4.不況味 基礎用語集

伊藤博文(いとうひろぶみ)
 (1841-1909) 政治家。首相(在職1885-1888,1892-1896,1898,1900-1901)。元老。1871-1873岩倉遣外使節副使として欧米を視察、参議兼工部卿・内務卿などを歴任した後、1885内閣制度を創設し、1889大日本帝国憲法(明治憲法)制定に尽力、四度首相になり、1887保安条例を制定し、1894-1895日清戦争を遂行、1900立憲政友会を結成して総裁となり、退陣後も元老として権力を保持、1905統監府設置とともに初代韓国統監となるが、1909朝鮮独立運動家・安重根(あんじゅうこん)によって射殺された。

犬養毅(いぬかいつよし)
 (1855-1932) 政治家。首相(在職1931-1932)。1910立憲国民党・1922革新倶楽部を結成し、第一次護憲運動で活躍、1931立憲政友会総裁として首相となり、金輸出再禁止を実行、満州国建国と承認に反対するが、1932五・一五事件で射殺された。

井上準之助(いのうえじゅんのすけ)
 (1869-1932) 財政家・政治家。横浜正金銀行総裁・日銀総裁を経て山本権兵衛内閣の蔵相に就任、貴院議員を経て、浜口・若槻内閣の蔵相に再任、産業合理化を促進、1930旧平価にて金解禁を実行するなど緊縮財政を展開したが、1932血盟団員・小沼正(おぬましょう)に射殺された。不況味
凶弾味

右翼(うよく)
 保守的または国粋的な思想を持つ人々。国家社会主義・天皇主義・農本主義など。昭和前期、軍部と結んで力をもった。

岡田啓介(おかだけいすけ)
 (1868-1952) 海軍軍人・政治家。首相(在職1934-1936)。重臣。日清・日露戦争に従軍し、連合艦隊司令長官・海相を経て首相となり、軍縮会議を脱退、1936二・二六事件のため辞任、以後戦後まで重臣として重きをなした。

加藤高明(かとうたかあき)
 (1860-1926) 外交官・政治家。首相(在職1924-1926)。駐英大使の時に1911第三次日英同盟を調印、外相の時に第一次世界大戦に参戦し、1915対華二十一か条の要求を実行、1916憲政会を結成し、総裁として首相に就き、護憲三派内閣を組織、1925日ソ基本条約調印・治安維持法制定・普通選挙法制定などを行った。

関東軍(かんとうぐん)
 関東州・南満州鉄道の警備機関。1919設置。司令部は旅順(後に奉天・新京に移る)。前身は1906設置の関東都督府(かんとうととくふ)。1932の満州国建国後、関東軍司令官は関東庁長官・満州国大使を兼任し、絶大な権勢を誇った。1945ソ連参戦により崩壊。

関東大震災(かんとうだいしんさい)
 関東地方南部を襲った大地震。1923.9/1発生。M七・九。震源地は相模湾。死者・行方不明者十四万人。負傷者十万。家屋焼失四十五万。震災直後、亀戸(かめいど)事件・甘粕(あまかす)事件が発生し、多数の社会主義者・朝鮮人・中国人が殺害された。

金解禁(きんかいきん)・金輸出解禁
 1930に浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣の蔵相・井上準之助(いのうえじゅんのすけ)が金の輸出を解禁したこと。金の輸出は1917より禁止されていた。
不況味3

金本位制(きんほんいせい)
 金を基準とする貨幣制度。日本では1871新貨条例(しんかじょうれい)で初めて採用(実際は金銀複本位制)。1917一時離脱、1930金解禁により金本位制に復帰するも1931金輸出再禁止で再離脱、1941日本銀行法により廃止された。

金融恐慌(きんゆうきょうこう)
 1927震災手形の処理に関する片岡直温(かたおかなおはる)蔵相の失言から取付騒ぎが発生、鈴木商店・台湾銀行・十五銀行・近江銀行などが次々と破綻した。

金輸出再禁止(きんゆしゅつさいきんし)
 1931に犬養毅(いぬかいつよし)内閣の蔵相・高橋是清(たかはしこれきよ)が金の輸出を再度禁止したこと。金の輸出は1930の金解禁以降、解禁されていたが、輸出が振るわず、金の流出が激しかったため、再禁止に踏み切った。

