59.北方味 基礎用語集

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アイヌ(Ainu)
 北海道・樺太(サハリン)・千島(クリル)列島の先住民。古くから狩猟・漁労・採集の生活を行う。文字はないが、ユーカラが伝わる。室町時代から和人と交易、江戸時代の松前藩の圧政や明治時代の同化政策により人口は激減した。蝦夷かどうかについては諸説ある。
北方味

商場知行制(あきないばちぎょうせい)
 江戸時代の松前藩独特の知行形態。米がほとんど取れない代わりに1604徳川家康からアイヌの交易独占権を認められた松前藩は、家臣に商場(アイヌとの交易権)を知行として与え、商売をして生計を立てた。江戸時代後期に場所請負制に移行。

蝦夷(えぞ・えみし)
 古代、主に東日本に住んでいた人々。大和朝廷の征伐を受け、次第に北方に追いやられた。アイヌかどうかについては諸説ある。

蝦夷地(えぞち)蝦夷ヶ島(えぞがしま)
 明治時代以前にアイヌが住んでいた北海道・千島・樺太の総称。特に北海道のこと。

江戸時代(えどじだい)=徳川(とくがわ)時代
 (1600or1603-1867) 江戸幕府が支配していた時代。1600関ヶ原の戦(せきがはらのたたかい)で徳川家康(とくがわいえやす)が政権を握ったこと、または1603家康が江戸幕府を開いたことに始まり、徳川氏が代々将軍に就任した。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して終わった。

桓武天皇(かんむてんのう)←山部(やまべ)親王←山部王
 (737-806) 伝五十代天皇(在位781-806)。光仁(こうにん)天皇の皇子。781父の譲位によって即位し、784長岡京(ながおかきょう)へ遷都するが、785造長岡宮使(ぞうながおかぐうし)・藤原種継(ふじわらのたねつぐ)の暗殺で挫折(ざせつ)、792健児(こんでい)の制を制定し、794和気清麻呂(わけのきよまろ)の勧めで平安京へ遷都、勘解由使(かげゆし)を置き、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍として蝦夷を征伐、藤原継縄(つぐただ)・菅野真道(すがののまみち)らに正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』を編集させた。怨念味 怨霊味 ヤミ味

豪商(ごうしょう)
 江戸時代の大商人のこと。江戸の三井(みつい)家・紀伊国屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)・奈良屋茂左衛門(ならやもざえもん)、大坂の末吉孫左衛門(すえよしまござえもん)・鴻池(こうのいけ)家・住友(すみとも)家・淀屋辰五郎(よどやたつごろう)、京都の茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)、堺の津田宗及(つだそうぎゅう)・今井宗久(いまいそうきゅう)・今井宗薫(そうくん)・納屋助左衛門(なやすけざえもん)、博多の島井宗室(しまいそうしつ)・神谷宗湛(かみやそうたん)、長崎の末次平蔵(すえつぐへいぞう)・荒木宗太郎(あらきそうたろう)らが有名。

大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)
 太平洋戦争中に日本がアジア支配を正当化させるために唱えた標語。

台湾(たいわん)
 中国福建省の対岸にある島。明末に中国領となり、1894-1895日清戦争後に日本が領有、1945中国に復帰し、1949中国国民党子政権(中華民国)が移住した。主都は台北(タイペイ)。

中国(ちゅうごく)中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)←中華民国(ちゅうかみんこく)支那(しな)
 (1912-) 東アジアにある国。1912孫文(そんぶん)が臨時大統領になって中華民国が成立、袁世凱(えんせいがい)が専制支配を確立し、1928蒋介石(しょうかいせき)が国内を統一するが、1937-1945日中戦争で衰退、1949中華人民共和国が成立した。首都は北京。

鉄砲(てっぽう)種子島(たねがしま)火縄銃(ひなわじゅう)
 火薬の爆発力によって弾丸を発射する武器。1543ポルトガル人によって種子島に伝来。和泉(いずみ)の堺(さかい)・紀伊(きい)の根来(ねごろ)・近江(おうみ)の国友(くにとも)などの鉄砲鍛治(かじ)が製造し、戦国大名の間で普及した。織田信長が三千丁の鉄砲を使用して長篠(ながしの)の戦で勝利したことは有名。

日本(にほん=にっぽん=やまと)→大日本帝国(だいにっぽんていこく・だいにほんていこく)→日本国
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

