172.ゲス味 基礎用語集

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板垣退助(いたがきたいすけ)
 (1837-1919) 武士・政治家。参議・内相。土佐高知藩士。1868-1869戊辰(ぼしん)戦争や1871廃藩置県の活躍で参議に就任、西郷隆盛(さいごうたかもり)らとともに留守政府を主導したが、1873征韓論争で破れて下野(明治六年の政変)、1874民撰議院設立建白書を提出し、東京で愛国公党(あいこくこうとう)を、土佐で立志社(りっししゃ)を、1875大阪で愛国社(あいこくしゃ)を結成、自由民権運動を主導するが、大阪会議で大久保利通(おおくぼとしみち)と和解、一時参議に復帰するがまもなく辞め、1878愛国社を再興、1880国会期成同盟(こっかいきせいどうめい)と改め、1881自由党を結成、第二次伊藤博文(いとうひろぶみ)内閣・第一次大隈重信(おおくましげのぶ)内閣で内相を務めた。

大隈重信内閣(おおくましげのぶないかく)=大隈内閣≧隈板内閣(わいはんないかく)
 (1898) [第一次] 1898第三次伊藤博文内閣退陣後、大隈重信(首相・外相)と板垣退助(内相)が主導して成立(隈板内閣)、陸相と海相の他の閣僚はすべて憲政党員という初の政党内閣だったが、文相・尾崎行雄による共和演説事件で内紛になり崩壊した。 [第二次] (1914-1916) 1914第一次山本権兵衛内閣退陣後、立憲同志会・中正会などを与党として大隈重信が組閣、外相・加藤高明、内相・大浦兼武が実権を握り、1915第一次世界大戦に参戦、袁世凱政府に対華二十一カ条の要求を突きつけ、解散総選挙を経て二個師団増設を実現したが、大浦の選挙干渉が問題化した。

武田信玄(たけだしんげん)←武田晴信(はるのぶ)
 (1521-1573) 武将。甲斐等守護。信虎(のぶとら)の子。1541父を追放して家督を継ぎ、1547分国法「甲州法度之次第(こうしゅうはっとのしだい。「信玄家法」とも)」を制定、1542信濃へ侵攻して諏訪頼重(すわよりしげ)を討ち、小笠原長時(おがさわらながとき)・村上義清(むらかみよしきよ)らを撃破、越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)と数度交戦し(川中島の戦)、1554駿河の今川義元(いまがわよしもと)・相模の北条氏康(ほうじょううじやす)と同盟を結ぶが(善徳寺の会盟)、1560桶狭間の戦で義元が敗死するや1568駿河に侵攻して今川氏を滅ぼし、1572三方原(みかたがはら)の戦で徳川・織田連合軍を破るが、まもなく病没した(鉄砲で狙撃されたという)。ゲス味
撤退味 大雪味3 惨敗味 ニセ味

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