67.暗殺味 基礎用語集

ホーム>バックナンバー2007>基礎用語集

明智光秀(あけちみつひで)
 (1528?-1582) 武将。足利義昭(あしかがよしあき)の紹介を機に織田信長に仕え、諸戦で活躍して近江坂本(さかもと)城主になるが、1582本能寺(ほんのうじ)の変で信長を殺害、京都・近江・美濃を制圧するも、中国攻めから取って返してきた羽柴(豊臣)秀吉に山崎(やまざき)の戦で敗れ、坂本へ落ち延びる途中に土民の襲撃を受けて自殺した。

足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)
 足尾銅山から流出した鉱毒による一連の事件。古河鉱業足尾銅山精錬所から渡良瀬川へ鉱毒が流出、被害住民に推された衆院議員・田中正造(たなかしょうぞう)は国会で告発し、天皇直訴も行ったが、運動は弾圧された。日本の公害問題の原点とされる。

足尾銅山(あしおどうざん)
 栃木県日光市にあった銅山。1610発見(一説に戦国時代)されて江戸幕府直轄となり、1871民間払下げ、1877古河市兵衛(ふるかわいちべえ)が買収して古河鉱業の根幹となり、採掘量は日本最大となったが、足尾鉱毒事件や足尾鉱山争議が勃発、1973採掘が中止された。

伊藤博文(いとうひろぶみ)←伊藤俊輔(しゅんすけ)
 (1841-1909) 武士・政治家。首相(在職1885-1888,1892-1896,1898,1900-1901)・元老。長門萩(長州)藩士。1871-1873岩倉遣外使節副使として欧米を視察、参議兼工部卿・内務卿などを経て、1885内閣制度を創設、初代首相になり、大日本帝国憲法(明治憲法)を作成、1887保安条例を定め、1888枢密院(すうみついん)議長に就任、1892再度組閣し、1894条約改正を実現、1894-1895日清戦争を遂行し、1895李鴻章(りこうしょう)と下関(しものせき)条約を調印、台北(タイペイ)に台湾総督府を設置し、1896退陣、1898三度組閣するが、憲政党成立により退陣、1900立憲政友会(りっけんせいゆうかい)を結成して四度組閣し、1901退陣後も元老(げんろう)として君臨、1905統監府(とうかんふ)設置されると初代韓国統監に就き、1904第一次・1905第二次・1907第三次日韓協約を重ね韓国併合を目指すが、1909韓国独立運動家・安重根(アンジュングン・あんじゅうこん)に射殺された。
攘夷味 併合味

井上馨(いのうえかおる)←志道聞多(しじぶんた・もんた)
 (1835-1915) 武士・外交官・政治家。外相・元老。長門萩藩士。造幣頭・大蔵大輔などを歴任し、1876日朝修好条規を調印、参議工部卿を経て、外務卿のち外相として1885漢城条約を締結、条約改正に努め、欧化政策を採ったが、1887外人法官任用問題などで辞任、農商相・内相などを務め、立憲政友会結成にも関与した。
攘夷味

右翼(うよく)
 保守的または国粋的な思想を持つ人々。国家社会主義・天皇主義・農本主義など。昭和前期、軍部と結んで力をもった。

大隈重信(おおくましげのぶ)
 (1838-1922) 武士・政治家。首相(在職1898,1914-1916)。肥前佐賀藩士。大蔵大輔として鉄道開設に尽力し、1870参議・1873大蔵卿に就任、地租改正や殖産興業を進めるなど大隈財政を展開したが、1881開拓使官有物払下げ事件に端を発した明治十四年の政変で失脚、1882立憲改進党を創立し、東京専門学校(今の早稲田大)を創設、1888外相として条約改正交渉に挑むが1889大隈重信暗殺未遂事件を招いて挫折(ざせつ)、改進党を進歩党に改組し、1898自由党と合同して憲政党を結成、日本初の政党内閣(隈板内閣)を組閣するも分解、1912第一次護憲運動で政界に復帰し、1914再び首相に就任、第一次世界大戦へ参戦し、ドイツ租借地青島(チンタオ)やドイツ領南洋諸島を占領、1915中国の袁世凱(えんせいがい)に対華二十一か条の要求を突きつけるが、1916元老と対立して辞任した。 

