162.北陸味 基礎用語集

ホーム>バックナンバー2015>基礎用語集

足利義尚(あしかがよしひさ)
 (1465-1489) 室町幕府九代将軍(在職1473-1489)。義政(よしまさ)の子。母は日野富子(ひのとみこ)。叔父・義視(よしみ)が将軍継嗣とされていたが、彼の出生で後継争いが勃発し、1467-1477応仁の乱に発展、乱の最中に将軍になり、父の後見を受けたが不和になり、1487近江守護・六角高頼(ろっかくたかより。当時は行高)征伐を断行、高頼は甲賀(こうが・こうか)に潜伏して長期戦になり、鈎(まがり)の陣所で没した。

一向一揆(いっこういっき)
 室町〜戦国時代に近畿・中部地方で起こった浄土真宗(じょうどしんしゅう。一向宗)信仰者の武装集団。本拠は大坂の石山本願寺(いしやまほんがんじ)。最大のものは加賀(かが)の一向一揆。各地の守護大名や戦国大名らと交戦したが、1580織田信長と石山本願寺と講和、加賀の一向一揆の滅亡によって解体した。北陸味
騒乱味 暴力味泥沼味虐殺味

応仁(おうにん)の乱=応仁・文明(ぶんめい)の乱
 (1467-1478) 管領細川勝元(ほそかわかつもと)と嘉吉の乱以後台頭した山名持豊(やまなもちとよ。宗全)の対立に将軍家(足利義視vs足利義尚)・畠山氏(畠山政長vs畠山義就)・斯波氏(斯波義敏vs斯波義廉)の家督争いが絡んで起こった戦。京都を中心に十一年間繰り広げられたが、1477勝元・持豊が相次いで病没し、翌年、両軍は講和した。領土味

加賀の一向一揆(かがのいっこういっき)
 (1474-1580) 加賀を支配した一向宗門徒による自治組織。1474加賀の一向宗門徒は加賀守護家富樫(とがし)氏の内紛に介入、富樫政親(まさちか)を擁して幸千代(こうちよ。政親の弟)を滅ぼしたが、1488政親とも対立、今度は泰高(やすたか。政親の大叔父)を擁して政親を高尾城に攻め滅ぼし、以後、越前の朝倉氏などと抗争しながら坊主・国人・農民らの寄合による自治を約百年続けるが、1580織田信長に滅ぼされた。
北陸味

管領(かんれい)←執事(しつじ)
 
室町幕府の将軍補佐役。足利家執事&室町幕府政務長官。現代の副総理または官房長官のようなもの。足利尊氏(あしかがたかうじ)の執事・高師直(こうのもろなお)が起源。後には三管領家(細川・斯波・畠山氏)から交替で選ばれた。

(こう)
 僧や宗徒が集まって行う仏教儀式。浄土真宗では酒食を共にして議論し合った。

国人(こくじん・こくにん)=国衆(くにしゅう)
 鎌倉時代以降に村落を支配した領主。地頭や荘官などが土着した有力武士。毛利元就(もうりもとなり)など戦国大名に成長するものもあった。

守護(しゅご)
 鎌倉・室町時代に国ごとに置かれた軍事・行政長官。古代の国司(こくし)、近世の大名(だいみょう)、現代の知事のようなもの。1185源頼朝(みなもとのよりとも)が初めて全国的に設置。戦国時代の下克上(げこくじょう)により衰退するが、なかには戦国大名として生き残るものもあった。

守護代(しゅごだい)
 鎌倉・室町時代に国ごとに置かれた守護の代官。在国しない守護に代わって行政を担当した。戦国時代には越後の長尾氏、越前の朝倉氏、尾張の織田氏、美濃の斎藤氏、出雲の尼子氏など、守護に取って代わって戦国大名に成長するものもあった。

