ホーム>バックナンバー2019>令和元年五月号(通算211号)令和味 長屋王の変4.琥珀(こはく)色の想い出
神亀六年(729)二月八日、元興寺で三宝(さんぽう。仏+法+僧)を供養する法会が盛大に行われた。
主催者は左大臣・長屋王である。
炊事場で沙弥(しゃみ。修行僧)たちに施す飯炊きを自ら指揮していた彼に声をかける者があった。
「親王殿下」
長屋王が振り返ると、見知った者であった。
「ああ、笠麻呂(かさのまろ)殿」
笠麻呂は丸めた頭をなでで言った。
「ええ、今は出家して満誓(まんせい)といいます」
「確か貴殿は、今は観世音寺の造営に関わっていると聞いたが」
観世音寺は九州の大宰府(だざいふ。福岡県太宰府市)で建設中の寺である。
「はい。帰京ついでにこちらに寄らせていただきました。ある人から言伝(ことづて)を頼まれまして」
「ある人?」
「はい。藤原麻呂です」
「ああ藤原四兄弟の四男だな」
「藤原麻呂は『どうか兄たちとケンカしないでください』と、申しておりました」
長屋王は笑った。
「私はするつもりはない」
が、
「『兄たちとケンカしないために、妹の立后の件は折れてください』と、申しておりました」
には、顔色を変えた。
「できぬ相談だ。令の規定では皇后は皇族しかなれないことになっている。皇后は天皇として即位する例もあるからだ。藤原氏は皇族ではない。皇族ではない女子の立后など、断じて認められない!」
「しかし、古くは葛城磐之媛媛(かずらきのいわのひめ。「景気味」参照)が立后した例もありますが」
「それは律令ができる前の話であろう。そもそも磐之媛の当時は皇后なんて身分はなかった。皇后ではなく大后と呼ばれていた。これでは前例にはならない」
「固いですな〜。そんなこと、どうだっていいじゃないですか〜。そんなことより、ケンカしないのが一番じゃないですか〜」
「どうでもいいはずがない!」
長屋王は怒鳴った。
満誓が勝手に椀(わん)で粥(かゆ)をすくって食べていたことにも腹が立った。
「どさくさに紛れて何をしている?」
「え?」
「それは施しを受けなければ生きていけない沙弥たちに配る粥だ」
「でしたか、もぐもぐ」
「おまえは施しを受けなくても食っていけるであろうが!」
「いいじゃないですか、たくさんあるんだから少しぐらい〜」
「下郎が!」
バカンッ!
長屋王が手にしていた象牙(ぞうげ)の笏がうなりを上げた。
ぱっくり、ぱぴゅー!
満誓の頭が割れ、琥珀(こはく)色の血しぶきが噴き上がった。
「いったあっ!」
満誓は流れる血をふきふき、
「ひどい! ひどすぎる! こんなひどいこと、許されないぞ! 絶対後悔させてやるぜー!」
わめいて逃げていった。