大久保利通(おおくぼとしみち)
 (1830-1878) 武士・政治家。参議・内務卿。薩摩鹿児島藩士。島津斉彬(しまづなりあき)・島津久光(ひさみつ)に仕え、公武合体に努めたが、後に倒幕に転じ、第二次長州征討(征伐)に西郷隆盛(さいごうたかもり)とともに反発、1867岩倉具視(いわくら)とともに王政復古を実現し、1868参与(さんよ)に就任、1869版籍奉還・1871廃藩置県に活躍し、大蔵卿(おおくらきょう)として殖産興業に尽力、1871-1873岩倉遣外使節に副使として従い、1873参議に就いて征韓論を唱える西郷らを排除(明治六年の政変)、内務卿を兼ねて実権を握り、1874佐賀の乱を鎮めて台湾出兵を断行、1875大阪会議で木戸孝允(きどたかよし)・板垣退助(いたがきたいすけ)と和解し、1876神風連(じんぷうれん)の乱・秋月(あきづき)の乱・萩(はぎ)の乱・1877西南戦争を鎮圧したが、1878不平士族に暗殺された(紀尾井坂の変)。

外務省(がいむしょう)
 (1869-) 外交を担当する国の行政官庁。長官は外務卿(初代は沢宣嘉)、1885内閣創設以降は外相(初代は井上馨)。1942-1945大東亜省設置中は権限を一部譲渡。1945-1952はGHQとの折衝のみで外交機能停止。

桂 太郎(かつらたろう)
 (1847-1913) 軍人政治家。首相(在職1901-1906,1908-1911,1912-1913)・陸軍大将・元老。長州出身。山県有朋(やまがたありとも)のもと兵制改革に従事、陸軍次官・台湾総督などを経て1901首相に就任、1902日英同盟を結び、1904-1905日露戦争を遂行、1905ポーツマス条約を結ぶが、日比谷焼打事件で退陣、1908再度組閣し、戊申詔書(ぼしんしょうしょ)を発布、1904第一次・1905第二次日韓協約を経て1910韓国併合を断行、ソウルに朝鮮総督府を設置し、1911大逆事件で幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らを処刑、工場法を定め、西園寺公望(さいおんじきんもち)に禅譲するが、1912三度組閣、1913尾崎行雄(おざきゆきお)・犬養毅(いぬかいつよし)らによる第一次護憲運動(憲政擁護運動)で退陣した。総理味

貴族院(きぞくいん)
 (1890-1947) 大日本帝国憲法のもと、衆議院とともに帝国議会を構成した両院の一つ。皇族・華族および世襲・勅撰(勲功者・学識者)・多額納税者が議員になった。権限は衆議院とほぼ対等。1947日本国憲法により廃止。

北 一輝(きたいっき)
 (1883-1937) 国家主義者。中国の辛亥革命に参加し、1919『日本改造法案大綱』を執筆、右翼や軍部青年のカリスマとなり、大川周明(おおかわしゅうめい)の猶存社(ゆうぞんしゃ)に参加、宮中某重大事件などに関与し、陸軍内の派閥抗争にも介入、1936二・二六事件の首謀者として処刑された。

京都(きょうと)
 現在の京都府京都市。府庁所在地。政令指定都市。ユネスコ世界文化遺産。794桓武天皇による平安京遷都から1868明治天皇による事実上の東京遷都まで日本の帝都として繁栄、明治維新後も文化の中心として発展した。

陸 羯南(くがかつなん)←陸実(みのる)
 (1857-1907) 新聞記者。原敬(はらたかし)とともに司法省法学校を退学させられ、青森新聞社主筆に就任、1883太政官御用掛等を務め、1889新聞『日本』を創刊、国民主義を提唱した。

憲政会(けんせいかい)
 (1916-1927) 1916立憲同志会・中正会・公友倶楽部が合同して成立。護憲三派の一。総裁は加藤高明(かとうたかあき)。1927政友本党と合同し、立憲民政党(りっけんみんせいとう)になる。

元老(げんろう)
 明治〜昭和時代初期の長老権力者。天皇に代わって首班選定や重要政策決定にあたった。伊藤博文(いとうひろぶみ)・井上馨(いのうえかおる)・山県有朋(やまがたありとも)・大山巌(おおやまいわお)・黒田清隆(くろだきよたか)・西郷従道(さいごうつぐみち)・松方正義(まつかたまさよし)の七人。後に桂太郎(かつらたろう)・西園寺公望(さいおんじきんもち)・大隈重信(おおくましげのぶ)が加えられた。

皇太子(こうたいし)=東宮(とうぐう)=春宮(とうぐう)
 皇位を継ぐ予定の唯一の皇子(または王子・皇女・王女)。次期天皇。七世紀頃に成立?

