221.呪い味 基礎用語集

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鑑真(がんじん)
 (688?-763) 唐(とう)出身の僧。日本律宗(りっしゅう)の祖。唐で菩薩戒(ぼさつかい)と具足戒(ぐそくかい)を極め、江淮(こうわい)の化主と仰がれるが、栄叡(ようえい・えいえい)・普照(ふしょう)に請われて日本渡航を決意、五度の失敗と失明にもめげず、753六度目に来日、754東大寺に戒壇を設置し、聖武上皇・光明皇太后・孝謙(こうけん)天皇らに授戒、755戒壇院を建立し、756大僧都(だいそうず)に就任、759唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建した。
呪い味 女帝味

遣唐使(けんとうし)=入唐使(にっとうし)=もろこしの使い
 (630-894) 古代に日本から唐(とう)に派遣された公式使節。飛鳥〜平安時代に19回にわたって任命された(渡海は15回。諸説あり)。初代遣唐大使は犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)。以後、高向玄理(たかむこのくろまろ・げんり)・阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)・玄ム(げんぼう)・吉備真備(きびのまきび)・最澄(さいちょう)・空海(くうかい)・円仁(えんにん)・円珍(えんちん)ら名だたる著名人が渡海し、さまざまな文物をもたらした。最後の遣唐大使は菅原道真(すがわらのみちざね)だが、894停止を建議して廃絶した。
中国味 受験味

聖徳太子(しょうとくたいし)=厩戸皇子(うまやとのおうじ・うまやとのみこ・うまやどのおうじ・うまやどのみこ)=厩戸王(うまやとのおう)
 (574?-622) 摂政(在任593-622)。587蘇我馬子(そがのうまこ)とともに物部守屋(もののべのもりや)を討ち、594仏教興隆の詔を発表、593推古(すいこ)天皇の摂政となり、難波(なにわ)に四天王寺(してんのうじ)を建立、603冠位十二階を・604憲法十七条を定め、605上宮(かみつみや・うえのみや)から斑鳩宮(いかるがのみや)に引っ越し、607小野妹子(おののいもこ)ら遣隋使(けんずいし)を遣わし、斑鳩に法隆寺(ほうりゅうじ)や中宮寺(ちゅうぐうじ)を建立、611注釈書『勝鬘経義疏(しょうまんきょうぎしょ)』・614『維摩(ゆいま)経義疏』・615『法華(ほっけ)経義疏』・620史書『天皇記』・『国記』を編修したという。
法王味 襲撃味 日朝味4 憲法味 富豪味

聖武天皇(しょうむてんのう)→聖武上皇
 (701-756)伝四十五代天皇(在位724-749)。文武(もんむ)天皇の皇子。母は藤原不比等(ふひと)の娘・宮子(みやこ)。伯母・元正(げんしょう)天皇から皇位を譲られ、727基王を立太子させるが翌年没したため、738阿倍内親王(後の孝謙・称徳天皇)を皇太子に立て、741国分寺(こくぶんじ)・国分尼寺(こくぶんにじ)建立の詔を、743大仏造立(だいぶつぞうりゅう)の詔を発布、総国分寺・東大寺(とうだいじ)を完成させるなど鎮護国家(ちんごこっか)政策を推進、740藤原広嗣(ひろつぐ)の乱を避けるように、恭仁京(くにきょう)・744紫香楽宮(しがらきのみや)・難波宮(なにわのみや)と都を遷し、754譲位、754鑑真(がんじん)から菩薩戒を受けた。
改元味 令和味 暴発味 温泉味 ヤミ味 辞任味 

昭和天皇(しょうわてんのう)←裕仁親王(ひろひとしんのう)
 (1901-1989) 伝百二十四代天皇(在位1926-1989)。大正天皇の第一皇子。母は貞明(ていめい)皇后。1921大正天皇の摂政となり、1926即位、戦前は現人神として崇敬されたが、1945人間宣言を行い、1947日本国憲法にて国民の象徴とされた。制裁味

新羅(しらぎ・しんら)
 (前57?-935) 古代朝鮮三国の一つ。四世紀前半に辰韓(しんかん)十二国を統一、唐と連合して西の百済(くだら)と北の高句麗(こうくり)を滅ぼし、684朝鮮半島を統一するが、935高麗(こうらい)によって滅亡した。