血盟団事件(けつめいだんじけん)
 血盟団は井上日昭(いのうえにっしょう)が組織した要人暗殺集団。「一人一殺」を目標とし、1932小沼正が前蔵相・井上準之助を、菱沼五郎(ひしぬまごろう)が三井合名理事長・団琢磨(だんたくま)を射殺した。

憲政会(けんせいかい)
 (1916-1927) 1916立憲同志会・中正会・公友倶楽部が合同して成立。護憲三派の一。総裁は加藤高明(かとうたかあき)。1927政友本党と合同し、立憲民政党(りっけんみんせいとう)になる。

元老(げんろう)
 明治〜昭和時代初期の長老権力者。天皇に代わって首班選定や重要政策決定にあたった。伊藤博文・井上馨(いのうえかおる)・山県有朋・大山巌(おおやまいわお)・黒田清隆(くろだきよたか)・西郷従道(さいごうつぐみち)・松方正義(まつかたまさよし)の七人。後に桂太郎(かつらたろう)・西園寺公望・大隈重信(おおくましげのぶ)が加えられた。

小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)
 (1942-) 政治家。首相(在職2001-)。福田赳夫(ふくだたけお)の秘書を経て1972衆院議員に当選、厚相・郵政相などを経て、2001自民党総裁として首相に就任、「聖域なき構造改革」を掲げ、派閥解消に尽力、2002北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記と日朝平壌宣言(にっちょうピョンヤンせんげん)を発表し、2005道路公団を民営化、2007の郵政民営化を決定した。不況味

西園寺公望(さいおんじきんもち)
 (1849-1940) 政治家。首相(在職1906-1908,1911-1912)・元老。東洋自由新聞社長・文相・外相・枢密院議長などを経て1906立憲政友会総裁として首相に就任、鉄道国有法制定や南満州鉄道会社設立を実現、1908桂太郎に政権を譲るが、1911首相に再任、1912二個師団増設問題で退陣した後は元老となり、1924以後は最後の元老として首相候補選定にあたった。併合味
凶弾味

財閥(ざいばつ)
 戦前にコンツェルンの形態をとっていた独占的巨大企業集団。三井・三菱・住友・安田・古河・浅野・川崎・大倉など。1946GHQにより財閥解体指令が出された。

三・一五事件(さん・いちごじけん)
 1928の共産党弾圧事件。
1926再結成された日本共産党は、1928第一回普通選挙(第十六回衆議院議員総選挙)に労働農民党から候補者を立てたが、多数検挙され、労働農民党・日本労働組合全国評議会・全日本無産青年同盟は解散させられた。事件後、治安維持法に死刑が追加され、特別高等警察が設置された。

山東出兵(さんとうしゅっぺい)
 (1927-1929) 田中義一内閣による中国の山東半島への三度にわたる出兵。1927蒋介石(しょうかいせき)の国民革命軍(北伐)に対して陸軍二千人を派兵(第一次)、1928北伐の再開に対して陸軍五千人を派兵、戦闘になり済南事件を起こした(第二次)。事件後増兵して済南を占領(第三次)。1929撤兵。

幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)
 (1872-1951) 外交官・政治家。駐米大使として1922ワシントン海軍軍縮条約に、外相としてロンドン海軍軍縮条約に調印、中国には内政不干渉を通すなど幣原外交を展開、戦後首相に就任し、五大改革指令・財閥解体・第一次農地改革・公職追放・労働組合法制定などを実行し、日本国憲法草案を作成した。不況味

衆議院(しゅうぎいん)・衆院(しゅういん)
 (1890- )日本国憲法のもと、参議院とともに国会を構成する両院の一つ。戦前は、大日本帝国憲法のもと、貴族院とともに帝国議会を構成。戦前は予算の先議権が認められ、戦後は加えて法律の再議決などが認められている(衆議院の優越)。

昭和天皇(しょうわてんのう)
 (1901-1989) 第百二十四代天皇(在位1926-1989)。大正天皇の第一皇子。母は貞明(ていめい)皇后。1921大正天皇の摂政となり、1926即位、戦前は現人神として崇敬されたが、1945人間宣言を行い、1947日本国憲法にて国民の象徴とされた。

清(しん)
 (1616-1912) 近世〜近代の中国の王朝。1616太祖ヌルハチが女真族を統一して後金(ごきん)を興し、二代太宗ホンタイジが国号を清と改称、三代世祖順治帝が北京を攻略して首都となし、中国を統一したが、1840アヘン戦争を機に諸外国に侵食され、1894-1895日清戦争で日本に敗北、1911辛亥(しんがい)革命が起こり、1912宣統帝溥儀(ふぎ)の退位によって滅びた。

