112.無念味 基礎用語集

ホーム>バックナンバー2011>基礎用語集

足利義教(あしかがよしのり)←足利義宣(あしかがよしのぶ)←義円(ぎえん)
 (1394-1441) 武将。室町幕府六代将軍(在職1429-1441)。義満(よしみつ)の子。義持(よしもち)の弟。初め青蓮院(しょうれんいん)で出家し、大僧正・准后(じゅごう)・天台座主になるが、1428クジで選ばれて1429将軍となり、専制政治を志向、1438-1439永享の乱(えいきょうのらん)で鎌倉公方・足利持氏(もちうじ)を、1440結城合戦(ゆうきかっせん)で結城氏朝(うじとも)・足利安王丸(やすおうまる)・春王丸(はるおうまるともに持氏の子)を滅ぼし、山城等守護・一色義貫(いっしきよしつら)らを失脚させたが、1441播磨等守護・赤松満祐(あかまつみつすけ)に謀殺された(嘉吉の変・嘉吉の乱)。
クジ味

足利義満(あしかがよしみつ)
 (1358-1408) 武将。室町幕府三代将軍(在職1368-1394)。義詮(よしあきら)の子。京都室町に花の御所を造営し、1379管領・細川頼之(ほそかわよりゆき)を斯波義将(しばよしまさ)と交代(康暦の政変)、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を僧録(そうろく)に任じ、1382相国寺(しょうこくじ)を創建、五山十刹(ござんじっさつ)制を整備し、絶海中津(ぜっかいちゅうしん)ら五山文学僧を重用、1390土岐(とき)氏の乱で土岐康行(やすゆき)を、1391明徳(めいとく)の乱で山名氏清(やまなうじきよ)を討ち、1392南朝の後亀山(ごかめやま)天皇を京都に迎えて南北朝合体を実現、1394息子・義持に将軍職を譲り、太政大臣に就任、北山に隠居し、金閣を建立、能の観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)父子を重用するなど北山文化の担い手となり、1399応永(おうえい)の乱で大内義弘(おおうちよしひろ)を滅ぼし、1404明(みん)と勘合(かんごう)貿易を始めた。
戦争味平和味無念味

今川貞世(いまがわさだよ)→今川了俊(りょうしゅん)
 (1326-?) 武将。1371九州探題となり、懐良(かねよし)親王・菊池氏を駆逐して大宰府(だざいふ)を制圧、1375水島の変で少弐冬資(しょうにふゆすけ)を殺すが、1399応永の乱で大内義弘(おおうちよしひろ)らとともに将軍・足利義満(あしかがよしみつ)に反抗、許されて史書『難太平記(なんたいへいき)』や教訓状『今川状(いまがわじょう)』などを著した。

大内義弘(おおうちよしひろ)
 (1356-1399) 武将。周防・長門等守護。弘世(ひろよ)の子。九州探題・今川了俊(りょうしゅん。貞世)に従って九州を転戦し、1391明徳の乱や1392南北朝の合体で活躍、和泉・紀伊等6か国の太守となり、朝鮮との貿易でも富裕するが、足利義満と不和になり、1399足利公方・足利満兼らと結んで応永の乱を起こして敗死した。

(さかい)
 現在の大阪府堺市。大阪湾に面した港町で、室町時代から勘合貿易や南蛮貿易で繁栄。三十六人の門閥豪商からなる会合衆(えごうしゅう)が町政を執った。織田信長に多額の矢銭(軍資金)を要求されて抵抗したが、結局屈服した。江戸時代は幕府領。

守護(しゅご)
 鎌倉・室町時代に国ごとに置かれた軍事・行政長官。古代の国司(こくし)、近世の大名(だいみょう)、現代の知事のようなもの。1185源頼朝(みなもとのよりとも)が初めて全国的に設置。戦国時代の下克上(げこくじょう)により衰退するが、なかには戦国大名として生き残るものもあった。

消費税(しょうひぜい)
 物品・サービスの消費に課される税。中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣が売上税導入に失敗した後、1988竹下登(たけしたのぼる)内閣が税率を三パーセントとして創設し、1989施行、1997税率が五パーセントに上げられた。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)就任以後は世襲となり、幕府を開いた。将軍味

清和源氏(せいわげんじ)≦源氏
 清和天皇の皇孫・経基王(つねもとおう)が源(みなもと)姓を賜って臣籍降下されたことに始まる氏族(陽成天皇の子孫とも)。平安時代後期、桓武平氏(かんむへいし)と並んで武家の棟梁(とうりょう)になり、主に関東地方に地盤を作った。足利(あしかが)・新田(にった)・細川(ほそかわ)・斯波(しば)・畠山(はたけやま)・山名(やまな)・一色(いっしき)・今川(いまがわ)・武田(たけだ)・土岐(とき)・小笠原(おがさわら)・佐竹(さたけ)氏・木曽(きそ)氏氏など多くの武家を輩出した。徳川(とくがわ)・明智(あけち)・大友(おおとも)・島津(しまづ)氏なども清和源氏を称している。⇒清和源氏系図

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

奉公衆(ほうこうしゅう)
 室町幕府直轄軍。五番編制で兵力は約三百人。御所の警備や将軍の護衛に当たった。

本領安堵(ほんりょうあんど)
 鎌倉〜戦国時代に将軍などが自分に忠誠を誓った武士に対して所領の所有権を承認したこと。

明徳の乱(めいとくのらん)
 1391山名氏清(やまなうじきよ)と山名満幸(みつゆき)らが足利義満に対して起こした反乱。氏清は攻め込んだ京都で戦死し、満幸は逃れて敗死した。十一か国を領して六分一殿(ろくぶんのいちどの)と呼ばれていた山名氏は三か国に減らされ、一時衰退した。戦争味平和味無念味

山名氏清(やまなうじきよ)
 (1344-1391) 武将。丹波・和泉等守護。時氏の子。南朝との戦いに活躍し、山名一族で十一か国を領し、「六分一殿(ろくぶんのいちどの)」と呼ばれたが、足利義満に挑発され、1391おいの山名満幸(みつゆき)らと明徳の乱を起こして敗死した。戦争味平和味無念味

山名氏(やまなし)
 中世に栄えた氏族。室町幕府四職の一。但馬等守護家。氏祖は新田義重の子・義範(よしのり)。足利氏に従って伯耆等の守護職を得、一時南朝に転じるが、北朝に復帰、山陰を中心に一族で十一か国を領して「六分一殿(ろくぶんのいちどの)」と呼ばれるが、1391明徳の乱で没落、その後持ち直し、持豊(もちとよ)は応仁の乱で西軍の主将を務めるが、乱後に没落した。
戦争味

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system