場所請負制(ばしょうけおいせい)
 江戸時代の松前藩独特の知行形態。1604米がほとんど取れない代わりに徳川家康からアイヌの交易独占権を認められた松前藩は、家臣に商場(アイヌとの交易権)を知行として与え、商売をして生計を立てたが(商場知行制)、江戸時代後期に場所を商人に請け負わせ、商人がアイヌと交易、藩に運上金(うんじょうきん。税金)を支払った。結果、アイヌは交易者から奴隷に転落し、その生活は困窮、1789クナシリ・メナシの蜂起を招いた。

箱館(はこだて)→函館
 現在の北海道函館市。渡島支庁所在地。渡島半島南端の港町。松前(福山)・江差とともに松前三湊の一。江戸幕府が直轄領として箱館奉行を置き、1854日米和親条約により1855開港、1868五稜郭の戦(箱館戦争)の舞台になり、1869函館と改称、北海道の玄関として発展した。

(はん)
 江戸時代の地方行政区域。大名が治めた領地及びその統治機構。現在の都道府県より規模が小さい。1871廃藩置県で消滅。

平安時代(へいあんじだい)
 (794-1185頃) 平安京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。794桓武(かんむ)天皇の平安遷都に始まり、初期は天皇家が、前中期は藤原氏が、後期は院政の主が、末期は平家が政権を担った。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置(事実上の鎌倉幕府の創立)頃までをいう。

北方領土(ほっぽうりょうど)択捉島(えとろふとう)+国後島(くなしりとう)+歯舞群島(はぼまいぐんとう)+色丹島(しこたんとう)
 1798近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)らが択捉島に「大日本恵登呂府(だいにほんえとろふ)」の標柱を立て、1854or1855日露通好(和親)条約で日本領となるが、1945ソ連(ロシア)が占領、1956日ソ共同宣言で平和条約締結後に歯舞群島・色丹島の返還が同意されたが、いまだ平和条約は締結されていない。

松平定信(まつだいらさだのぶ)
 (1758-1829) 将軍補佐(在職1788-1793)・老中首座(在職1787-1793)。陸奥白河(福島県白河市)藩主。田安宗武(たやすむねたけ)の子。徳川吉宗(とくがわよしむね)の孫。田沼意次(たぬまおきつぐ)によって松平家に養子に出され、1783家督相続、1787老中首座となり、1788将軍補佐を兼任、倹約令・旧里帰農令・棄捐(きえん)令・寛政異学の禁・物価引下げ令・出版統制令・赤子養育法などを発令し、囲米(かこいまい)・七分積金(七分金積立)などを制定、人足寄場・昌平坂学問所を設置するなど1783-1793寛政の改革を断行するが、1789尊号事件や大奥の不満などで失脚、白河帰国後は学問興隆・殖産興業を勧め、『白河風土記』を編集、『宇下一言(うげのひとこと)』『花月草紙』など多数の著作物を残した。
金品味

松前藩(まつまえはん)福山(ふくやま)藩→館(たて)藩
 江戸時代に北海道の渡島(おしま)半島にあった藩。藩庁は福山(北海道松前町)。外様。藩主は松前(まつまえ)氏(もと蠣崎氏)。石高は米が取れないため0万石だが、一万石格。1604徳川家康からアイヌの交易独占権を認められ、商場請負制・場所請負制を展開、1789クナシリ・メナシの蜂起を招き、陸奥梁川(やながわ。福島県伊達市)に移された。
北方味

満州(まんしゅう)
 中国の東北地方のこと。遼寧(りょうねい・リャオニン)・吉林(きつりん・チーリン)・黒竜江(こくりゅうこう・ヘイロンチアン)省と内蒙古(うちモンゴル・ネイモンクー)自治区の一部。

明治維新(めいじいしん)
 江戸幕府による封建体制から、明治新政府による近代国家形成の契機になった一連の政治的・社会的改革。ペリー来航による開国から、大政奉還・王政復古の大号令・戊辰(ぼしん)戦争・五箇条の御誓文・東京遷都・版籍奉還・廃藩置県・徴兵令・四民平等・秩禄(ちつろく)処分・地租改正・郵便制度創設・鉄道開通・殖産興業・文明開化・新貨条例などを経て、西南戦争までをいうことが多い。

老中(ろうじゅう)
 江戸幕府の執政官。幕政を統括。定員は四、五名で月番制。二万五千石以上の譜代大名から選抜された。最初の老中(当初は年寄と呼ばれた)は大久保忠隣(おおくぼただちか)と本多正信(ほんだまさのぶ)(酒井忠世らとも)。

和人(わじん)シャモ≒倭人
 日本人のこと。江戸時代中期以降、蝦夷地に移った本州以南出身の日本人。道南の和人の居住地を和人地(松前地)といった。

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