6.伴善男の没落 〜応天門の変 | ||||||||||||||
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貞観八年(866)閏(うるう)三月十日、大内裏(だいだいり)の朝堂院(ちょうどういん。つまり現在の国会議事堂のような建物)の正門・応天門から出火した。
火は瞬く間に燃え広がり、応天門は全焼、両脇の棲鳳楼(せいほうろう。栖鳳楼)・翔鸞楼(しょうらんろう)も灰燼(かいじん)に帰した。
「放火だそうだ」
国権中枢の正門が放火されたということは、テロの可能性がある。
伴善男はこれを利用し、騒ぎ立てた。
「これは反乱だ。信ら嵯峨源氏どもがとうとう蜂起(ほうき)したのだ!」
藤原良相はただちに参議で左近衛中将(さこのえのちゅうじょう。左近衛府次官)を兼ねていた藤原基経を呼びつけた。
「左大臣が謀反を起こした。今すぐ兵を率いて左大臣邸を囲め」
基経は驚いた。
「叔父上、それは本当なのですか?」
「前々からうわさがあったことだ。間違いはなかろう」
「このことは養父(藤原良房)も知っているのですか?」
「病気の兄に余計な心配をかけることはない」
「いえ。事は重大です。知らせてきます」
基経の知らせを聞いて、白川(しらかわ。京都市左京区)で養生していた良房は怒って出てきた。この頃には病気もかなり良くなっていたのであろう。良房の回復は、善男にとって最大の誤算であった。
「信がそのような大それたことを考えるはずがない! 無実に決まっているではないか!
誰だ? そのようなたわごとを申したのは! 放火犯はほかにいるはずだ。もっとよく調べよ!」
良房はこのことを清和天皇(「諾威味」参照)に報告、清和天皇は勅使として参議・大江音人(おおえのおとんど)、左中弁・藤原家宗(いえむね)らを信邸に遣わした。
信は恐れおののいた。
「まろが応天門の放火犯に疑われているやと。なぜそのような根も葉もない話がまことしやかにささやかれるようになったのや」
勤が答えた。
「善男の仕業ですよ。以前もヤツは投書があったときに騒ぎ立てやがった」
融も顔をしかめた。
「伴大納言はどうしても嵯峨源氏をつぶしたいとみえる」
「何より今は無実を証明しなければ――」
信は馬十五頭と従者四十人余りを朝廷に献上し、謀反の意がないことを示した。
「疑いは晴れた」
馬も従者もすぐに信の元に返されたが、信は以後、自邸に引きこもってしまったという。
「善男はまた仕掛けてくる。まろはいつか、ヤツに追い落とされるのや」
信はかわいそうなくらいおびえていた。
勤も危惧(きぐ)を感じていた。
「なんとかしなければ――」
このとき、勤はまだ参議には昇っていない。天皇の護衛長・右兵衛督(うひょうえのかみ)を務めていた。
ある日、勤が右兵衛府に顔を出すと、舎人(とねり。職員)・大宅鷹取(おおやけのたかとり)が庭で花を摘んでいた。
「何をしている?」
鷹取は答えた。
「死んだ娘に手向けるんです」
勤は思い出した。
鷹取の娘は、ケンカ相手の親に踏み殺されたのだった。
「確か、踏み殺したのは、生江恒山(いくえのつねやま)というヤツだったな」
鷹取はうなずいた。
勤はニヤリとした。恒山は善男の従者である。
勤は尋ねた。
「恒山が憎いか?」
鷹取はうなずいた。
「恒山を島流しにしてやりたいか?」
鷹取は深くうなずいた。
「いい方法がある」
勤は何やらささやいた。
鷹取は乗った。
勤は身震いして喜んだ。
「策士、策におぼれたり!」
信の無実が晴らされたことを聞いて、善男は不思議がっていた。
(良房が信をかばっただと? なぜかばう? 良房にとって、信ら嵯峨源氏は脅威ではないのか? 追放したほうがよほど自分たちのためではないか)
善男には分からなかった。理解できなかった。
そこへ参議に勘解由使長官を兼ねる南淵年名(みなぶち・みなふちのとしな)がものものしい武人たちを引き連れてやって来た。
「大納言卿、少々お尋ねしたいことがありますので、勘解由使局へ来て下さい」
「どうしてか?」
