217.金品味 基礎用語集

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浅間山大噴火(あさまやまだいふんか)
 上野・信濃国境にあった浅間山の大噴火。685年や1108年にも大噴火しているが、とくに1783天明の噴火では熱泥流が上野側に襲来、流出家屋1800戸、死者2000人を出した(死者35000人という記録もある)。江戸でも火山灰が降り、天明の飢饉の一因になったという。噴火味

打ちこわし(うちこわし)
 江戸時代に庶民が金持ちを襲撃し、破壊・略奪を働いたこと。

江戸(えど)
 現在の東京都都心。江戸時代の政治の中心地(首都)。1457太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築いて栄え、1590徳川家康(とくがわいえやす)が入城により発展、江戸時代中期に人口百万人を超え、1868明治天皇が行幸して東京と改められ、日本の首都になった。

江戸時代(えどじだい)=徳川(とくがわ)時代
 (1600or1603-1867) 江戸幕府が支配していた時代。1600関ヶ原の戦(せきがはらのたたかい)で徳川家康(とくがわいえやす)が政権を握ったこと、または1603家康が江戸幕府を開いたことに始まり、徳川氏が代々将軍に就任した。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して終わった。

江戸幕府(えどばくふ)=徳川(とくがわ)幕府
 (1603-1867) 江戸時代の武家政権。1600関が原の戦で勝利した徳川家康(とくがわいえやす)が1603に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任して創始。徳川氏が代々将軍に就任、老中(ろうじゅう)が政務を統括し、臨時に大老(たいろう)が置かれた。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が朝廷に大政奉還(たいせいほうかん)、1868-1869戊辰(ぼしん)戦争をへて旧幕府勢力は解体した。

大坂城代(おおさかじょうだい)
 江戸幕府の職名。大坂城主代理。大坂城主は将軍なので、実質上の城主。大坂の支配、畿内の治安や西国大名の監視を担当。

勘定奉行(かんじょうぶぎょう)=勘定頭(かんじょうがしら)
 江戸幕府の職名。幕府の財政を担当。三奉行の一。老中付属で旗本から選任。定員は四名。天領(幕府領)の財政・訴訟を担当。

寛政の改革(かんせいのかいかく)
 (1787-1793) 老中首座・松平定信(まつだいらさだのぶ)が行った幕政改革。1786老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)が失脚すると、将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)は松平を抜擢(ばってき)、将軍補佐となり、1789棄捐令(きえんれい)を、1790寛政異学の禁・物価引下げ令・出版統制令を発令、江戸石川島に人足寄場(にんそくよせば)を設け、囲米(かこいまい)を命令、旧里帰農令を発し、1791七分金積立(しちぶきんつみたて。七分積金)を制定した。

御三家(ごさんけ)
 徳川家康の子を祖とする親藩(しんぱん)中最高位の三家のこと。尾張(おわり)家・紀伊(きい)家・水戸(みと)家。将軍直系が絶えたときに後継を出した。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)就任以後は世襲となり、幕府を開いた。将軍味

側用人(そばようにん)
 江戸幕府の職名。将軍の側近。老中との取次役。徳川綱吉が設置。初代側用人は牧野成貞(まきのなりさだ)。柳沢吉保(やなぎさわよしやす)は特に有名。

大名(だいみょう)
 所領を多く持つ有力な武士のこと。もとは名田(みょうでん)を多く者の意味で、室町時代に守護大名が、戦国時代に戦国大名が登場、江戸時代では将軍に直属した一万石以上の武家のことをいった。

大老(たいろう)
 江戸幕府の最高職。臨時職。定員一名。1638三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が土井利勝(どいとしかつ)と酒井忠勝(さかいただかつ)を任じたのに始まり(井伊直孝が最初とも)、幕末までにほか七名が就任したが(数には諸説あり)、実権を振るったのは酒井忠清(さかいただきよ)・堀田正俊(ほったまさとし)・井伊直弼(いいなおすけ)ぐらいであった。

田沼意次(たぬまおきつぐ)
 (1719-1788) 老中。意行(もとゆき)の子。九代将軍・徳川家重(いえしげ)の小姓となり、1758評定所に出座して幕政を主導、遠江相良藩主となり、1767側用人1769老中格1772老中に就任、株仲間を公認し、専売制を拡大、貿易を振興して鉱山・新田・蝦夷地開発を行ったが、物価高騰し、賄賂(わいろ)政治が横行、天明の飢饉や子・意知(おきとも)の暗殺によって1786失脚した。
金品味

田沼時代(たぬまじだい)
 (1767頃-1786) 田沼意次が権勢を誇った時代。1767側用人1769老中格1772老中に就任、株仲間を公認し、専売制を拡大、貿易を振興して鉱山・新田・蝦夷地開発を行ったが、物価高騰し、賄賂(わいろ)政治が横行、1772明和の大火や1783浅間山の大噴火、1782-1787天明の飢饉や子・意知(おきとも)の暗殺になどよって1786失脚した。
金品味

町人(ちょうにん)
 近世に町に住んでいた商人や職人。狭義には家持ちの町人を指すが、広義には借家人なども含まれた。

天明の飢饉(てんめいのききん)
 (1782-1787) 三大飢饉の一。天皇不順・浅間山大噴火・洪水などによる全国的な大飢饉。東北地方の被害が甚大で、仙台藩で三十万人、弘前藩で八〜二十万人が餓死し、その惨状が「凶荒図録」や「天目飢饉之図」に描かれたという。噴火味税金味

徳川家治(とくがわいえはる)
 (1737-1786) 江戸幕府十代将軍(在職1760-1786)。家重の子。治世中は田沼意次が権勢を誇ったため、田沼時代と呼ばれた。
金品味

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。1869から事実上の首都は東京。

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

松平定信(まつだいらさだのぶ)
 (1758-1829) 将軍補佐(在職1788-1793)・老中首座(在職1787-1793)。陸奥白河(福島県白河市)藩主。田安宗武(たやすむねたけ)の子。徳川吉宗(とくがわよしむね)の孫。田沼意次(たぬまおきつぐ)によって松平家に養子に出され、1783家督相続、1787老中首座となり、1788将軍補佐を兼任、倹約令・旧里帰農令・棄捐(きえん)令・寛政異学の禁・物価引下げ令・出版統制令・赤子養育法などを発令し、囲米(かこいまい)・七分積金(七分金積立)などを制定、人足寄場・昌平坂学問所を設置するなど1783-1793寛政の改革を断行するが、1789尊号事件や大奥の不満などで失脚、白河帰国後は学問興隆・殖産興業を勧め、『白河風土記』を編集、『宇下一言(うげのひとこと)』『花月草紙』など多数の著作物を残した。
金品味

老中(ろうじゅう)
 江戸幕府の執政官。幕政を統括。定員は四、五名で月番制。二万五千石以上の譜代大名から選抜された。最初の老中(当初は年寄と呼ばれた)は大久保忠隣(おおくぼただちか)と本多正信(ほんだまさのぶ)とされている(酒井忠世らとも)。

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