3.源平激突 〜 倶利伽羅峠の戦

ホーム>バックナンバー2004>3.源平激突 〜 倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦

日本ウシ史
1.義仲挙兵 〜 以仁王の令旨
2.平家襲来 〜 火打城の戦
3.源平激突 〜 倶利伽羅峠の戦

「源氏本隊が来たぞ!」
 平家軍は二手に分かれ、平維盛・平通盛ら本隊七万は倶利伽羅峠
に、平忠度(ただのり。清盛の弟)・平知度(とものり。清盛の六男。または七男)ら別働隊三万は志保山(しおやま。石川県宝達志水町)に陣を張った。加賀越中国境を封鎖して、源氏の加賀奪還を阻止しようとしたのである。

 対して源義仲は、叔父・源行家ら一万騎を志保山へ向かわせると、北黒坂(倶利伽羅峠北東麓)に山田重忠(やまだしげただ)ら七千騎を、南黒坂(同峠南東麓)に樋口兼光(ひぐちかねみつ。今井兼平の兄)・落合兼行(おちあいかねゆき。兼平の弟)ら七千騎を、松長(まつなが。小矢部市)に伏兵一万騎を、鷲の瀬(わしのせ。同市。小矢部川東岸)に今井兼平ら六千騎を、羽丹生(はにゅう。同市。小矢部川西岸)に本隊一万余騎を配備した(配陣は『平家物語』による)

 五月十一日昼、両軍は矢を飛び交わせ、あいさつ程度のちゃんばらを繰り広げたが、主力の激突はなかった。
 出ては引っ込み出ては引っ込みを繰り返している源氏軍に、平家軍はヤジを飛ばした。
「早く攻めてこんか、アホー!」
「本当は弱いんやろ、ボケー!」

 ヤジられても、義仲は乗らなかった。
「平家は坂を背に布陣している。そんなところに突撃すれば、負けることは目に見えている」
 義仲は、中国の兵法書『孫子』を勉強していた。
  『孫子』にはこうある。「最強味」でも引用したが、改めて引用しておく。

 およそ用兵の法は高陵(高い丘)へ向かうなかれ。

 山を絶つ(越える)には谷に依(よ)(沿い)、生(高地)を視(み)て高きに処り、隆(たか)きに戦ては登ることなかれ。

 巴御前(ともえごぜん)が首をかしげた。
「平家も『孫子』を勉強して陣を構えたのでしょうか?」
 彼女は義仲の側室にして、屈強の女武者である。
 義仲は笑った。
「ありえない。平家は最大の過失を犯している。平家は『絶澗
(ぜっかん)』に近づいている」
 彼は『孫子』の別の個所を指摘した。ここも「2002年7月号 最強味」でも引用したが、改めて引用しておく。

 およそ地(地形)に絶澗(谷間)・天井(井戸)・天牢(狭所)・天羅(草むら)・天陥(泥沼)・天隙(洞穴)あらば、必ず亟(すみ)やかにこれを去りて近づくことなかれ。吾(われ)はこれに遠ざかり、敵はこれに近づかしめよ。吾はこれを迎え、敵にはこれを背せしめよ。

 巴御前は理解した。
「『絶澗』とは、地獄谷のことですね」
 地獄谷は、倶利伽羅峠の南にある谷間である。
 義仲はうなずいた。
「今夜、平家はおぞましき悪夢を見るであろう」

 日が暮れると、源平両軍は静かになった。
 矢合わせもおさまり、ちゃんばらもなくなった。
 夜がふけてくると、敵味方のかがり火の数もだんだん少なくなっていった。
「まさか、夜は攻めてこないだろう。攻めようと思っても、何も見えないし」
 平家軍は安心して眠ることにした。
 でも、なにやら変な物音が気になった。
「おい、なんか変な音がしないか?」
「何も」
「何だろう。そうだ。ウシの鳴き声だ。それもいっぱいいるようだ」
「そんなもん、いっぱいいるもんか」
「ほら、耳をすませてみろ。すごいモーモー鳴いてる」
「フクロウのホーホーだろ」
「そうかなぁ」

