するが、応仁の乱後衰退した。

北朝(ほくちょう)
 (1336-1351,1352-1392) 1336足利尊氏が後醍醐天皇を京都から追い、持明院統(じみょういんとう)の光明(こうみょう)天皇に立てさせた朝廷。光厳(こうごん)上皇・光明・崇光(すこう)・後光厳(ごこうごん)・後円融(ごえんゆう)・後小松(ごこまつ)天皇と五代続いたが(1351-1352一時合体)、1392南北朝合体で解消。

夢窓疎石(むそうそせき)
 (1275-1351) 臨済宗僧。北条高時(ほうじょうたかとき)、後醍醐(ごだいご)天皇・足利尊氏(あしかがたかうじ)・足利直義(ただよし)らから信頼され、1339天竜寺(てんりゅうじ)開山。天竜寺庭園・西芳寺(さいほうじ)庭園など造園にもすぐれた。

村田珠光(むらたじゅこう)
 (1423-1502) 茶人。侘び茶(わびちゃ)・奈良流茶道の創始し、八代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)に仕えて茶の師範になったという。

山崎宗鑑(やまざきそうかん)
 (?-1539?) 連歌師。俳諧連歌を確立し、『犬筑波集(いぬつくばしゅう)』を編集した。

山城の国一揆(やましろのくにいっき)
 (1485-1493) 山城国南部で起こった自治組織。1485山城国南部の住人が戦いをやめようとしない斯波義就(よしなり)・政長(まさなが)両軍を追い出して自治を開始。守護を置かず、会議で掟(おきて。法律)を定め、自検断(じけんだん。処罰)を行い、半済(はんぜい。税)を徴収した。1493国一揆はようやく守護の入国を認めた。

連歌(れんが)
 上の句と下の句を交互に詠み合う文芸。室町時代が最盛期。

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