★ 阿鼻叫喚! 無間地獄! 暴れるウシたち! 逃げ惑う人馬! 〜平家滅亡のプレリュード・倶利伽羅峠の戦!! |
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かわいそうなウシ……。
トリも十分かわいそうだが、歴史上ウシほどヒトから惨い目にあわされてきた動物はないであろう。
つい最近まで、農家にはウシやウマがいて、ヒト様の農作業を手伝っていた。
「働け! もっと働け!」
ヒトはウシやウマを酷使した。牛馬のごとく(というよりソノモノであるが……)こき使い、時には虐待を加えた。
ウシやウマがいなくなった今、ヒトは虐待の対象を同族の弱者に向けるようになった。
ウマはまだいい。酷使ですむからである。
でも、ウシは死んでしまう。殺され、バラバラにされ、焼かれ、煮込まれ、食われてしまう(ウマでも一部食われるものもあるが……)。
ああ、かわいそうなウシ……。
ウシも夢を見るのであろうか?
将来のないウシにも、夢はあるのであろうか?
出荷が決まったオスウシの夢……。
「飼い主さんよ、オレが死んだら、あの娘の肉と混ぜ混ぜにしてすき焼きにしてほしい」
ウシは偶蹄(ぐうてい)目ウシ科の哺乳(ほにゅう)類である。
日本には先土器時代から「ノラウシ(野牛)」がウロチョロしていたが、それらはやがてヒトに狩られ、拉致られ、飼われるようになった。
むろん、ペットとしてではない。当初は農耕儀礼の生贄(いけにえ)として、古墳時代以降は従順なヒトの奴隷(家畜)として飼育されたのである。
飛鳥時代、渡来人・和薬善那(やまとのくすしぜんな)が時の孝徳天皇に牛乳を献上した。
天智天皇もウシの繁殖を奨励し、文武天皇は牧場を設置している。
奈良時代、宮内省典薬寮(てんやくりょう)に「乳牛院(にゅうぎゅういん)」が設置された(平安時代に設置ともいう)。乳牛を飼育し、牛乳を献上、蘇(そ)・酪(らく)・醍醐(だいご)といった乳製品製造を指導した役所である。
長官は「乳長上(ちちのちょうじょう)」と呼ばれ、当初は和薬氏の世襲であった。
なお、直営牧場は摂津味原(あじう。大阪市東淀川区・大阪府摂津市)にあったという。
平安時代になると、画期的なスロー乗用車「牛車(ぎっしゃ・うしぐるま)」が考案された。
貴族たちはマイ牛車に趣向を凝らし、見せびらかすように乗り回したため、葵(あおい)祭など大きな祭の時には「渋滞」も起こったという(「無礼味」参照)。
また、ウシの出てくる奇妙な祭も現れる。
夜中に摩多羅(まだら)神が牛に乗ってうろつくという大酒(おおざけ)神社(京都市右京区)の「牛祭(うしまつり)は、源信が始めたとされ(または円仁とも)、京都三大奇祭の一つになっている。
京都3大奇祭 |
牛祭(大酒神社…京都市右京区) やすらい祭(今宮神社…京都市北区) 鞍馬の火祭(由岐神社…京都市北区) |
鎌倉時代、武士たちは軍事訓練の一環として「牛追物(うしおうもの)」を行った。
「犬追物」のイヌをウシに代えたものであるが、ウシはイヌと違って逃げるだけではなく、向かってくることもあったため、スリルがあったのであろう。ウシにとっては迷惑な話だ。
室町時代になると、関西各地などで「牛市」が開かれるなど、ウシの売買が盛んになった。
「ウシはもうかる」
うわさが広まると、利権にあやかろうとする人々が集まってくる。
後に摂津天王寺(てんのうじ。大阪市天王寺区)で毎年牛市が行われるようになると、天王寺孫右衛門(てんのうじまごえもん)なる総元締(そうもとじめ)が登場、彼の許可がなければウシの売買を行えなくなってしまうのである。
戦国時代、ウシは死刑執行牛にもなった。
「牛裂(うしさき)」と呼ばれる残酷な刑罰で、罪人の両足(または手足四か所)にそれぞれウシをつなぎ、いっせいに逆方向に走らせたのである。
結果、罪人がどうなるかはお分かりであろう。福島正則(ふくしままさのり。「芸人味」参照)・蒲生秀行(がもうひでゆき)・三好長治(みよしながはる)たちがこの刑を行っている。
江戸時代、牛肉や牛乳は一部武士の間で飲食されていた。
江戸幕府八代将軍・徳川吉宗(「食糧味」参照)は乳牛の飼育を試み、幕末の大老・井伊直弼は近江彦根(ひこね。滋賀県彦根市)名物牛肉味噌(みそ)を将軍に献上、常陸水戸(茨城県水戸市)藩主・徳川斉昭は、牛肉も牛乳も好物だったと伝えられている。
また、幕末には外国人によって横浜に初めて牛肉店と牛乳店(牛乳搾取所)が開かれ、前田留吉(まえだとめきち)が日本人で初めて牛乳店を開業、中川屋嘉兵衛(なかがわやかへえ)は江戸で初めて牛肉店を営んだ。中川屋はほかにも、パン・洋菓子・氷・書籍など、手広く商っていたという。
明治時代、文明開化の味として「牛鍋」がもてはやされた。
「牛鍋」とは、牛肉を焼豆腐・しらたき・ネギ・三つ葉などと煮込んだ現在の「すき焼き」のようなものである。日本風に味付けられたこの牛肉料理は、たちまち庶民の間に広まり、一大ブームとなった。
仮名垣魯文の名作『安愚楽鍋』は、牛鍋に群がる人々の様子を描いた滑稽本である。
また、陸軍省官僚・津田出(つだいずる)によって今日一般的な乳牛・ホルスタイン種が輸入され、明治九年(1876)の秩禄処分以降失業した士族の中には、酪農を始める者も多くあった。
明治二十四年(1891)、岩手山麓(岩手県盛岡市)に日本最大の資本家的総合農場「小岩井(こいわい)農場」が開設された。「小岩井」とは、創設者三者(小野義真+岩崎家+井上勝)の苗字を一字ずつ取ったものである。
明治三十二年(1899)、日本橋(にほんばし。東京都中央区)に牛丼(ぎゅうどん)店「吉野家(よしのや)」が誕生した。吉野家はその後、全国・外国に店舗を展開し、平成十六年(2004)二月まで人々に牛丼を供給し続けていた。
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哀れなウシたちは戦場にも駆り出されたことがある。
今回は平家滅亡の序曲となった「倶利伽羅峠(くりからとうげ。砺波山。富山県小矢部市・石川県津幡町)の戦」を採り上げたい。
[2004年2月末日執筆]
参考文献はコチラ
【源(木曽)義仲】みなもとのよしなか。源氏軍総大将。
【巴御前】ともえごぜん。義仲の側室。女武者。
【樋口兼光】ひぐちかねみつ。義仲の家来。
【以仁王】もちひとおう。後白河法皇の皇子。以仁王の令旨を下す。
【平 維盛】たいらのこれもり。平清盛の孫。平家軍総大将。
【平 宗盛】たいらのむねもり。平家の当主。