国際連盟(こくさいれんめい)≦国連(こくれん)
 (1920-1946) アメリカ大統領ウィルソンの提唱によって成立した国際平和機関。本部はジュネーブ。総会・理事会(イギリス・フランス・イタリア・日本の四常任理事国(後にドイツも追加)と非常任理事国四か国(後九か国)からなる)・事務局からなる。日本は1933脱退。1931-1933満州事変や1939-1945第二次世界大戦などを阻止することができず、1946解散した。

米騒動(こめそうどう)
 1918米価高騰に反発した国民たちの騒動。富山の漁村の主婦の蜂起(女一揆・女房一揆)に始まって全国へ拡大、寺内正毅(てらうちまさたけ)内閣を崩壊させた。

西園寺公望(さいおんじきんもち)
 (1849-1940) 政治家。首相(在職1906-1908,1911-1912)・元老。東洋自由新聞社長・文相・外相・枢密院議長などを経て1906立憲政友会総裁として首相に就任、鉄道国有法制定や南満州鉄道会社設立を実現、1908桂太郎に政権を譲るが、1911首相に再任、1912二個師団増設問題で退陣した後は元老となり、1924以後は最後の元老として首相候補選定にあたった。

財閥(ざいばつ)
 戦前にコンツェルンの形態をとっていた独占的巨大企業集団。三井・三菱・住友・安田・古河・浅野・川崎・大倉など。1946GHQにより財閥解体指令が出された。

薩摩藩(さつまはん)鹿児島藩(かごしまはん)
 江戸時代に九州南端にあった藩。外様。藩主は島津(しまづ)氏。石高は六十一万石→七十三万石(内高八十七万石)。1609島津家久(いえひさ)が幕府の許可を得て琉球(りゅうきゅう)を併合するが、1753宝暦治水事件・1808近思録崩れ(きんしろくくずれ)などで財政は窮乏、調所広郷(ずしょひろさと)の天保改革で再建し、島津斉彬(なりあきら)は洋式軍政・藩営事業を推進、幕政にも加わり、島津久光(しまづひさみつ)は雄藩連合を構想、西郷隆盛(さいごうたかもり)・大久保利通(おおくぼとしみち)らを輩出し、1866長州藩と連携(薩長連合)、1868-1869戊辰戦争で旧幕府軍を破り、明治政府の中心勢力になった。

士族(しぞく)
 1869旧武士階級に与えられた身分呼称。華族の下。平民の上。石高に応じて家禄が与えられたが、秩禄(ちつろく)処分により廃され、生活苦の余り反乱を起こす者もあった。

司法省(しほうしょう)
 (1871-1948) 司法行政などを担当した中央行政官庁。長官は司法卿(初代は江藤新平)、1885内閣創設以降は法相(初代は山田顕義)。1871刑部省と弾正台を併せて新設。今の法務省。

衆議院(しゅうぎいん)=衆院(しゅういん)
 (1890- )日本国憲法のもと、参議院とともに国会を構成する両院の一つ。戦前は、大日本帝国憲法のもと、貴族院とともに帝国議会を構成。戦前は予算の先議権が認められ、戦後は加えて法律の再議決などが認められている(衆議院の優越)。

自由民権運動(じゆうみんけんうんどう)
 明治時代前期に国民の自由と権利を要求した政治運動。1874板垣退助(いたがきたいすけ)らの民撰議院設立建白書の提出(国会開設要求)に始まり、立志社(りっししゃ)・愛国社(あいこくしゃ)などの政社、自由党・立憲改進党(りっけんかいしんとう)などの政党が結成され、全国に広まっていったが、政府はこれを弾圧、福島事件・加波山(かばさん)事件・秩父(ちちぶ)事件などが鎮圧され、大同団結運動を最後に衰えた。

常任理事国(じょうにんりじこく)
 国際連盟や国際連合において、理事国の地位を恒久的に有する国のこと。国際連盟の常任理事国は、イギリス・フランス・イタリア・日本の四か国(後にドイツも追加)、国際連合は、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連(後のロシア)・中国の五か国。

条約改正(じょうやくかいせい)
 幕末に結ばれた日米修好通商条約など安政五か国条約の不平等用件改正を目指す明治政府の外交交渉。1994外相・陸奥宗光(むつむねみつ)が日英通商航海条約で治外法権撤廃に成功し、1911外相・小村寿太郎(こむらじゅたろう)が日米通商航海条約で関税自主権を回復させた。

