3.橘奈良麻呂×黄文王 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2021>令和三年6月号(通算236号)印度味 東大寺大仏開眼供養会3.橘奈良麻呂×黄文王
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「大仏開眼供養会が今年の仏生会の日に行われるそうです」
「何ぃ〜! もうすぐじゃねーか! 鑑真、とても間に合わねー! 鑑真が来ないんなら、いったい誰が大仏の眼を描くってんだ?」
「菩提僊那が描くそうです。あれでもいちおう僧正ですからね」
「そんなの許さんぞー! ただ天竺(てんじく)の貴族出身だけで僧正になっちまった仮免ヤローに、歴史に残る大役を任せてたまるかー!
鑑真は死んだ親父を慕っているんだ! オヤジの名にかけても、鑑真に開眼させてみせる!(「呪い味」参照)」
「もう無理っすよ。あきらめなさい。詔勅(しょうちょく)が覆ることはありません。これは天皇の御意思というより、皇太后の御意思です。皇太后の信任の厚い、小賢しいヤツの企みです」
「仲麻呂の仕業だな? 仲麻呂が皇太后を使って出し抜きやがったんだな?」
「でしょうね」
「藤原氏はオヤジ一家の件(「令和味」参照)も含めてキッタネーことばかりやってきやがる!許さねーぞコノヤロー!」
「わめくだけではどうにもなりません」
「そうだよ! 何とかして開眼法要を邪魔する手はないのかー!?」
「ありますよ。恥をかかせる方法なら」
「どんな方法だ?」
橘奈良麻呂は耳打ちした。
黄文王は雄叫びを上げた。
「うっほほー! おもしれー! それだ! その手だ! その方法で菩提僊那を開眼導師に選んだヤツラに大恥をかかせてやるのだー!!」
天平勝宝四年(752)四月九日、東大寺で大仏開眼供養会が開催された。
当初は仏生会の日に合わせて開かれる予定だったとみられるが、何らかの都合で一日延期になったとみられる。
法要には聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇、皇太夫人・橘古那可智(こなかち)を始め、左大臣・橘諸兄、右大臣・藤原豊成(とよなり)、大納言・巨勢奈弖麻呂(こせのなでまろ)、大納言兼紫微令・藤原仲麻呂ら諸王諸臣百官数千人や、僧正・菩提僊那、少僧都・良弁(ろうべん)、律師・道セン、律師・隆尊(りゅうそん)ら僧一万人が参列した。
開眼導師を務めるのは菩提僊那。
筆で大仏に眼を描いて魂を入れるのである。
筆の尻には長い綱がついていた。
綱は十二本に枝分かれしており、参列者全員が綱を握ることで、菩提僊那による入魂を体感できるようになっているのと同時に、功徳が分配される仕組みにもなっていたのである。
そのことで奈良麻呂は気づいた。
『大仏開眼供養会では、筆につながった綱を参列者全員で握って見守ります。ということは、菩提僊那が眼を描き始めた時に、誰かが綱を引っ張っちゃったりしたら、大変なことになりますよ〜』
『うっほほー! おもしれー! それだ! その手だ! その方法で菩提僊那を開眼導師に選んだヤツラに大恥をかかせてやるのだー!!』
それで黄文王は雄叫びを上げたのである。
『いいか!菩提僊那が瞳を書き始めたら、俺たちで思いっきり綱を引っ張ってやるんだ!
そうすれば、ヤツは筆を落とすだろう!まさか地に落ちた筆で開眼続行なんてできまーい!』
玄蕃頭(げんばのかみ)・市原王(いちはらおう)に先導され、南門から良弁ら主だった僧たちが入場した。
「どうぞ、お入りください」
「御苦労」
開眼導師・菩提僊那は、輿(こし)に乗り、蓋(きぬがさ)をさされて東門から入場した。
「こちらへ」
紫微大忠・鴨角足(かものつのたり。賀茂角足)が出迎え、大仏の目の前に設置された高座へいざなった。
「講師の方はこちらですよー」
奈良麻呂は西門の誘導係だった。
「そっちかい!」
西門からは華厳経(けごんきょう)を講説する隆尊が入場した。
もう一人、読師を務める延福が東門から入った。
一同が席に着くと、童子たちが菩提僊那の筆につながっている例の綱をみんなに配って回った。
「このツナをもってください〜」
「これをにぎると、ダイブツさまのニューコンをタイカンできますよ〜」
「ソージョーさまとイッタイになれますよ〜」
「みなさま、ダイブツさまとひとつになってください〜」
奈良麻呂のところにも、童子が綱を回してきた。
「みんなでサイガイがなくなるように、いのりましょ〜」
「おう」
奈良麻呂は綱を受け取って握りしめた。
黄文王のところにも童子はやって来た。
「エキビョーがなくなるようにねんじましょ〜」
「ああ」
黄文王も綱を持った。
「へっへっへ!」
思わず悪い笑みがこみ上げてきた。
チラと奈良麻呂が見やったので、ニヤッと笑い返してやった。
口を抑えてみたものの、ワクワクは隠せなかった。
(やるぜー! 引っ張ってやるぜぇー!)
高座で菩提僊那が立ち上がった。
「菩提、行キマース!」
そして、筆を構えた。
(今だ!)
ぐいーん!
黄文王はやった。
ぐい! ぐい! ぐいいーん!
思いっきり、綱を引っ張ってやった。
「よいしょ! よいしょ! よいしょっしょ!」
漁師が網を引っ張るように、猛烈に手繰り寄せてやった。
(ワハハハハ!)
ぐいいーん! ぐいいーん! これでもか! これでもか!
引っ張りながら、黄文王は奈良麻呂を見やった。
しかし、奈良麻呂は綱を引っ張ってなかった。
(何でだ? 何で引っ張らないんだ!?)
くいっ、くいっ、くりっく、くりっく、おかいどく〜!
黄文王は焦ってきた。
(えっ? えっ? ひょっとして、引っ張ってるの、俺だけ〜〜!!)
でも、引っ張り続けるしかなかった。
(もう後戻りはできないんだー!)
くいーん、くいーん、くいずだ〜び〜。
黄文王は引っ張るのをやめた。
やめるしかなかった。
綱の先まで引っ張り切ってしまったからである。
黄文王は訳がわからなかった。
(えっ? えっ? もう全部引っ張り終えちゃったのか!?)
そんなことはなかった。
高座を見ると、菩提僊那は無事に大仏の瞳を描き終えていた。
周りを見ても、みんなみんな綱を握りしめていた。
(どういうことだ?)
黄文王は両手に握った綱の端を見比べて不思議がった。
(クソッ! どうやら途中でちぎれちまったようだ)
そう思ったが、そうではなかった。
つかつかと歩み寄ってきた仲麻呂が、小声でカラクリを教えてくれた。
「ちぎれたんじゃない。あんたが握っていた綱は、最初から筆にはつながってなかったんだよ」
「何だと!?」
「あんたの綱だけじゃない。奈良麻呂のもだ」
「何だって!? ――ま。まさか、しっ、知ってたのか!?」
「バカめ! 悪事を企む連中に、大仏さまの功徳なんて、最初からねえよ!」
これには黄文王だけではなく、奈良麻呂の握りこぶしも震えていた。
大仏開眼供養会は成功裏に終わった。
「おじゃましまーす。むふっ!」
「どーぞどーぞ。これこそ大仏さまの功徳だ」
その夜、女帝・孝謙天皇は、仲麻呂の私邸・田村第に堂々と宿泊した。
[2021年5月末日執筆]
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※ 黄文王の「テロ」は筆者の妄想です。