4.生首伝説 | ||||||||||||||
歴史チップス>バックナンバー2023>令和五年8月号(通算262号)生首味 将門の首4.生首伝説
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こうして行方不明になったニセ将門の首は放っておかれた。
そのため、京雀たちによって様々な伝説が作られた。
「東国へ飛んで行った将門の首は、その後どこ行かはったんや?」
「それがな、下総の石井まで飛んで帰るつもりが、武蔵上空で力尽きて落下してしまったそうな」
「ふーん。あと少しだったのに惜しかったな」
「いるのよね〜、もう少しのところでダメになる男が」
「何の話だ?」
「武蔵のどこら辺に落ちたの?」
「武蔵に大きな入江(日比谷入江)があるそうな。その入江の門戸のところに落ちたそうな」
平安時代にはまだ江戸の地名はなかったという。江戸の地名が現れるのは鎌倉時代からだそうである。これがいわゆる将門塚(東京都千代田区)の伝説である。
平将門の乱平定から数か月後、延暦寺(滋賀県大津市)に冊子が届けられた。
「なんじゃ、これは?」
尊意の次に天台座主になった義海が不思議がると、良源が説明した。
「先代(尊意)の手の者が記させた将門の反乱の顛末(てんまつ)です。この寺で校閲してほしいそうです」
「敗者の記録とは厄介よのう。わしらが関わったとは悟られないようにしなければな」
これが日本史上初の軍記物語『将門記』になったのであろう。
[2023年7月末日執筆]
参考文献はコチラ
※ 生首は飛行しません。飛首伝説は現実的ではありません。完全な作り話か、何者かによって東国まで運ばれたものと思われます。
※ 京雀たちが将門の首が飛んでいると勘違いした火の玉は、火球とみられます。
※ 将門の首がさらされた七条河原には京都神田神社(下京区)が祭られました(異説あり)。
※ 将門塚は首塚ですが、神田山(かどやま。坂東市)には銅塚があります。
※ 仏島山古墳(茨城県取手市)は将門の墓とも伝えられています。
※ 築土神社(千代田区)は将門の首を洗った池があった場所とされています。
※ 将門の終焉地には国王神社(坂東市)が祭られました。
※ 将門の首は東国へ飛行中、御首神社(岐阜県大垣市)上空で迎撃されたとも伝えられています。
※ そもそも将門の首は京には届けられず、藤原秀郷が上洛途中に十九首(静岡県掛川市)で埋葬してしまったとも伝えられています。
※ 姫塚(ひめづか。秋田県仙北市)は平将門の娘(滝夜叉姫?)の墓と伝えられています。