1.最後の方法 | ||||||||||||||
ホーム>バックナンバー2019>令和元年9月号(通算215号)揉消味 平貞盛のもみ消し1.最後の方法
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平貞盛といえば、平将門(「悪党味」参照)を討った勇将である(「生首味」「桓武平氏系図」参照)。
その功績で鎮守府将軍になり、天禄三年(972)には丹波守に就任、天延二年(974)の陸奥守転任が決まった(「古代官制」参照)。
その矢先である。
チンピラともめて矢を射かけられ、負傷してしまった。
傷は化膿(かのう)し、ボンボンに腫(は)れ上がった。
丹波国府には医師(くすし)がいたが、さじを投げた。
「これはもう手に負えません」
「あきらめずに治してくれよ!」
「では、ちと高くつきますが、京から当代一流の名医を呼びましょうか?」
「そうしてくれ。何より命が大事だ。金に糸目は付けぬ」
しばらくして、京から当代一流の名医がやって来た。
当代一流の名医といえば、日本最初の医学書『医心方(いしんぼう)』を著した丹波康頼(たんばのやすより)のことであろう(「丹波氏系図」参照)。
「どうなさいました?」
「できものができたようだ」
「なるほど。傷が膿(う)んだようですな。矢でも刺さりましたかな?」
貞盛は不機嫌になった。
「俺はあの平将門を討った勇将だ。不覚を取ったことは他言するな」
「しゃべりませんとも。私にはまったく興味のないことですから」
「そうか。とにかく早く治してくれ。俺はもうすぐ陸奥に赴任しなければならない。こうしてはおれぬのだ」
「残念ながら、手遅れかと」
「何だと?」
「もうじき、毒が全身に回って死ぬでしょう」
貞盛は震えた。康頼にすがって頼んだ。
「俺はまだ死にたくない! 死ぬわけにはいかぬ! どんな手を使ってもいいから助けてくれ!」
「無理ですな。『児干(じかん)』でも手に入れば別ですが」
「ジカン?」
「そうです。しかしこれは手に入らないシロモノです。どうか、おあきらめ下さい」
「あきらめられるわけないじゃないか! 治す手立てがあるんだったら治してくれよっ!
今すぐジカンとやらを取り寄せてくれ! 金ならいくらでも出すっ!」
「金なんかいくら積んでも無駄です。売っているものではありませんから。児干とは胎児の生肝(いきぎも)のことです。妊婦の腹を裂いて取り出すしか方法はありません」
「……」
「生肝を取り出せば、母も子も死んでしまいます。人を助ける医師が、人殺しは勧められません」
「……」