2.出撃!第一航空艦隊!! | ||||||||||||||
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昭和十六年(1941)十一月二十六日、択捉島単冠(ヒトカップ)湾に集結していた機動部隊・第一航空艦隊はハワイに向けて出撃を開始した。
第一航空艦隊の旗艦は空母赤城。総指揮官は南雲忠一海軍中将。
編制は右のとおり。
「重油はハワイまで持つのか?」
「燃料タンクに入りきらない分は艦内いたるところ乗務員室から物置までぎっしりドラム缶で詰め込んであります」
「だからこんなに狭くてアブラ臭いのか」
「今、被弾したらすごいことになりますよ〜」
十二月一日、東京の御前会議で対米英蘭戦が決定した。
首相・東条英機陸軍大将が会議を進行し、永野修身軍令部総長が作戦を説明、枢密院議長・原嘉道(はらよしみち)がいくつか質問したが、昭和天皇の発言は一言もなかったという。
二日午後五時半、山本五十六連合艦隊司令長官は柱島(はしらじま。山口県岩国市)にいた連合艦隊旗艦・戦艦長門(ながと)から全艦船に向けてハワイ作戦を予定通り実行する旨を知らせる電報を発信させた。
「ニイタカヤマノボレ 一二○八」
次いで「決行日」前日の七日午前六時、山本の開戦の辞として、
「皇国の興廃かかりてこの征戦にあり! 粉骨砕身各員その任を全うせよ!」
が、全艦船に伝送された。
文面は連合艦隊参謀長・宇垣纒(うがきまとめ)海軍中将がトイレで考えたそうだが、
「皇国の興廃この一戦にあり! 各員一層奮励努力せよ!」
という日本海海戦の秋山真之(あきやまさねゆき)先任参謀のものの、ほとんどパクリであった。
その晩、出撃を前にした空母赤城の搭乗員たちが話していた。
「オレは明日、ふんどしを替えずに出撃する」
「どうして?」
「臭いと敵の弾もよけるだろう」
「それはそれは無敵だろうな」