97.官僚味 基礎用語集

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江戸(えど)
 現在の東京都都心。江戸時代の政治の中心地(首都)。1457太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築いて栄え、1590徳川家康(とくがわいえやす)が入城により発展、江戸時代中期に人口百万人を超え、1868明治天皇が行幸して東京と改められ、日本の首都になった。

江戸時代(えどじだい)=徳川(とくがわ)時代
 (1600or1603-1867) 江戸幕府が支配していた時代。1600関ヶ原の戦(せきがはらのたたかい)で徳川家康(とくがわいえやす)が政権を握ったこと、または1603家康が江戸幕府を開いたことに始まり、徳川氏が代々将軍に就任した。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還して終わった。

江戸城(えどじょう)→皇居
 東京都千代田区(ちよだく)所在。平安時代に江戸重継(えどしげつぐ)が居館を造営し、1457太田道灌(おおたどうかん)が築城、後北条氏の支城となり、1590徳川家康(とくがわいえやす)が改築、1603以降は将軍在所となり、1868に明治天皇が入城して皇居となった。天守閣(てんしゅかく)は明暦(めいれき)の大火で炎上後は再建されなかった。

江戸幕府(えどばくふ)=徳川(とくがわ)幕府
 (1600?-1867) 江戸時代の武家政権。1600関が原の戦で勝利した徳川家康(とくがわいえやす)が1603に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に就任して創始。徳川氏が代々将軍に就任、老中(ろうじゅう)が政務を統括し、臨時に大老(たいろう)が置かれた。1867十五代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が朝廷に大政奉還(たいせいほうかん)、1868-1869戊辰(ぼしん)戦争をへて旧幕府勢力は解体した。

大岡忠相(おおおかただすけ)≦大岡越前守(えちぜんのかみ)
 (1677-1751) 幕臣。忠真(ただざね)の養子。目付(めつけ)・山田奉行から八代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)に見込まれて町奉行に抜擢(ばってき)され、1716-1745享保(きょうほう)の改革に協力、1742『公事方御定書(くじかたおさだめがき)』を編集し、小石川養生所を設置、町火消(まちびけし)制度を確立させ、寺社奉行に昇進、三河西大平(みかわにしおおひら。愛知県岡崎市)藩を興した。

鎌倉幕府(かまくらばくふ)
 (1185?-1333) 鎌倉時代の武家政権。源頼朝が鎌倉に1180侍所を・1184公文所(政所)・問注所を創設、1185守護・地頭の設置によりほぼ幕府は完成し、1192の征夷大将軍就任によって正式に発足した。1219三代将軍源実朝(さねとも)の暗殺・公暁(くぎょう)殺害によって源氏が滅亡してからは、外戚の北条(ほうじょう)氏が幕政を掌握し、代々執権(しっけん)を選出するが、末期には内管領・長崎氏が専横、1333新田義貞(にったよしさだ)に鎌倉を攻略されて滅亡し、幕府は解体した。 

京極氏(きょうごくし)
 宇多天皇の子孫。佐々木信綱(ささきのぶつな)が京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)に住んだことに始まる。室町幕府の四職(ししき)に連なって活躍したが、応仁の乱後、浅井氏に領国を奪われて衰退した。

京都(きょうと)
 現在の京都府京都市。府庁所在地。政令指定都市。ユネスコ世界文化遺産。794桓武天皇による平安京遷都から1868明治天皇による事実上の東京遷都まで日本の帝都として繁栄、明治維新後も文化の中心として発展した。

京都所司代(きょうとしょしだい)
 江戸幕府の職名。室町幕府の侍所所司代に由来。京都の支配、朝廷の監視、畿内天領の司法、西国大名の監視を担当。実質的な初代は板倉勝重(いたくらかつしげ)だが、これ以前にも織田信長が村井貞勝(むらいさだかつ)を、豊臣秀吉が前田玄以(まえだげんい)を、関ヶ原の戦後に徳川家康が奥平信昌(おくだいらのぶまさ)を任じている。

参議院(さんぎいん)=参院(さんいん)
 (1890- )日本国憲法のもと、衆議院とともに国会を構成する両院の一つ。議員定数は二百四十二人(当初は二百五十二人)。任期は六年で、三年ごとに半数改選。解散はない。

四職(ししき)
 室町幕府の大名家の家格の一。侍所所司(頭人)に任じられる資格のある主要四家のこと。山名(やまな)・赤松(あかまつ)・一色(いっしき)・京極(きょうごく)氏。当初は土岐氏も入れて五職だった。

消費税(しょうひぜい)
 物品・サービスの消費に課される税。中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣が売上税導入に失敗した後、1989竹下登(たけしたのぼる)内閣が税率を三パーセントとして創設、1997税率五パーセントに上げられた。

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)≦将軍
 もとは蝦夷(えぞ・えみし)を討伐するための朝廷の軍事長官。後に武家政権の最高指導者の称号。奈良時代の征夷大使(せいいたいし)・征東(せいとう)大使・征夷将軍などの後身。最初の征夷大将軍は、794に任じられた大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)らしいが、有名なのは坂上田村呂(さかのうえのたむらまろ。797任命)と文室綿麻呂(ふんやのわたまろ。811任命)と源義仲(みなもとのよしなか。1184任命)。1192源頼朝(みなもとのよりとも)が就任して幕府を開いてからは世襲となった。将軍味

