264.衆道味 基礎用語集

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後白河法皇(ごしらかわほうおう)←後白河上皇(じょうこう)←後白河天皇(てんのう)←雅仁親王(まさひとしんのう)
 (1127-1192) 伝七十七代天皇(在位1155-1158。院政1158-1179,1181-1192)。鳥羽(とば)天皇の皇子。母は待賢門院(たいけんもんいん)。1155弟・近衛(このえ)天皇没後に父に推されて即位するが、兄・崇徳(すとく)上皇と対立、1156父の死後の保元(ほうげん)の乱で兄を破って配流し、1158皇子・二条(にじょう)天皇に譲位して院政を開始、1159平治(へいじ)の乱を経て平清盛(たいらのきよもり)と対立、1179幽閉されて院政を止めさせられるが、1181清盛没後に院政を再開、源義仲(みなもとのよしなか)、次いで源頼朝(よりとも)と結んで平氏を倒させ、歌謡集『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編集、「年中行事絵巻」を作らせた。
衆道味

浄瑠璃(じょうるり)
 三味線を伴奏とする語り物の一つ。源義経の愛人・浄瑠璃姫をモデルにした室町時代の語り物『浄瑠璃姫物語』に始まる。江戸時代に人形操りの語り物として人気を博した(人形浄瑠璃)。

平 清盛(たいらのきよもり)
 (1118-1181) 武将・公卿。太政大臣。忠盛(ただもり)の子。1156保元(ほうげん)の乱で後白河(ごしらかわ)天皇につき勝利し、平治(へいじ)の乱でライバル源義朝(みなもとのよしとも)を討滅、1160武士として初めて参議になり、1167太政大臣に昇進(翌年辞任)、妻の妹・滋子(しげこ)を治天の君・後白河天皇(上皇・法皇)に、娘・盛子(もりこ)を摂関家の藤原基実(ふじわらのもとざね)に、娘・徳子(とくこ)を高倉(たかくら)天皇に嫁がせ、1177鹿ヶ谷(ししがたに)の陰謀で俊寛(しゅんかん)・藤原成親(ふじわらのなりちか)・西光(さいこう)ら反対派を排除、1179後白河法皇を幽閉して院政を停止させ、1180外孫・安徳(あんとく)天皇即位を実現、福原(ふくはら。兵庫県神戸市)遷都を強行し、大輪田泊(おおわだのとまり)を修復して日宋(にっそう)貿易を行った。変異味 高齢味

日本(にほん・にっぽん・やまと)≧日本国(にっぽんこく・にほんこく)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。1869から事実上の首都は東京。

藤原秀衡(ふじわらのひでひら)
 (1122-1187) 武将。基衡の子。奥州藤原氏三代目。鎮守府将軍や陸奥守を務め、平泉に柳之御所を造営、宇治の平等院を模して無量光院を建立し、源義経をかくまって鎌倉の源頼朝と対抗した。

平安時代(へいあんじだい)
 (794-1185頃) 平安京に都が置かれ、天皇や貴族が支配していた時代。794桓武(かんむ)天皇の平安遷都に始まり、初期は天皇家が、前中期は藤原氏が、後期は院政の主が、末期は平家が政権を担った。1185源頼朝(みなもとのよりとも)の守護・地頭設置(事実上の鎌倉幕府の創立)頃までをいう。⇒平安時代年表

源義経(みなもとのよしつね)←遮那王(しゃなおう)←牛若丸(うしわかまる)
 (1159-1189?) 武将。源義朝の子。母は常盤御前。源頼朝らの異母弟。藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の庇護を受けて育ち、1180兄の挙兵に参加、1184源義仲(よしなか)を滅ぼし、一の谷(いちのたに)の戦・屋島(やしま)の戦・1185壇の浦(だんのうら)の戦で平氏を破って滅ぼしたが、頼朝と不和になり、陸奥平泉(ひらいずみ)で藤原泰衡(やすひら)に殺された(北海道以北に落ちのびたという説もある)。衆道味 強行味
番号味

源義朝(みなもとのよしとも)
 (1123-1160) 武将。為義(ためよし)の子。頼朝・義経らの父。1153下野守となり、1154家督を継承、1156保元(ほうげん)の乱で後白河(ごしらかわ)天皇について勝ち、左馬頭(さまのかみ)に就任するが、清盛らと対立、1159平治(へいじ)の乱で院近臣・藤原信頼(ふじわらののぶより)と結び、院近臣・藤原信西(しんぜい。通憲)を討つが、平清盛(たいらのきよもり)に敗れ、東国へ落ち延びる途中、尾張で長田忠致(おさだただむね)に殺された。

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