中国(ちゅうごく)≧中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)←中華民国(ちゅうかみんこく)
 (1912-) 東アジアにある国。1912孫文(そんぶん)が臨時大統領になって中華民国が成立、袁世凱(えんせいがい)が専制支配を確立し、1928蒋介石(しょうかいせき)が国内を統一するが、1937-1945日中戦争で衰退、1949中華人民共和国が成立した。現在の首都は北京。
中国味

天皇(てんのう)
 古代〜現代に至る日本の国王。もとはヤマト政権の大王。七世紀から天皇に移行。初代天皇(大王)は神武(じんむ)天皇?今上天皇は伝百二十五代。大日本帝国憲法では大日本帝国の元首、日本国憲法では国民統合の象徴。
女帝味 天皇味 ⇒天皇家系図

(とう)
 (618-907) 古代中国の王朝。李淵(りえん)が創始。首都は長安(ちょうあん)。律令制・均田制を確立し、高句麗(こうくり)を滅ぼして繁栄を極めるが、八世紀半ば以後衰退、907朱全忠(しゅぜんちゅう)に滅ぼされた。
呪い味

東大寺(とうだいじ)=金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)=総国分寺(そうこくぶんじ)=大華厳寺(だいけごんじ)
 奈良市所在。華厳宗大本山。南都七大寺の一。前身は金鐘寺(こんしゅじ)。大勧進行基(ぎょうき)。開基良弁(ろうべん)。745聖武(しょうむ)天皇が盧舎那仏(るしゃななぶつ)造立のため、市原王(いちはらおう)・佐伯今毛人(さえきのいまえみし)らに命じて創建し、752本尊の盧舎那仏の開眼法要を行った。1180平重衡(たいらのしげひら)に焼かれたが、鎌倉時代に重源(ちょうげん)らが復興、1567松永久秀(まつながひさひで)に焼かれたが、江戸時代に再び復興された。

長屋王(ながやおう)長屋親王(ながやしんのう)
 (676?-729)皇族・公卿。左大臣。高市皇子(たけちのおうじ)の子。天武(てんむ)天皇の孫。母は御名部(みなべ)皇女?。文武(もんむ)天皇の妹・吉備(きび)内親王を妻とし、元明(げんめい)天皇に信頼され、藤原不比等(ふじわらのふひと)死後は政界首班として722良田百万町歩の開墾を計画、723三世一身法を施行したが、729藤原四兄弟によって謀反の罪を着せられて自殺に追い込まれた(長屋王の変)。その邸宅跡から多くの木簡が出土した。
令和味 呪い味

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。1869から事実上の首都は東京。

藤原氏(ふじわらし・ふじわらうじ)
 特に古代に繁栄した氏族。四姓の一。氏祖は中臣鎌足(なかとみのかまたり)。奈良時代に南家(なんけ)・北家(ほっけ)・式家(しきけ)・京家(きょうけ)の四家に分かれ、南家、次いで式家が繁栄したが、平安時代になると北家が台頭、摂政・関白を独占し、いわゆる摂関政治を現出した。鎌倉時代に北家の嫡流である摂関家は五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)に分裂し、摂家将軍も輩出した。⇒藤原氏系図

渤海(ぼっかい)
 (698-926) 中国東満州・沿海州にあった国。698大祚栄(だいそえい)が震(しん)を建国、713渤海と改称し、唐と対立、727初めて日本に使者を遣わし、平安時代まで三十四回に及んだ。十代・大仁秀(だいじんしゅう)のときが最盛期で「海東の盛国」と呼ばれたが、926契丹(きったん)に滅ぼされた。

律令(りつりょう)=律+令
 古代の法律。律は刑法、令は行政法・民法のこと。
 律は刑罰を規定し、天武(てんむ)天皇の飛鳥浄御原律(あすかきよみはらのりつ)に始まり、701大宝(たいほう)律、718養老(ようろう)律で整備された(ただし、飛鳥浄御原律の存在には疑問がある)。
 令はその他の重要事を規定し、天智(てんじ・てんち)天皇の668近江令(おうみりょう)に始まり、701大宝令、718養老令で整備された(ただし、近江令の完成・施行には疑問がある)。

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