昭和天皇(しょうわてんのう)←裕仁親王(ひろひとしんのう)
 (1901-1989) 伝百二十四代天皇(在位1926-1989)。大正天皇の第一皇子。母は貞明(ていめい)皇后。1921大正天皇の摂政となり、1926即位、戦前は現人神として崇敬されたが、1945人間宣言を行い、1947日本国憲法にて国民の象徴とされた。制裁味

政党内閣(せいとうないかく)≒政党政治
 議会で多数を占める政党が政党員を中心に組閣した内閣。初の政党内閣は1898第一次大隈重信(おおくましげのぶ)内閣。初の本格的政党内閣は1918-1921原敬(はらたかし)内閣。加藤高明(かとうたかあき)内閣〜犬養毅(いぬかいつよし)内閣まで継続したが、1932五・一五事件で中絶、1946第一次吉田茂(よしだしげる)内閣で復活した。

積極政策(せっきょくせいさく)
 原敬内閣が行った積極的な財政支出政策。原内閣は教育改革・交通整備・産業振興・国防充実という四大政綱を掲げ、地方への利権誘導を行い、政権基盤を全国に拡大しようと画策した。

高橋是清(たかはしこれきよ)
 (1854-1936) 財政家・政治家。首相(在職1921-1922)。日銀総裁・貴院議員・蔵相を経て首相兼蔵相・立憲政友会総裁に就任、軍備縮小・緊縮財政を行うが、閣内不一致で総辞職、再度、再々度蔵相となり、高橋財政(積極財政)を展開、金融恐慌の収拾や1931金輸出再禁止などを行ったが、1936二・二六事件で殺された。

田中正造(たなかしょうぞう)
 (1841-1913) 政治家。1879栃木新聞を創刊し、1880栃木県議・1886県議長に就任、1890第一回選挙で衆院議員となり、1891足尾鉱毒問題を国会で告発、1901議員辞職して天皇に直訴し、被害住民たちとともに谷中村に住んだ。

中国(ちゅうごく)=中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく)←中華民国(ちゅうかみんこく)
 (1912-) 東アジアにある国。1912孫文(そんぶん)が臨時大統領になって中華民国が成立、袁世凱(えんせいがい)が専制支配を確立し、1928蒋介石(しょうかいせき)が国内を統一するが、1937-1945日中戦争で衰退、1949中華人民共和国が成立した。首都は北京。

寺内正毅内閣(てらうちまさたけないかく)=寺内内閣=ビリケン(非立憲)内閣
 (1916-1918) 第二次大隈重信(おおくましげのぶ)内閣の後を受けて1916陸軍大将・寺内正毅が組閣、1917-1918中国の段祺瑞(だんきずい)政権に西原借款(にしはらしゃっかん)を行い、1917アメリカと石井・ランシング協定を締結、ロシア革命が起こると1918シベリア出兵を敢行、社会主義を弾圧するが、米騒動のあおりを受けて総辞職した。

天智天皇(てんちてんのう・てんじてんのう)←中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
 (626-671)伝三十八代天皇(在位668-671)。舒明(じょめい)天皇の第一皇子。母は皇極(こうぎょく)・斉明(さいめい)天皇。中臣(藤原)鎌足とともに645蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼし、大化の改新を断行、663白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦で唐・新羅に大敗した後、667近江大津宮(おうみのおおつのみや)に遷都し、668近江令(おうみりょう)を編集、670庚午年籍(こうごねんじゃく)を作成した。ウソ味 日朝味5

東京(とうきょう)
 東京都。もと江戸。明治時代以降の日本の首都。1868江戸を東京と改め、1869明治天皇が行幸、政府も東京に移り(東京遷都)、1871東京府1889東京市を設置、1943府・市は合併して東京都となった。

中江兆民(なかえちょうみん)
 (1847-1901) 思想家・政治家。フランスで法律を学んだ後、東京で仏学塾を開塾、『東洋自由新聞』主筆などを務め、1879ルソーの『社会契約論』の抄訳『民約訳解』・1887『三酔人経綸問答(さんすいじんけいりんもんどう)』などを執筆、三大事件建白運動を進めて処罰されるが、1889大日本帝国憲法発布の大赦によって赦免、  1890第一回総選挙で衆院議員とになるが、1891自由党土佐派の裏切りに憤慨して辞任、ガンで余命一年半と宣告され『一年有半』を執筆した。