関ヶ原の戦(せきがはらのたたかい)
 豊臣秀吉没後、主導権を握ろうとする徳川家康と、豊臣政権を守ろうする石田三成(いしだみつなり)が美濃の関ヶ原(岐阜県関ヶ原町)で対決した戦い。1598秀吉が没し、1599前田利家(まえだとしいえ)が死ぬと、家康の勢力は拡大、1600反抗的な態度を取った上杉景勝(うえすぎかげかつ)攻め(会津攻め)に向かった。一方、三成は家康の留守を突いて挙兵、毛利輝元(もうりてるもと)・宇喜多秀家(うきたひでいえ)・小早川秀秋(こばやかわひであき)・小西行長(こにしゆきなが)らを味方につけ、京都の伏見城(京都市伏見区)等を攻略、美濃の大垣城(岐阜県大垣市)に入った。一方、家康は三成を討つため下野小山(おやま。栃木県小山市)で引き返し、福島正則(ふくしままさのり)・池田輝政(いけだてるまさ)を西上させ、織田秀信(おだひでのぶ)の守る岐阜城等を陥落させた。両軍は関ヶ原で激突するが、小早川秀秋(こばやかわひであき)らの裏切りや、吉川広家(きっかわひろいえ)らの内応静観などで三成方は壊滅、三成は行長らとともに京都で処刑された。変節味4
友愛味6

大名(だいみょう)
 所領を多く持つ有力な武士のこと。もとは名田(みょうでん)を多く者の意味で、室町時代に守護大名が、戦国時代に戦国大名が登場、江戸時代では将軍に直属した一万石以上の武家のことをいった。

徳川家康(とくがわいえやす)←松平元康(まつだいらもとやす)←松平元信(もとのぶ)
 (1542-1616) 武将。江戸幕府初代将軍(在職1603-1605)・大御所。三河岡崎(みかわおかざき)城主・松平広忠(まつだいらひろただ)の子。1560桶狭間(おけはざま)の戦後に岡崎城主となり、織田信長と同盟を締結、今川氏を滅ぼして遠江浜松(とおとうみはままつ)城主となるが1572三方原(みかたがはら)の戦で武田信玄(たけだしんげん)に惨敗、1575長篠(ながしの)の戦で武田勝頼(かつより)を撃退し、1582本能寺(ほんのうじ)の変後、1584小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦後に豊臣秀吉と講和、1590小田原(おだわら)攻めに従って武蔵江戸(えど)城主となり、関東を統治、五大老に列し、秀吉の死後の1600関ヶ原の戦で石田三成らを撃破、1603征夷大将軍となって江戸幕府を開き、1605将軍職を秀忠(ひでたた)に譲渡、駿河府中(するがふちゅう)に退くが、大御所として実権を掌握、1614〜1615大坂の役で豊臣秀頼(ひでより)を滅ぼし、1615武家諸法度(ぶけしょはっと)・禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)・一国一城令(いっこくいちじょうれい)などを定めた。惨敗味 変節味
裏金味4 籠城味

徳政令(とくせいれい)
 鎌倉〜室町時代の法令。賃貸や売買契約を破棄するよう命じた法令。幕府が御家人を救済したり、一揆を鎮圧したりするために発令した。最初のものは1297永仁の徳政令。類似の法令は奈良時代からあり、江戸時代の棄捐令(きえんれい)もこの類。

得宗=徳宗(とくそう)
 北条(ほうじょう)氏本家の家督のこと。北条時政(ときまさ)・義時(よしとき)・泰時(やすとき)・時氏(ときうじ)・経時(つねとき)・時頼(ときより)・時宗(ときむね)・貞時(さだとき)・高時(たかとき)の九代。

日本(にほん・にっぽん・やまと)
 東アジアにある国。古くは倭(やまと)と呼ばれたが、天武天皇の頃(七世紀後半)に改め、八世紀からは国際的にも使用するようになった。1889大日本帝国憲法制定により「大日本帝国」になるが、1946日本国憲法公布により「日本国」となった。現在の首都は東京。

(はん)
 江戸時代の地方行政区域。大名が治めた領地及びその統治機構。現在の都道府県より規模が小さい。1871廃藩置県で消滅。

武士(ぶし)=侍(さむらい)=武者(むしゃ)
 武芸をおさめて軍事にたずさわった者。

本領安堵(ほんりょうあんど)
 鎌倉〜戦国時代に将軍などが自分に忠誠を誓った武士に対して所領の所有権を承認したこと。

町奉行(まちぶぎょう)≧江戸町奉行
 江戸幕府の職名。三部行の一。老中付属で旗本から選任。南北両町奉行が月番(一月交代)で江戸の民政(行政・司法・警察等)を担当。江戸のほかに京都・大坂・駿府(すんぷ。静岡)などにも町奉行が置かれた。

民主党(みんしゅとう)
 @(1947-1950) 1947日本進歩党と日本自由党の一部、国民協同党の一部などで結成。総裁は芦田均(あしだひとし)。1949分裂し、1950連立派が民主自由党と合同して自由党を、野党派が国民協同党と合同して国民民主党を結成した。
 A(1996-) 1996鳩山由紀夫(はとやまゆきお)と菅直人(かんなおと)が結成し、1997新進党分裂で野党第一党となり、2003自由党を吸収、2009自民党に代わって政権を担った。

室町幕府(むろまちばくふ)=足利(あしかが)幕府
 (1336?-1573) 室町時代の武家政権。1336足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐(ごだいご)天皇の建武(けんむ)政権を倒し、1338征夷大将軍に就任して創始。足利氏が代々将軍に就任し、管領(かんれい)がこれを補佐した。幕府名は三代将軍・足利義満の京都室町邸(花の御所)にちなむ。1467-1477応仁の乱後に弱体化し、1573十五代将軍・足利義昭(よしあき)が織田信長に追放されて滅びた。

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