3.大脱走

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カダフィ大佐虐殺
1.天平の面影
2.出家とその弟子
3.大脱走
4.生きてゐる兵隊
5.憎いあンちくしょう

 天正二年(1574)も八月に入った。
 依然として織田軍は長島城を初めとする一揆の諸城を完全包囲していた。
 長島城では顕忍が退屈していた。
「あーあ。城の外に出たいなー」
 下間頼旦がたしなめた。
「今外に出れば、たちまち『ハチの巣』にされますよ〜」
「……」
「戦いが始まって半月が過ぎました。信長は前回の戦いは一か月、前々回の戦いは数日で撤退しています。もう少しの辛抱です。ヤツは必ず撤退します」
 頼旦は空を見上げた。
 ごろごろりーんと遠雷が鳴った。
 頼旦はニヤリとした。
「ほらほら。そろそろ雨が降ってきますよ」

 八月二日の夜は大雨になった。風も強烈であった。
 頼旦は歓喜した。
「ヨッシャー!もっと降れ!もっと降れ!そして信長は三度泥にまみれるのじゃー!」

 が、織田軍が撤退する様子はなかった。
 その代わり、予期しなかったところが動いた。
 一揆側の城の一つ、大鳥居城である。
 実は大鳥居城と篠橋城は、織田水軍の「大鉄砲」による艦砲射撃によって塀や櫓が相当破壊され、参っていたのである。
 ドカーン!
 ボーン!
 ガラガラドッシャーン!
 ずしゃ!
『ぎゃーん!』
 ぴくぴく!
『あら、悲惨ー!』
 そのため両城の城兵は、
『もう降参しまーす』
 と、織田軍に申し出ていたのであるが、
『降参は許さぬ』
 信長に突っぱねられたため、仕方なく籠城を続けているのであった。
「うわー、雨漏り、すごっ!」
「大鉄砲にやられたところがダダ漏れだー」
「あなた!大鉄砲の音に子供たちがおびえています。何とかしてくださいっ」
 この「大鉄砲」というのは、大砲なのかもしれない。
 日本への大砲の伝来は、天正四年(1576)に南蛮から豊後大友氏に贈られたのが最初とされるが、早耳即断の信長のことであるから、それ以前に取り入れていてもおかしくはない。
「兵糧も尽きてきたし、どうするんだ?」
本願寺ぃ〜、早く食糧を届けてくれぇ〜」
「ダメだ。どうも服部党や本願寺の水軍は織田の水軍に勝てないらしい」
 大鳥居城将・水谷盈吉
(みずたにみつよし)は決断を下した。
「やむをえん。みんなで逃げよう!」
 城兵たちは驚いた。
「だって、敵に取り囲まれているんですよ〜。逃げられるはずないじゃないですか〜」
「それならこのまま城にいて兵糧が尽きてみんなで餓死してもいいのか!」
「それも嫌です〜」
「だったら逃げよう!今晩は嵐だ。こんな夜は逃げるはずがないと見張りも油断しているはずだ」
「それもそうだな。こんな逃げ時な晩はもう二度と来ないだろう」
「よし!みんなで逃げれば怖くない!行こう!」

 大鳥居城の城兵とその家族約二千人(千人とも)は、嵐と闇に紛れてこっそり逃げることにした。
 外をのぞいてみると、見張りの兵はおらず、みんな屋内に待機しているようであった。
「やった!誰もいないぞ!」
 連中はドドドドいっせいに逃げようとした。
 しかし、少し走ると、前方に不自然な壁があった。
 いや、壁ではなく、人の群れであった。
 連中は青ざめた。
「しまった……」
 たちまちバラバラと敵兵に取り囲まれた。
 松明
(たいまつ)が敵兵の親玉の顔を不気味に浮かび上がらせた。
「君たち、引っかかったね〜。こんな嵐の晩は、ひょっとして我々の裏をかいて逃げるんじゃないかとかんぐっていたんじゃよ〜」
 それは、稲葉一鉄
(いなばいってつ)であった。
 第一次長島一向一揆攻めで散った氏家卜全と同じ、美濃
(西美濃)三人衆の一人であった。
 連中は懇願した。
「お願いです!見逃してください!」
「ほら、このとおり、いたいけな女子供も大勢いるんです!」
「まさか、皆殺しなんて極悪非道なことはしませんよね〜?」
 一鉄は一徹であった。
「するに決まっているだろ!テメーらはみな我が同士氏家のカタキだ!片っ端から死んでもらおう!」
「そんな〜」
「やれ!」
「へい」
 ズコ!
 ベシ!
 スパ!スパ!
 バッタ!バッタ!
「いたいー!」
「やめてー!」
「鬼ー!」
「血の海〜!」
 生き地獄であった。
 稲葉隊は柴田隊の助けも借りて二千人を処分し終えると、柴田勝家に聞いた。
「この有様を上様に報告したいのですが、たくさん首が獲れすぎて船に載せ切れません。いかがいたしましょうか?」
 勝家が答えた。
「どうせ名もなき連中ばかりだ。かさばる首は捨てて、耳か鼻だけ運べばいい」
「ですよねー」

 こうして大鳥居城は落城し、信長のもとには耳と鼻の山が積まれた船が届けられた。
 信長は、この「趣向」に満足したという。

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