◆ 毒饅頭

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日本の怪談
★ 子捨て山
1.刑部姫vs豊臣秀吉
2.刑部姫vs宮本武蔵
3.刑部姫vs池田輝政
★ 毒饅頭

 最後の物語は幽霊も化け物も登場しないから、怪談ではない。ただの怖い物語である。

姫路城主一覧表 
(江戸〜明治)
城主名 在職年代 石高
(木下家定) (1595-1600) (2.5)
池田輝政 1600-1613 52.0
池田利隆 1613-1616 42.0
池田光政 1616-1617 42.0
本多忠政 1617-1631 15.0
本多政朝 1631-1638 10.0
本多政勝 1639-1639 6.0
松平忠明 1639-1644 18.0
松平忠弘 1644-1648 15.0
松平直基 1648-1648 15.0
松平直矩 1648-1649 15.0
榊原忠次 1649-1665 15.0
榊原政房 1665-1667 15.0
榊原政倫 1667-1667 15.0
松平直矩 1667-1682 15.0
本多忠国 1682-1704 15.0
本多忠孝 1704-1704 15.0
榊原政邦 1704-1726 15.0
榊原政祐 1726-1732 15.0
榊原政岑 1732-1741 15.0
榊原政永 1741-1741 15.0
松平明矩 1741-1748 15.0
松平朝矩 1748-1749 15.0
酒井忠恭 1749-1772 14.0
酒井忠以 1772-1790 14.0
酒井忠道 1790-1814 14.0
酒井忠実 1814-1835 14.0
酒井忠学 1835-1844 14.0
酒井忠宝 1844-1853 14.0
酒井忠顕 1853-1860 14.0
酒井忠績 1860-1867 14.0
酒井忠惇 1867-1868 14.0
酒井忠邦 1868-1871 14.0

 ※ 石高の単位は万石

 池田輝政には六人の男子がいた。
 このうち長男・池田利隆は、先妻の中川一秀
(なかがわかずひで)の娘を母とし、次男・池田忠継以下が徳川家康の娘・徳川督姫(とくひめ。富子・おふう・良正院)を母としていた。
 このため、輝政の死後に後を継いだ利隆は、督姫にとって継子ということになる。

 督姫は利隆がかわいくなかった。実の子かわいさに、憎たらしかった。
(早く死ねばいいのに)
 初めは思っていただけであろうが、次第に殺意を抱くようになっていった。

 ある日、督姫は利隆がやって来たので、饅頭(まんじゅう)を出してやった。
「私の手作りですのよ。おほほっ!」
 それは、特製の毒饅頭だった。
「どうぞ」
 侍女が利隆の前に饅頭の皿を押し進めた。
 侍女が開いた手のひらには「毒」と書いてあった。利隆に死なれたくない侍女は、機転を利かせて事前にそう書いておいたのだ。

 利隆は気づいた。
「これはうまそうですね」
 と、言っておきながら、なかなか食べようとはしなかった。

 そこへ弟の忠継がやって来た。兄の前に置かれていた皿を見つけた。
「お、饅頭!」
 忠継は喜んだ。
「兄貴、一つもらうぞ」
 彼は饅頭を手に取ると、ムシャムシャほおばり始めた。
「そ、それは……」
 督姫や利隆が止める間もなかった。
「うっ」
 と、うめいて忠継は倒れた。
「ギャー!」
 錯乱した督姫は、何個も何個も饅頭を食べた。自分の作った毒饅頭を食べまくった。

 そして、その日のうちに死んだ。享年五十一。
 忠継もまた、二十日余り後に亡くなった。享年十七。

[2002年7月末日執筆]
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