守護大名(しゅごだいみょう)
 室町時代に守護が封建領主化したもの。鎌倉時代の守護は大犯三か条による軍事警察権しかなかったが、室町時代になると刈田狼藉(かりたろうぜき)の制止や使節遵行しせつじゅんぎょう)の権限が加えられ、半済令や守護請で土地支配を確立し、段銭(たんせん)徴収権も得て一国全体を支配するようになった。応仁の乱以降は戦国大名化する者もあったが、守護代や国人らに実権を奪われて没落いる者も多々あった。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための朝廷の軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)が就任して幕府を開いてからは世襲となった。将軍味

浄土真宗(じょうどしんしゅう)=真宗=一向宗
 鎌倉時代初期に親鸞(しんらん)が創始した浄土教の一派。阿弥陀仏を信じれば往生できると主張する。後に本願寺派・大谷派・高田派・仏光寺派・木辺派・興正派・出雲路派・山元派・誠照寺派・三門徒派の十派に分裂した。

段銭(たんせん)
 中世の租税の一。田地一段ごとに課せられた土地税。天皇即位・内裏造営・伊勢神宮造営・幕府行事費に使われた。銭納で、初めは臨時税だったが、室町時代に恒久税化した。守護や荘園領主が徴収する私段銭も行われた。

富樫政親(とがしまさちか)
 (1455-1488) 武将。加賀守護。父は加賀北半国守護の成春(しげはる)。父の跡をついで加賀北半国守護となり、大叔父で南半国守護の富樫泰高(やすたか)と対立、応仁の乱では政親が東軍、泰高が西軍として戦い、弟・富樫幸千代(こうちよ)とも抗争、一向一揆の支援を得て幸千代を駆逐して加賀守護に返り咲くが、一向宗弾圧に転じたため1488一揆数万〜二十万人に高尾城を攻囲され、隣国からの援軍も撃退されて自害した。
北陸味

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

年貢(ねんぐ)
 平安〜江戸時代に領主が農民に課した税。江戸時代には原則として田は米、畑は作物で支払った。地租改正で廃止。

念仏(ねんぶつ)
 仏の名を口にすること。浄土宗(じょうどしゅう)や浄土真宗(じょうどしんしゅう)で、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えること。

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

仏教(ぶっきょう)=仏道(ぶつどう)
 釈迦(しゃか)を開祖とする宗教。日本には欽明(きんめい)天皇の時代に百済の国王・聖明王(せいめいおう)によってもたらされた。年代については552説(『日本書紀』による)と538説(『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』『元興寺縁起(がんごうじえんぎ)』による)がある。これを「仏教公伝」とするが、これ以前にも渡来人・司馬達等(しばたっと)が自宅で仏像を礼拝していたという(仏教私伝)。以後、従来からあった神道(しんとう)と並んで浸透した。

室町幕府(むろまちばくふ)=足利(あしかが)幕府
 (1336?-1573) 室町時代の武家政権。1336足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)政権を倒し、1338征夷大将軍に就任して創始。足利氏が代々将軍に就任し、管領(かんれい)がこれを補佐した。幕府名は三代将軍・足利義満の京都室町邸(花の御所)にちなむ。1467-1477応仁の乱後に弱体化し、1573十五代将軍・足利義昭(よしあき)が織田信長に追放されて滅びた。

門徒(もんと)
 同じ宗派に属して宗教説活を送る人々。浄土真宗では在家信者のこと。

蓮如(れんにょ)
 (1415-1499) 僧。浄土真宗(じょうどしんしゅう)僧。本願寺(ほんがんじ)八世法主。存如(ぞんにょ)の子。1457法主となって近江に布教を拡大、1465対立する延暦寺(えんりゃくじ)に本願寺を焼かれるが、三河布教の後、1471越前に吉崎道場(よしざきどうじょう。吉崎御坊)を創建、北陸布教に力を入れ、1478山科(やましな)本願寺を、1496石山(いしやま)本願寺を建立して畿内でも勢力を拡大、合間に五人の妻から二十七人の子を成した。
北陸味

inserted by FC2 system