住友財閥(すみともざいばつ)
 住友家が構築した財閥。住友家は江戸時代には豪商として、明治時代には政商として発展、1921住友総本店を住友合資会社に改組し、金融業(住友銀行・住友信託・住友生命など)・鉱工業(住友鉱業・住友電機・住友化学など)
など広部門に渡るコンツェルンを形成するが、1945財閥解体で解体された。

第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん)
 (1914-1918) 1914サラエボ事件を機に行われた同盟国(ドイツ・オーストリア・トルコ・ブルガリア)と連合国(イギリス・フランス・ロシア・日本・イタリア・アメリカなど)との世界戦争。日本は日英同盟を理由に参戦し、山東省のドイツ領青島を占領、中国に1915二十一か条の要求を突きつけた。

高橋是清(たかはしこれきよ)
 (1854-1936) 財政家・政治家。首相(在職1921-1922)。日銀総裁・貴院議員・蔵相を経て首相兼蔵相・立憲政友会総裁に就任、軍備縮小・緊縮財政を行うが、閣内不一致で総辞職、再度、再々度蔵相となり、高橋財政(積極財政)を展開、金融恐慌の収拾や1931金輸出再禁止などを行ったが、1936二・二六事件で殺された。

田中義一(たなかぎいち)
 (1864-1929) 陸軍軍人・政治家。首相(在職1927-1929)・陸相・立憲政友会総裁。1925立憲政友会総裁となり、1927第一次若槻礼次郎内閣崩壊後に組閣、モラトリアム(支払猶予令)を発して金融恐慌を切り抜け、1928治安維持法を改正、特別高等警察(特高)を設けて三・一五事件や1929四・一六事件で共産党を弾圧する一方、1927東方(とうほう)会議を開き、1927-1928山東(さんとう)出兵を行うなど積極外交(強硬外交)を展開するが、1928張作霖(ちょくさくりん)爆殺事件によって退陣した。不況味

治安維持法(ちあんいじほう)
 無政府主義者や共産主義者など思想犯を取り締まる特別法。1925加藤高明(かとうたかあき)内閣が普通選挙法に先駆けて公布。1926京都学連事件が初の適用例。1928田中義一(たなかぎいち)内閣が最高刑に死刑を追加。1945GHQにより廃止。

張作霖爆殺事件(ちょうさくりんばくさつじけん)・満州某(まんしゅうぼう)重大事件
 張作霖は中国の奉天(北洋・満州)軍閥の巨頭。日本の支援で満州を統一したが、その後、日本の意に反して北京政権を掌握、1928蒋介石の北伐に敗れて列車で移動中、関東軍参謀・河本大作(こうもとだいさく)の陰謀によって奉天郊外で爆殺された。

帝国大学(ていこくだいがく)
 1886帝国大学令によって創設された官立の総合大学。現在の東京大学。後に京都・東北・九州・北海道・大阪・名古屋・台北(現台湾)・京城(現韓国)にも設立された。

統帥権(とうすいけん)
 国事に関する命令権。大日本帝国憲法では天皇の大権とされた。1878参謀本部設置の際にその独立が認められた。

統帥権干犯問題(とうすいけんかんぱんもんだい)
 1930浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣によるロンドン海軍軍縮条約調印をめぐる政治問題。
軍令部長・加藤寛治(かとうひろはる)ら(いわゆる艦隊派)は、政府が軍令部の承認なしに独断で軍縮条約に調印したのは軍縮統帥権干犯だと非難、野党や右翼もこれに加担し、浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣倒壊の一因になった(統帥権干犯問題)。不況味4

軍令部長・加藤寛治(かとうひろはる)らは政府を批判、浜口内閣崩壊の一因になった。

特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)
 通称特高(とっこう)。思想犯取り締まり専門の警察。起源は大逆事件の翌年1912に警視庁に置かれた特別高等課。1928田中義一内閣が全国に設置。