「大宅鷹取という者の告発がありました。『大納言卿やその仲間たちが応天門に火をつけていたところを見た』と」
「……。なんじゃそれ!」
善男は勘解由使局で取り調べを受けた。
善男の子・伴中庸(なかつね)は左衛門府(さえもんふ)へ連行され、恒山・伴清縄(きよただ)ら従者は厳しい拷問を受けた。
「やってねーって!」
最初は本当にやっていなかったので否定していた恒山らだったが、余りに何度も太い杖(つえ)でぶたれるので、たまらず認めてしまった。
「いってーな、コノヤロー! 中庸がやったんだよっ」
「善男の指示だな」
「むろんだ。ああ、イタタ……。これでいいんだろーがっ」
これによって善男らの罪は確定した。
●応天門の変流刑者一覧● | |||
流刑者 | 流刑地 | 身分・関係 | 罪刑 |
伴 善男 | 伊豆 | 大納言 ・正三位 |
応天門放火犯として斬刑 ⇒罪一等軽減し遠流。 |
伴 中庸 | 隠岐 | 善男の子。 右衛門佐 |
応天門放火犯として斬刑 ⇒罪一等軽減し遠流。 |
紀 豊城 | 安房 | 善男の従者。 紀善岑の子。 |
応天門放火犯として斬刑 ⇒罪一等軽減し遠流。 |
伴 清縄 | 佐渡 | 善男の従者。 | 応天門放火犯として斬刑 ⇒罪一等軽減し遠流。 |
伴 秋実 | 壱岐 | 善男の従者。 | 応天門放火犯として斬刑 ⇒罪一等軽減し遠流。 |
紀 夏井 | 土佐 | 豊城の兄。 | 連座で遠流。 |
伴 河男 | 能登 | 善男の弟? | 連座で遠流。 |
伴 夏影 | 越後 | 善男の関係者。 | 連座で遠流。 |
伴 冬満 | 常陸 | 善男の関係者。 | 連座で遠流。 |
紀 春道 | 上総 | 豊城の関係者。 | 連座で遠流。 |
伴 高吉 | 下総 | 善男の関係者。 | 連座で遠流。 |
紀 武城 | 日向 | 豊城の関係者。 | 連座で遠流。 |
伴 春範 | 薩摩 | 善男の関係者。 | 連座で遠流。 |
生江恒山 | ? | 善男の従者。 | 女児殺人犯として遠流。 |
卜部田主 | ? | 善男の従者。 | 女児殺人犯として遠流。 |
善男は叫び続けた。
「オレは無実だ! オレはただ、誰かがやった放火を利用しただけだ! 火はつけていない!」
良相は面会に来たであろうか。
善男は彼に訴えた。
「オレはあなた方藤原氏のためを思ってやったんだ。それを何だ。みんなして犯人扱いしやがって。このまま信ら嵯峨源氏をのさばらせておいていいのか?」
良相は冷たく言った。
「兄良房にとっては、信よりもあなたのほうが脅威だったようだ」
善男は気づいた。
良房は善男と信を天秤(てんびん)にかけ、より危険なほうを切り捨てたのである。
「良房め、オレサマがとてつもないキレ者だということに気づいていたか……」
善男は笑った。良房に見捨てられては一巻の終わりである。後はもう、笑うしかなかった。
九月二十二日、善男ほか共犯者に判決が下された。応天門放火の罪で斬刑(ざんけい)にされるところ、特別に罪一等を減じて遠流(おんる)にされることになったのである。
また、十月には恒山と田主が大宅鷹取の娘殺害の罪で遠流にされている。
右が応天門の変での流刑者および流刑地ほか説明である。
貞観十年(686)、善男は流刑地の伊豆で一人寂しく没した。
死の直前に、
「大伴氏は永遠に不滅だっ」
と、言い残したかもしれないが、彼以後、伴氏は急激に没落していった。
* * *
※ この物語では、善男らは応天門の放火には関与せず、不審火を利用しただけにとどめた。『伴大納言絵巻』『宇治拾遺物語』などでは、善男・中庸・紀豊城(きのとよき)らが放火したとしている。『日本三代実録』でもそうなっているが、善男は犯行を否認し続けたという。
※ この物語では、大宅鷹取の娘が殺された後に善男らが逮捕されたことにしたが、『日本三代実録』『伴大納言絵巻』『宇治拾遺物語』などは善男が逮捕された報復として鷹取の娘が殺されたとある。
[2002年10月末日執筆]
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