長崎(ながさき)
 現在の長崎県長崎市。県庁所在地。1571大村純忠(おおむらすみただ)がポルトガルとの貿易のために開港し、1580イエズス会に寄進、九州平定後、豊臣秀吉が没収して直轄都市とし、江戸幕府も長崎奉行を設置して統治、鎖国時代は唯一の貿易港として、開国後は重工業都市として発展したが、1945アメリカにより原爆が投下された。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。

日本銀行(にほんぎんこう・にっぽんぎんこう)=日銀(にちぎん)
 日本の中央銀行。発券銀行。銀行の銀行。政府の銀行。1882大蔵卿・松方正義(まつかたまさよし)の建議で日本銀行条例に基づいて創設。

農商務省(のうしょうむしょう)
 (1881-1925) 農業・商工業を担当する国の行政官庁。長官は農商務卿(初代は河野敏鎌)、1885内閣創設以降は農商相(初代は谷干城)。1925農林省と商工省に分離。今の農水省と経産省を併せたような省庁。

原敬(はらたかし・はらけい)←原健次郎(けんじろう)
 (1856-1921) 政治家。首相(在職1918-1921)。外務次官・駐朝鮮公使・大阪毎日新聞社長等を経て逓信相になり、立憲政友会(りっけんせいゆうかい)総裁として1918初の本格的政党内閣を組織、教育改革・交通整備・産業振興・国防充実という四大政綱を掲げ、積極政策を展開、1919ベルサイユ(ヴェルサイユ)条約に調印し、朝鮮の三・一独立運動、中国の五・四運動を鎮圧、選挙法を改正し、小選挙区制を導入、1920国際連盟に加盟して常任理事国となり、平民宰相として人気だったが、1921東京駅で国鉄駅員・中岡艮一(なかおかこんいち)に殺された。『原敬日記』は明治〜大正期における重要史料。
暗殺味

原敬内閣(はらたかしないかく・はらけいないかく)=原内閣
 (1918-1921) 1918寺内正毅内閣が米騒動で総辞職すると、立憲政友会(りっけんせいゆうかい)総裁・原敬が初の本格的政党内閣を組閣、教育改革・交通整備・産業振興・国防充実という四大政綱を掲げ、積極政策を展開、1919ベルサイユ(ヴェルサイユ)条約に調印し、朝鮮の三・一独立運動、中国の五・四運動を鎮圧、選挙法を改正し、小選挙区制を導入、1920国際連盟に加盟して常任理事国となるが、原敬が東京駅で国鉄駅員・中岡艮一(なかおかこんいち)に殺され総辞職した。
暗殺味

藩校(はんこう)=藩学(はんがく)
 江戸時代に諸藩が藩士子弟の教育のために設立した学校。最古のものは1641備前岡山藩の池田光政(いけだみつまさ)設立の花畠教場(はなばたけきょうじょう)。ほかに常陸水戸の弘道館(こうどうかん)、薩摩鹿児島の造士館(ぞうしかん)、長門萩の明倫館(めいりんかん)、陸奥会津の日新館(にっしんかん)、出羽秋田の明徳館(めいとくかん)、出羽米沢の興譲館(こうじょうかん)、筑前福岡の修猷館(しゅうゆうかん)、肥後熊本の時習館(じしゅうかん)などが有名。

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

普選運動(ふせんうんどう)
 普通選挙実現を目指す社会運動。1892大井憲太郎(おおいけんたろう)ら、1897中村大八郎(なかむらだいはちろう)らによる普通選挙期成同盟会に始まり、1925加藤高明(かとうたかあき)内閣で普通選挙法が成立、納税資格が撤廃され、男子の普通選挙が実現した。

平民(へいみん)
 1869旧農(農民)工(職人)商(商人)階級に与えられた身分呼称。士族の下。1871えた・非人も平民に加えられたが、差別は続いた。

平民宰相(へいみんさいしょう)
 大正時代の首相・原敬(はらたかし)の異称。それまで平民で首相になった者はなく、首相就任後も爵位を固辞し続けた。

ベルサイユ条約=ヴェルサイユ条約
 1919第一次世界大戦の講和のため連合国とドイツの間で結ばれた条約。ドイツの領土削減・賠償金の支払い、ポーランド等の独立などを取り決め、米大統領ウィルソンの提唱で国際連盟を設立した。日本全権は西園寺公望(さいおんじきんもち)、英はジョージ首相、仏はクレマンソー首相、伊はオルランド首相。日本は中国山東省のドイツ権益を継承し、南洋諸島の委任統治を獲得、国連の常任理事国となった。