日露戦争(にちろせんそう)
 (1904-1905) 韓国・満州支配権をめぐる日本とロシアの戦争。日本は1900北清事変後、満州占領を続けたロシアに対抗、1902日英同盟を結んで1904ロシアを攻め、旅順を攻略、1905奉天会戦・日本海海戦に勝利し、アメリカの仲介で講和条約(ポーツマス条約)を調印、ロシアに韓国指導権・関東州租借権・長春以南の鉄道の権益を認めさせ、樺太(からふと)の南半分の領土と沿海州・カムチャツカの漁業権を獲得した。

日清戦争(にっしんせんそう)
 (1894-1895) 朝鮮の支配権をめぐる日本と清(中国)の戦争。1894朝鮮で起こった甲午農民戦争(東学党の乱)を清が鎮圧、日本も出兵したため、両国は開戦、日本は豊島沖の海戦・平壌の戦・黄海の海戦で勝利、1895威海衛(いかいえい)を占領して清を降伏させ、講和条約(下関条約)を調印、朝鮮の独立、遼東(りょうとう)半島・台湾・澎湖(ほうこ)諸島の割譲、賠償金二億両(テール)の支払い、通商航海条約の調印と最恵国条款の確立、沙市・重慶・蘇州・杭州の開市、威海衛の一時占領などを認めさせた。

新渡戸稲造(にとべいなぞう)
 (1862-1933) 教育家・思想家。札幌農学校(現北大)教授や東京女子大初代学長などを務めた後、国連事務次長に就任、貴院議員も務めた。著『武士道』等。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

鳩山一郎(はとやまいちろう)
 (1883-1959) 政治家。首相(在職1954-1956)。和夫(かずお)の子。母は春子(はるこ)。1945日本自由党を結成するが、1946公職追放にあって一時下野、1954日本民主党総裁として首相に就任、1955保守合同により自由民主党初代総裁となり、1956日ソ共同宣言調印・国際連合加盟を実現した。

浜口雄幸(はまぐちおさち)
 (1870-1931) 政治家。首相(在職1929-1931)。逓信次官・大蔵次官・蔵相・内相等を歴任し、1927立憲民政党(りっけんみんせいとう)結成で総裁に就任、1929首相となるが、世界恐慌が発生、産業合理化を推進し、1931重要産業統制法・工場組合法などを制定、蔵相井上準之助(いのうえじゅんのすけ)が1930金解禁(金輸出解禁)を実施し、緊縮財政を行うが、昭和恐慌を招き、外相幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は協調外交を方針とし、1930ロンドン海軍軍縮条約を締結するが、海軍・野党・右翼から統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)だと非難され、1930右翼青年・佐郷屋留雄(さごうやとめお)に狙撃されて負傷、1931総辞職した。不況味

浜口雄幸内閣(はまぐちおさちないかく)=浜口内閣
 (1929-1931) 1929田中義一(たなかぎいち)に代わって立憲民政党(りっけんみんせいとう)総裁・浜口雄幸が組閣、世界恐慌に対処して産業合理化を推進し、1931重要産業統制法・工場組合法などを制定、蔵相井上準之助(いのうえじゅんのすけ)が1930金解禁(金輸出解禁)を実施し、緊縮財政を行うが、昭和恐慌を招き、外相幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は協調外交を方針とし、1930ロンドン海軍軍縮条約を締結するが、海軍・野党・右翼から統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)だと非難され、1930右翼青年・佐郷屋留雄(さごうやとめお)に狙撃されて負傷、1931総辞職した。不況味

原敬(はらたかし)
 (1856-1921) 政治家。首相(在職1918-1921)。大阪毎日新聞社社長を務めた後、政界入りして立憲政友会結成に参画、逓信相・内相を務めた後、立憲政友会総裁として首相に就任、初の本格的政党内閣を組織したため「平民宰相」と呼ばれて人気があったが、東京駅で刺殺された。

三井財閥(みついざいばつ)
 三井家が構築した日本最大の財閥。三井家は江戸時代には豪商として、明治時代には政商(せいしょう)として発展、1909特殊会社・三井合名会社を設立し、金融業(三井銀行・三井信託・三井生命など)・鉱工業(三井鉱山・東芝・鐘紡・王子製紙・東レなど)・商業(三井物産)など広部門に渡るコンツェルンを形成したが、1945財閥解体で解体された。

三菱財閥(みつびしざいばつ)
 岩崎家が構築した財閥。1870岩崎弥太郎(やたろう)が三菱会社を設立、海運業(日本郵船会社)に進出し、政商として発展、1893弟・岩崎弥之助(やのすけ)が三菱合資会社を設立し、金融業(三菱銀行など)・鉱工業(三菱鉱業・三菱重工・三菱自工・三菱電機・三菱造船・三菱石油など)など広部門に渡るコンツェルンを形成するが、1945財閥解体で解体された。

