142.イヌ味 基礎用語集

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大臣(おおおみ)
 大和政権における最高執政者(政務)。臣姓氏族(大王家の支流氏族)の中で最高位。葛城(かずらき)氏・平群(へぐり)氏・巨勢(こせ)氏・蘇我(そが)氏が務めた。

大王(おおきみ)
 ヤマト政権の首長。皇族の代表。七世紀から天皇と呼ばれるようになった。

大連(おおむらじ)
 大和政権における最高執政者(軍事)。連姓氏族(大王とは祖先が違う神別氏族)の中で最高位の者。大伴(おおとも)氏・物部(もののべ)氏が務めた。

古墳時代(こふんじだい)
 古墳が多く造られた時代のこと。前期(三世紀末〜四世紀)・中期(四世紀末〜五世紀)・後期(六〜七世紀)に分けられる。七世紀は終末期ともいう。

聖徳太子(しょうとくたいし)=厩戸皇子(うまやとのおうじ・うまやとのみこ・うまやどのおうじ・うまやどのみこ)=厩戸王(うまやとのおう)
 (574?-622) 摂政(在任593-622)。587蘇我馬子(そがのうまこ)とともに物部守屋(もののべのもりや)を討ち、594仏教興隆の詔を発表、593推古(すいこ)天皇の摂政となり、難波(なにわ)に四天王寺(してんのうじ)を建立、603冠位十二階を・604憲法十七条を定め、605上宮(かみつみや・うえのみや)から斑鳩宮(いかるがのみや)に引っ越し、607小野妹子(おののいもこ)ら遣隋使(けんずいし)を遣わし、斑鳩に法隆寺(ほうりゅうじ)や中宮寺(ちゅうぐうじ)を建立、611注釈書『勝鬘経義疏(しょうまんきょうぎしょ)』・614『維摩(ゆいま)経義疏』・615『法華(ほっけ)経義疏』・620史書『天皇記』・『国記』を編修したという。
法王味 襲撃味 日朝味4 憲法味 富豪味

蘇我馬子(そがのうまこ)
 (?-626) 大臣(おおおみ)。稲目(いなめ)の子。崇仏に努め、587排仏派の物部守屋(もののべのもりや)と有力皇位継承者・穴穂部皇子(あなほべのおうじ)らを討ち、崇峻(すしゅん)天皇を立てるが592に暗殺し、推古(すいこ)天皇を擁立、聖徳太子(厩戸皇子)を太子(摂政)に立てて国政を主導、596飛鳥寺(あすかでら。法興寺)を完成させ、620聖徳太子とともに『天皇記』『国記』を編修した。イヌ味 襲撃味

仏教(ぶっきょう)=仏道(ぶつどう)
 釈迦(しゃか)を開祖とする宗教。日本には欽明(きんめい)天皇の時代に百済の国王・聖明王(せいめいおう)によってもたらされた。年代については552説(『日本書紀』による)と538説(『上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ)』『元興寺縁起(がんごうじえんぎ)』による)がある。これを「仏教公伝」とするが、これ以前にも渡来人・司馬達等(しばたっと)が自宅で仏像を礼拝していたという(仏教私伝)。以後、従来からあった神道(しんとう)と並んで浸透した。

物部守屋(もののべのもりや)
 (?-587) 大連(おおむらじ)。尾輿(おこし)の子。仏教を排斥し、崇仏派の大臣・蘇我馬子と対立、587用明(ようめい)天皇没後、穴穂部(あなほべ)皇子擁立を図るが、皇子は殺され、自身は馬子らと戦って射殺された。
イヌ味

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