 その頃、暗闇の中明かりもつけずに、ひそかに山間を移動した源氏軍の部隊があった。
 樋口・落合隊七千と、山田隊七千である。
 樋口・落合隊は平家軍の背後、つまり、峠の西側に回り、山田隊は北側に移動していた。
「三方向からいっせいに平家軍に夜襲を仕掛けるのだ」
 義仲は彼らにそう命じていた。しかも、ただの夜襲ではなかった。
「『火牛の計』を使う」
 『火牛の計』とは、斉
(せい。古代中国)の田単(でんたん)が行った戦略である。
 そのため樋口隊は、数百頭のウシたちも引き連れていた。
 兵たちは訳がわからなかった。
「こんなウシ、何に使うんだ?」
 樋口兼光が兵たちに命じた。
「まず、ウシたちの角に刀を結び付けよ」
 兵たちは訳が分からないまま、言われた通りにしてみた。
 ウシたちは嫌がって頭を動かす。
「できました。でも、危ないですよ、コレ」
「危ないからいいのだ」
 兼光は笑うと、こう続けた。
「次にウシの尻尾にアシを結び付けよ」
 兵たちはまた、言われた通りにした。
 ウシたちはますます不機嫌に尻尾を振る。
「できました」
 準備が完了すると、兼光はみなに命じた。
「最後はみなでいっせいに行う。ウシの尻尾に結びつけたアシに火を付けるのだ」
 兵たちはまたまた、言われた通りにした。
 つまり、ウシたちは背後に時限爆弾を仕掛けられたわけである。
 ジジジ、パチパチ。
 変な音で振り向いたウシたちは、尻尾の先で燃えている炎に仰天した。
「うも!?」
 早く逃げなければ焼肉になってしまう!
「うもー ! うもー!」
 ウシたちは駆け出した。火から逃れようと必死に前へ走った。なるべく速く走って火を消そうと、低いところへ向けて走った。
 つまり、すべての火牛は、眼下の平家軍の陣地へ向けて駆け下りていったのである。
 ドドドドーッ!
「モモー!」
「もわぉ〜!」
「ぎゃもー! ぎゃもー!」
 ものすごい地響きとウシたちの阿鼻叫喚に、平家軍はたたき起こされた。
「なんだ?」
「地震か?」
「何が起こったんだ?」
 そして、暗闇の中から突如現れた紅蓮の猛牛軍団を見て、慌てふためいた。
「ゲゲッ! なんじゃあれはっ!」
「ウッ、ウシが燃えながら走ってくるぅ〜!!」
「いったい何が起こったんだぁ〜」

 『源平盛衰記』には、義仲はウシの角にたいまつを付けて放ったとあるが、誤りであろう。平家軍はウシの角に結び付けられた刀身に炎が反射したのを見間違えたのである。そうでなければ、ウシは前には走らない。

 平家軍は混乱した。
 訳の分からないまま、ウシたちに踏まれた。蹴られた。突かれた。火も付いた。炎上した。修羅場と化した。
「わぁー!」
 源氏軍がときの声を挙げる。
 ビュンビュンと火矢も放たれる。
 東側だけではない。
 北からも、西からもときの声が聞こえ、火矢が飛んできた。
「うわっ! 取り囲まれた!」
「いつの間に!」
「どうすればいいんだ!」
「あっ! 南が空いているぞ!」
「みんな、南へ逃げろ!」

 平家軍は南へ逃げた。しかしそこには、地獄谷と呼ばれる断崖絶壁があった。
「だめだ! こっちは道がない!」
「押すなー! 落ちるー!」
「うわぁー! 落ちたぁ〜〜!!」
 平家軍は人馬もろとも、次々と谷底へ落ちていった。

  『平家物語』には、無間地獄のありさまが描かれている。

 この谷の底に道のあるにこそとて、親落せば子も落し、兄落せば弟もつづく、主落せば家子(いえのこ)・郎党(ろうとう)落しけり。馬には人、人には 馬、落かさなり落かさなり、さばかり深き谷一つを、平家の勢七万余騎でぞ うめたりける。巌泉血を流し、死骸岳(おか)をなせり。

 義仲の「火牛の計」により、平家軍は戦わずして壊滅してしまった。
 侍大将の藤原忠綱
(ふじわらのただつな)・藤原景高(かげたか)らも転落死してしまった。
 平泉寺長吏斎明、瀬尾兼康
(せのおかげやす。清盛の元腹心)らは生け捕られてしまった。
 大将軍平維盛・平通盛らは、わずか二千になった軍勢とともに加賀へ敗走してしまった。
 志保山の源行家軍は負けそうになっていたが、義仲の来援を得て巻き返し、平家軍の大将軍の一人・平知度を討ち取ってしまった。

 六月、平家軍は加賀篠原(しのはら。石川県加賀市)の戦でも惨敗した。
 七月二十二日、義仲軍は京都東隣、比叡山
(滋賀県大津市京都府京都市境)に入った。
 二十四日、転身早い後白河法皇は、こっそり比叡山まで新権力者をお迎えに行った。

 平家総帥・平宗盛は愕然(がくぜん)とした。
「我々は法皇にまで見限られたか」
 七月二十五日、宗盛ら平家一門はあわただしく都落ちを決行、三日後、義仲京都に上洛したのである。

[2004年2月末日執筆]
参考文献はコチラ

歴史チップスホームページ

inserted by FC2 system