戊辰戦争(ぼしんせんそう)=戊辰の役
 明治初年に起こった明治新政府と旧幕府勢力との戦争。1868鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦・江戸開城・上野戦争(彰義隊の戦)・会津(あいづ)戦争・1869箱館(はこだて)戦争(五稜郭の戦)など一連の戦をいう。

松方正義(まつかたまさよし)
 (1835-1924) 武士・政治家。薩摩鹿児島藩士。大蔵省に入り、暗殺された大久保利通(おおくぼとしみち)の遺志を継いで殖産興業(しょくさんこうぎょう)政策を推進、1881明治十四年の政変後、内務卿から大蔵卿に転じ、紙幣整理・1882日本銀行創設・1885銀兌換(だかん)銀行券の発行(銀本位制の確立)・官営事業払下げ政策など松方財政を展開、1891首相となるが、1892第二回総選挙での干渉を批判されて総辞職、1897再度首相となり、大隈重信(おおくましげのぶ)を外相として松隈(しょうわい)内閣を組閣、貨幣法を制定して金本位制を確立するが、進歩党の離反により総辞職、以後は元老・内大臣として重きをなした。選挙味2

三井財閥(みついざいばつ)
 三井家が構築した日本最大の財閥。三井家は江戸時代には豪商として、明治時代には政商(せいしょう)として発展、1909特殊会社・三井合名会社を設立し、金融業(三井銀行・三井信託・三井生命など)・鉱工業(三井鉱山・東芝・鐘紡・王子製紙・東レなど)・商業(三井物産)など広部門に渡るコンツェルンを形成したが、1945財閥解体で解体された。

三菱財閥(みつびしざいばつ)
 岩崎家が構築した財閥。1870岩崎弥太郎(やたろう)が三菱会社を設立、海運業(日本郵船会社)に進出し、政商として発展、1893弟・岩崎弥之助(やのすけ)が三菱合資会社を設立し、金融業(三菱銀行など)・鉱工業(三菱鉱業・三菱重工・三菱自工・三菱電機・三菱造船・三菱石油など)など広部門に渡るコンツェルンを形成するが、1945財閥解体で解体された。

陸奥宗光(むつむねみつ)
 (1844-1897) 外交官・政治家。元老院議官・駐米公使などを経て農商務相に就任するが、1892明治二十五年選挙干渉事件を批判して枢密顧問官に移り、1894外相として日英通商航海条約を調印、関税自主権の一部回復を実現し、伊藤博文(いとうひろぶみ)とともに日本全権として下関条約(しものせきじょうやく。日清講和条約)を調印、1895ロシア・ドイツ・フランスの三国干渉を処理するなど陸奥外交を展開し、回顧録『蹇々録(けんけんろく)』を残した。

安田財閥(やすだざいばつ)
 安田家が構築した財閥。安田善次郎(やすだぜんじろう)は1880に安田銀行を、1912に合名会社・安田保善社(やすだほぜんしゃ)を設立、金融業(安田銀行・安田生命など)などに進出し、コンツェルンを形成するが、1945財閥解体で解体された。

山県有朋(やまがたありとも)
 (1838-1922) 武士・陸軍軍人・政治家。首相(在職1889-1891,1898-1900)・元老。長門萩(長州)藩士。1868-1869戊辰(ぼしん)戦争に活躍し、陸軍創設に尽力、1872徴兵告諭(ちょうへいこくゆ)に基づき1873徴兵令を実現、陸軍卿に参議を兼ね、1876萩(はぎ)の乱・1877西南戦争などを鎮圧、1878参謀本部を設置して参謀総長に就任、1882軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)制定に加わり、内務卿・内相として町村制の確立に尽力、自由民権運動を弾圧し、二度首相に就任、1899文官任用令改正(軍部大臣現役武官制の制定)などを行い、1894-1895日清戦争・1904-1905日露戦争を指揮、伊藤博文の死後は元老筆頭として絶大な権力を誇った。
選挙味

立憲政友会(りっけんせいゆうかい)=政友会
 (1900-1940) 1900伊藤博文(いとうひろぶみ)が憲政会や一部官僚を中心に結成した政党。おおかた衆議院第一党となり、総裁のうち伊藤博文・西園寺公望(さいおんじきんもち)・原敬(はらたかし)・高橋是清(たかはしこれきよ)・田中義一(たなかぎいち)・犬養毅(いぬかいつよし)は首相として組閣し、昭和初期には立憲民政党(りっけんみんせいとう)とともに二大政党として君臨するが、1932五・一五事件後は衰退、1940新体制運動で解体した。

歴史チップス ホームページ

inserted by FC2 system