モラトリアム(支払猶予令)
 政府が銀行に一時的な支払い停止を命じること。1923関東大震災の際、第二次山本権兵衛内閣は三十日間の支払猶予令を、1927金融恐慌の際、田中義一内閣は三週間の支払猶予令を発令した。

安田財閥(やすだざいばつ)
 安田家が構築した財閥。安田善次郎(やすだぜんじろう)は1880に安田銀行を、1912に合名会社・安田保善社(やすだほぜんしゃ)を設立、金融業(安田銀行・安田生命など)などに進出し、コンツェルンを形成するが、1945財閥解体で解体された。

山県有朋(やまがたありとも)
 (1838-1922) 武士・陸軍軍人・政治家。首相(在職1889-1891,1898-1900)・元老。戊辰戦争・西南戦争等に活躍し、参議・参謀総長・内務卿等を歴任、町村制の確立に尽力し、二度首相に就任して1899文官任用令改正(軍部大臣現役武官制の制定)などを断行、伊藤博文の死後は元老の筆頭として絶大な権力を誇った。

四・一六事件(よん・いちろくじけん)
 1929の共産党弾圧事件。警察は1928三・一五事件で検挙を免れた三田村四郎(みたむらしろう)・鍋島貞親(なべしまさだちか)・佐野学(さのまなぶ)ら共産党幹部を一斉検挙し、これを壊滅させた。
三・一五事件と合わせて第二次共産党事件ともいわれる。

立憲政友会(りっけんせいゆうかい)=政友会
 (1900-1940) 1900伊藤博文(いとうひろぶみ)が憲政会や一部官僚を中心に結成した政党。おおかた衆議院第一党となり、総裁のうち伊藤博文・西園寺公望(さいおんじきんもち)・原敬(はらたかし)・高橋是清(たかはしこれきよ)・田中義一(たなかぎいち)・犬養毅(いぬかいつよし)は首相として組閣し、昭和初期には立憲民政党(りっけんみんせいとう)とともに二大政党として君臨するが、1932五・一五事件後は衰退、1940新体制運動で解体した。

立憲民政党(りっけんみんせいとう)
 (1927-1940) 1927憲政会と政友本党が合同して成立。初代総裁は浜口雄幸(はまぐちおさち)。浜口と二代総裁・若槻礼次郎(わかつきれいじろう)は首相として組閣し、昭和初期には立憲政友会とともに二大政党として君臨するが、1940新体制運動で解体した。

ロンドン海軍軍縮会議(ろんどんかいぐんぐんしゅくかいぎ)・ロンドン軍縮会議
  1930ロンドンで開かれた国際会議。イギリス首相・マクドナルドらが提唱。イギリス・アメリカ・日本・フランス・イタリアという当時の五大軍事大国が参加(フランス・イタリアは途中脱退)。日本の主席全権は若槻礼次郎(わかつきれいじろう)。日本はイギリス・アメリカに対する主力艦以外の補助艦の比率七割を保持できず、軍令部長・加藤寛治(かとうひろはる)ら(いわゆる艦隊派)は統帥権干犯だと非難、野党や右翼もこれに加担し、浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣倒壊の一因になった(統帥権干犯問題)。不況味4

若槻礼次郎(わかつきれいじろう)
 (1866-1949) 官僚・政治家。首相(在職1926-1927,1931)。大蔵次官・蔵相・内相を経て首相に就任するが、金融恐慌が発生し、緊急勅令案が枢密院を通らず辞任、1930主席全権としてロンドン海軍軍縮条約に調印、1931再度首相に就くが、満州事変の収拾がつかなくなって辞任した。

ワシントン会議
 (1921-1922) ワシントンで開かれた国際会議。アメリカ大統領・ハーディングが提唱。日本の主席全権は加藤友三郎海相。議長はアメリカの主席全権のヒューズ。アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア間で主力艦の保有比率を定めたワシントン海軍軍職条約が、日本・イギリス・アメリカ・フランス間で太平洋統治に関する四カ国条約が、アメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリア・ベルギー・ポルトガル・オランダ・中国間で中国問題に関する九カ国条約が調印された。

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