2.鑑真来日決意 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2020>令和二年3月号(通算221号)呪い味 山川異域風月同天寄諸仏子共結来縁2.鑑真来日決意
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鑑真は唐の垂拱四年(688)に揚州江陽県(中国・江蘇省揚州市)で生まれた。
長安元年(701)、父に連れられて見に行った仏像の美しさに感動して出家し、大雲寺に入り、後に竜興寺に移った。
神竜元年(705)、道岸を師として菩薩戒を受け、景竜元年(707)に洛陽(河南省洛陽市)・長安(陝西省西安市)に遊学した。
景竜二年(708)、長安にある実際寺の戒壇で、弘景を師として具足戒を受けた。
そしてその十年後、彼は長屋王の漢詩を目にしたのであろう。
「施しの袈裟です。一着ずつどうぞ」
「ありがたいね。誰にもらったの?」
「異国からの寄贈品です」
「異国から?」
「ええ、倭国から千着贈られてきたそうです」
「千着も!」
鑑真は刺繍に気がついた。
「しかも丁寧な仕事をしてあるじゃないか」
そして、
「山川異域風月同天寄諸仏子共結来縁――」
とあるのをみて、驚いて聞き返した。
「これを倭国で作ったのかい?」
「ええ」
「千着全部、同じ文言が刺繍されているのかい?」
「そう聞いています」
「それをみんなで着ようというのかい?」
「そういうことでしょうね」
「何ということだ……!」
鑑真は身震いした。
たぎる感動が抑えられなかった。
「いったい誰なんだ? こんなすごい詩を、倭国の誰が書いたというのだ?」
「長屋王子と聞いています」
「長屋王子というのか! すばらしいじゃないか! いつかその方に逢ってみたいものだ!」
天平十四年(742)、鑑真は揚州の大明寺で日本の遣唐留学僧・栄叡(えいえい・ようえい)と普照(ふしょう)の要請を受けた。
「大和上、どうか日本に渡海してください」
「我が国にはまだ僧の免許を発行する戒壇がありません。大和上に戒壇を作っていただきたいのです」
「うーん」
「大和上、御渡海を!」
「二百年前、聖徳太子が予言なさいました! 『二百年の後、聖教が日本に興るであろう』と! その聖教をもたらす方とは、大和上、あなた様なんですよっ!」
当時の鑑真には四万人の弟子がいた。
四万人の弟子たちが口々に止めた。
「いけません!」
「小日本になんかに行ってはなりません!」
「倭の遣唐使船はすぐに沈んじゃうボロ船なんですよっ! 危険すぎますって!」
「倭国は鬼やヘビのすみかだって言いますし〜」
「先生! 何よりもかわいいかわいい私たちを置いていかないでくださいよ〜」
それでも、鑑真は来日を決断した。
「聖徳太子については聞いた覚えはあるがよくは知らない。私がよく知っているのは、長屋王子の『山川異域風月同天』だけだ。私は王子のいる日本に渡りたい。願わくば、彼の力になりたい」
これ以後、鑑真は五度も渡海に失敗したが、六度目の渡海でついに薩摩に上陸、天平勝宝六年(754)二月に入京を果たし、天平勝宝七歳(755)九月に東大寺戒壇院を建立するのである。